輝国山人の韓国映画
<Home>へ

チョン・イルソン
撮影監督
鄭一成
정일성
Jeong Ir-Seong

1929年 2月19日 東京生まれ
      日帝時代,東京第2工業学校に通う。

1951年 ソウル大学 工科大学 機械工学科を卒業
      米国に渡り,アメリカ広報院に就職

1955年 広報院在職時期に大学の先輩チョン・イニョプ(現江原
       産業会長,当時空軍中佐)に会い,当時,空軍本部の広
      報映画<突撃命令>を撮っていた彼が同僚を探していた
      ことが契機となり,撮影を始めた。
      当時最高の撮影技師だったキム・ハクソンの下で3年間
      修習技師として修行

[撮影作品] (括弧内は,監督名)
1957年 去れ悲しみよ (チョ・グンハ=趙肯夏) 撮影デビュー
1962年 雲が散る時 (イ・ボンネ)
1962年 東京から来た男 (パク・ソンボク)
1962年 赤い薔薇の追憶 (ノ・ピル)
1963年 乞食王子 (アン・ヒョンチョル=安賢哲)
1963年 栗谷(ウルゴク)とその母 (イ・ジョンギ)
1963年 糟糠の妻 (パク・ク)
1966年 純愛 (パク・チョンホ)
1969年 アパートの女人 (イ・ソング=李星究)
1969年 地下室の7人 (イ・ソング=李星究)
        第6回 百想芸術大賞/撮影賞
1970年 香港の短杖つき (チェ・ヨンチョル=崔永普j
1970年 香港のマドロス (チェ・ヨンチョル=崔永普j
1971年 過客 (クォン・チョルヒ=権哲輝)
1971年 双罰 (イム・チュンヒ)
1971年 火女 (キム・ギヨン=金綺泳)
1972年 蟲女 (キム・ギヨン=金綺泳)
1973年 光復二十年と白凡金九 (チョ・グンハ=趙肯夏)
1973年 難破船 (カン・ヒョク) 
1973年 母の結婚式 (チョ・ムンジン=趙文真)
1974年 大兄 (チョン・イニョプ=鄭仁Y)
1974年 国会偽装活動家事件(クォン・ヨンスン=權寧純)
        第13回 大鐘賞/撮影賞
1974年 李仲燮 (カク・チョンファン=郭貞煥)
1974年 破戒 (キム・ギヨン=金綺泳)
1974年 好奇心 (チョ・ムンジン=趙文真)
1974年 幻女 (キム・ホソン=金鎬善)
1975年 馬鹿たちの行進 (ハ・ギルジョン=河吉鍾)
1975年 火花 (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
1975年 肉体の約束 (キム・ギヨン=金綺泳)
1976年 グ−,チョキ,パー (キム・スヨン=金洙容)
1976年 高校ヤルゲ (ソク・ネミョン=石来明)
1976年 有情 (カン・デジン=姜大振)
1977年 門 (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
       第23回 アジア映画祭/撮影賞
1977年 華麗な外出 (キム・スヨン=金洙容)
1977年 高校こっくり君足長君 (ソク・ネミョン=石来明) 
1977年 死生門 (ナム・ギナム=南基男)
1977年 ワニの恐怖 (イ・ウォンセ=李元世)
1977年 ヤルゲ行進曲 (ソク・ネミョン=石来明) 
1977年 女子高ヤルゲ(番長) (ソク・ネミョン=石来明) 
1977年 異魚島 (キム・ギヨン=金綺泳)
1978年 続・星たちの故郷 (ハ・ギルジョン=河吉鍾)
1978年 寡婦 (チョ・ムンジン=趙文真)
        第17回 大鐘賞/撮影賞
1978年 亡命の沼 (キム・スヨン=金洙容)
1978年 昔々,遠い昔にホーイホイ (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
1978年 板門店ポプラ作戦 (イ・ヨヌ)
1979年 愛の条件 (キム・スヨン=金洙容)
1979年 秋雨の傘の中で (ソク・ネミョン=石来明) 
1979年 神弓 (イム・グォンテク=林權澤)
1979年 乙火 (ピョン・ジャンホ=卞張鎬)
1980年 人の子 (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
       第1回 映画評論家協会賞/撮影賞
1980年 あの女,いい人見つけたね (イ・ヒョンピョ=李亨杓)
1980年 傘の中の三人の女 (イ・ドゥヨン=李斗縺j
1980年 最後の証人 (イ・ドゥヨン=李斗縺j
1981年 晩秋 (キム・スヨン=金洙容)
        第21回 大鐘賞/撮影賞
1981年 曼陀羅 (イム・グォンテク=林權澤)
