輝国山人の韓国映画
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高校ヤルゲ

チョ・フンパのベストセラー<ヤルゲ伝>(1954)を映画化した作品で,当時25万人の観客を動員した<ハイティーン映画>の代表作

高校2年の落第生ナ・ドゥス(イ・スンヒョン)は,噂になったヤルゲ。

同じ落第生であり,仲良しである病院の息子ヨンホ(チン・ユヨン)とともに,礼拝時間にいびきをかいたり,自分の目覚まし時計で先生をだまして授業を早く終わらせたり,あらゆるいたずらを日常的に行っている。

国語先生ペク・サンド(ハ・ミョンジュン)の手伝いをしたトゥスは,ペク先生が下宿する雑貨屋の娘インスク(カン・ジュヒ)に恋をする。

それ以後,トゥスは,インスクの自転車ハイキングサークルに加入して,ペク先生の下宿で個人指導を受ける間,インスクと親しくなろうと努める。その間,トゥスの姉トゥジュ(チョン・ユニ)とペク先生は,恋愛に陥っているようだ。

一方,トゥスとヨンホは,自分たちを先生に告げ口した同じクラスの模範生ホチョル(キム・ジョンフン)がまったく不満だ。彼らは,うとうとしたホチョルのメガネに赤色のマジックを塗って、教室では,ひとしき火事騒動が起きる。

訓戒する校長の祈祷の途中で逃げることまでしたトゥスは,除籍の危機に瀕する。幸いペク先生の仲裁で除籍を免ぜられるが、トゥスは,彼の叱責を振り払って,今後は個人指導を受けないことにする。なぜか,今まで親切だったインスクもトゥスに冷静に接する。

火事騒動でメガネがこわれたホチョルは,トゥスに弁償を要求するが,心境が穏やかでないトゥスは,これを断る。しかし,翌日ホチョルが欠席をするや,トゥスは,ホチョルの家を訪ねて行く。

丘の上のビルの屋上部屋で,工場に通う姉と2人きりで住み,毎朝牛乳配達をしているホチョルは,メガネがなくて土台から転がり落ちて脚が折れたという話を聞いたトゥスは,涙を流して、その日からホチョルに代わって牛乳配達をする。

ホチョルのためにノート筆記を代わりにするトゥスの授業態度は,明確に良くなる。誰にも知らせないで牛乳配達をしていたトゥスは,集金をしていて交通事故に遭う。

入院したトゥスは,ヨンホ家の病院からいつのまにか逃げて、病室に集まったトゥスの家族は,トゥスを訪ねてきたホチョルの姉から最近のすべての事情を聞く。

今まさに手術が成功したホチョルを訪ねて行ったトゥスの前に,学校の先生たちと家族,ヨンホが現れて,皆トゥスに感心する。インスクも花を持ってトゥスに会いにきて,ペク先生とトゥジュは,結婚をする。