        第18回 韓国演劇映画芸術賞/撮影賞
       第2回 映画評論家協会賞/撮影賞
1981年 ピョン・グムニョン(潘金蓮) (キム・ギヨン=金綺泳)
1981年 偶像の涙 (イム・グォンテク=林權澤)
1981年 〜82年 韓国映画関係者協会 副理事長
1982年 霧の村 (イム・グォンテク=林權澤)
1982年 堕落した子供たち (イム・グォンテク=林權澤)
1982年 炎の娘 (イム・グォンテク=林權澤)
1982年 ピエロと菊の花 (キム・スヨン=金洙容)
1982年 女の陥穽 (イ・ギョンテ)
1982年 黄昏に鳴く鳥 (キム・スヨン=金洙容)
1982年 火女’82 (キム・ギヨン=金綺泳)
1983年 〜84年 ソウル芸術専門大学 講師
1984年 長男 (イ・ドゥヨン=李斗縺j
1984年 傷ついた葦  (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
1985年 おふくろ(キム・スヒョンのおふくろ) (パク・チョルス=朴哲洙)
1985年 キルソドム (イム・グォンテク=林權澤)
1985年 愛に流されて 〜ライフライン〜 【胎】 (ハ・ミョンジュン=河明中)
1985年 2月 第8代諮問委員
1985年 〜88年 ハニャン(漢陽)大学校 演劇映画科 講師
1986年 霧の柱 (パク・チョルス=朴哲洙)
1986年 ファン・ジニ(黄真伊 ) (ペ・チャンホ=「昶浩)
       ハワイ国際映画祭 撮影賞(1987)
1987年 アダダ (イム・グォンテク=林權澤)
1987年 じゃがいも (ピョン・ジャンホ=卞張鎬)
       韓国日報演劇映画賞/撮影賞
1987年 風吹く日にも花は咲いて (キム・ジョンオク)
1987年 冬女 (カン・デソン)
1987年 12月 第9代諮問委員
1989年 蜜月 (ピョン・ジャンホ=卞張鎬)
1989年 傷 (カク・チギュン=郭志均)
1989年 クライマックス1 (オム・ジョンソン=厳鍾善)
1990年 将軍の息子 (イム・グォンテク=林權澤)
1990年 びりから一等まで僕たちのクラスを訪ねます (ファン・ギュドク=黄圭徳)
1990年 若き日の肖像 (カク・チギュン=郭志均)
       第29回 大鐘賞映画祭/撮影賞
1991年 将軍の息子2 (イム・グォンテク=林權澤)
1991年 開闢 (イム・グォンテク=林權澤)
       第12回 青龍映画賞/撮影賞
1992年 将軍の息子3 (イム・グォンテク=林權澤)
1992年 離婚しない女 (カク・チギュン=郭志均)
1993年 おせっかいはNO,愛はOK (キム・ユジン=金裕珍)
1993年 風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制) (イム・グォンテク=林權澤)
       第14回 青龍映画賞/撮影賞
       第13回 映画評論家協会賞/撮影賞
       第31回 大鐘賞映画祭/撮影賞
1993年 大韓民国文化芸術賞 大統領賞
1993年 誇らしいソウル市民賞
1994年 太白(テベク)山脈 (イム・グォンテク=林權澤)
       第5回 春史映画賞/撮影賞
1994年 〜95年 韓国映画関係者協会 副理事長
1996年 ボーン・トゥ・キル (チャン・ヒョンス=張賢洙)
1997年  (チャン・ギルス=張吉秀)
1997年 韓国映画撮影監督会 会員
1998年 失楽園 (チャン・ギルス=張吉秀)
2000年 春香伝 (イム・グォンテク=林權澤)
2002年 醉画仙(すいがせん) (イム・グォンテク=林權澤)
       2002 第22回 韓国映画評論家協会賞/撮影賞
2004年 下流人生 (イム・グォンテク=林權澤)
2007年 千年鶴 (イム・グォンテク=林權澤)
 

チョン・イルソン撮影監督は,キム・ギヨン監督からイム・グォンテク監督に至るまで,韓国映画界の我こそはと思う監督をあまねく経て,今日に達した。

1977年<乙火>(ピョン・ジャンホ監督)の撮影の時,チョン撮影監督は,撮影を押し切って倒れて,7時間の大手術のあげく,腸の一部を切りとって息をふきかえした。

1980年には,この時の傷が直膓癌に至ったせいで,医師から死刑宣告を受けることもあった。

手術が成功した時,イム・グォンテク監督が<曼陀羅>を持ってきた。映画に対する欲が,身体を救った。普段の70Kgの体重が42Kgに減り,イム・グォンテク監督とさらなる仕事を続けることになった。



【BACK】 (一覧ページへ)