[制 作 年] 1976年 [韓国封切] 1977年1月29日       2008年4月24日(再封切り)       2009年5月14日(再封切り) [観覧人員] 258,978人 1977年 第2位       (韓国映画データベース 年度別ボックスオフィス) [原 題] 高校ヤルゲ 고교얄개 [英 語 題] Yalkae,A Joker In High School [ジャンル] メロドラマ,青春映画 [原 作] チョ・フンパ(趙欣坡)の「ヤルゲ伝」 [脚 色] ユン・サミュク [監 督] ソク・ネミョン [第 作] [助 監 督] シム・ジェソク [撮  影] チョン・イルソン [照  明] ソン・ヨンチョル [編  集] イ・ギョンジャ [音 楽] チェ・チャングォン [美 術]  [武 術]  [出 演] イ・スンヒョン  → ナ・ドゥス(羅斗洙) ヤルゲ 高校生       チョン・ユニ   → ナ・ドゥジュ ナ・ドゥスの姉       ハ・ミョンジュン → ペク・サンド 国語先生       キム・ジョンフン → キム・ホチョル 模範高校生       カン・ジュヒ   → インスク モラン女子高校生 シンジン(新進)食品       チン・ユヨン   → ユ・ヨンホ(劉容浩) 高校生       ハン・ウンジン  → ナ・ドゥスの祖母       キム・ミンギュ  → ナ教授 ナ・ドゥスの父       リ・ピトリオ   → リチャード・ハドソン校長       Vic Morrow    → 理事長 兼 校長       ムン・ミボン   → ナ・ドゥスの母      カク・コン    → 漢文先生      イ・ヨンホ    → 物理先生      チョン・スニョン → 数学先生       チョ・ヨンス   → チョ先生       イム・エジョン  → キム・ホチョルの姉       イ・ウニョン   → ミジョン       イ・ミョンジャ  → ヒスク       キム・ソジェ   → キム・ホチョル家のおばさん       ソン・ミョンスン → 女2       ユ・チュンス   → 牛乳配達所 主人       ソン・ジョン   → 医師       キム・ウン    → カイジェル紳士       ウォン・ジュン  →        特別出演       チャンヒョン       (ヒョニとトギ) [受 賞] 第3回 現代映画批評家 グループ賞,特別賞(ソク・ネミョン) [映 画 祭]  [時 間] 90分 [観覧基準] 小学生観覧可 [制 作 者] チェ・チュンジ [制作会社] ヨンパン(連邦)映画 [制 作 費]  [D V D] 日本発売なし [レンタル]  [撮影場所]  [M-Video]  [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=WxEoMutSUQ4 [Private ] K-DVD(ALL) 韓国映像資料院 古典映画コレクション 【76】 [お ま け] NAVER 영화       KMDb(韓国映画データベース)      Wikipedia      ・「ヤルゲ」とは,茶目っ気があり,溌剌とした中・高校生などを指す俗語       ・チョ・フンパ(趙欣坡)のライトノベル(明朗小説)「ヤルゲ伝」(1964)が原作       ・この映画は,ソク・ネミョン監督の「ヤルゲ」シリーズ,ムン・ヨソン監督の        「本当に本当に」シリーズ,キム・ウンチョン監督の「高校」シリーズなど,        ハイティーン映画の先駆けとなった作品       ・この年には,高校生を主人公とする映画,ハイティーン映画が25本も制作さ        れ,そのうち10本あまりがヒットしたそうだ。     ◎ 韓国映像資料院 古典映画コレクション <高校ヤルゲ>(DVD)         添付 ブックレットから 翻訳 その1       1970年代青少年映画の旗手 〜<高校ヤルゲ>とソク・ネミョン                       キム・ジョンウォン(映画評論家)       青少年映画ブームの背景       ・ソク・ネミョン(石来明)は、1970年代中盤、先輩監督であるキム・ウンチョ        ン、ムン・ヨソンなどとともに青少年映画ブームを起こした三人衆の中のひと        りだ。       ・実際、先に出たのは、<女子高卒業組>(1975年)のキム・ウンチョン監督だ        ったが、注目を引くことができなかった。       ・しかし、翌年ムン・ヨソン監督の<本当に,本当に忘れないで>が十代観客か        ら大きな呼応を受けたのに続き、ソク・ネミョン監督の<高校ヤルゲ>が25万         8千人余りを動員するヒットを記録することによって、青少年映画が一躍劇場        街の興行要素に浮び上がった。       ・1976年から78年まで3年余りの期間に成り立ったこの青少年映画旋風は、30年        が過ぎた今日の時点で見ても、韓国映画史上かつて探せない特異な現象だった。       ・さらに、70年代はじめから‘八道’ものがあり、‘ヨンパリ’、‘ミョンドン       (明洞)’シリーズとともに地域色を表わしたアクション映画が盛んに行われ、        続いて興行と別に外貨収入クォーターを狙った実績中心の'優秀映画'と官主導        の国策映画が量産されて、観客が満足できる見どころを渇望した時期であった。       ・もちろん、<星たちの故郷>(1974、イ・ジャンホ監督)や        <ヨンジャ(英子)の全盛時代>(1975、キム・ホソン監督)、        <馬鹿たちの行進>(1975、ハ・ギルチョン監督)などのように、若い観客の        愛を受けた話題作がないことはなかったが、大きい流れとして地位を確立する        ことはできなかった。       ・そうした点で、成人物でない青少年映画の流行は、非常に異例なことだった。       ・ソク・ネミョンは、<高校ヤルゲ>以後、青少年映画に手を付けて一貫して校        庭中心の話を素材とした。       ・<高校コックリ君、チャンダリ君>、<ヤルゲ行進曲>(以上、1977)、<私        たちの高校時代(共同演出、1978)などが、まさににここに該当する。       ・これは、学窓生活を中心に扱いながらも、校庭に限定させないで舞台を広く活        用したムン・ヨソンの場合とは違う。       ・キム・ウンチョンの場合は、<高校優良児>(1977)などの例でうかがい知る        ことができるように、ムン・ヨソンよりは、ソク・ネミョンに近い側だった。       ・ソク・ネミョンは、<夢は消えて>(1959)で広く知られたノ・ピル監督と、        <パパ さよなら>(1963)のチェ・フン監督の下で演出基礎を積んで、        1971年に<憎くてもアンニョン>で映画界にデビューした。       ・夫が亡くなって、暮らしを立てていくために、歓楽街に飛び込んだある女性        (ムニ)の罪と罰を描いたメロドラマであった。       ・長い間の現場経験にもかかわらず、後続作までほぼ5年かかった程に、彼の出        発は、期待に沿えなかった。       ・このような状況に達した彼が、再起作で選択したジャンルが青少年映画であっ        た。       ・他の人々が見るには、無謀に映るほかない冒険だった。       ・当時もハイティーンを素材にした映画は興行にならないということが映画界の        通説だった。       ・ところで、1976年12月に検閲を終えて、翌年1月29日に封切られたこの映画は、        当初の予想とは違って多くの観客を劇場に引き込んだ。       ・<高校ヤルゲ>の企画が、このように的中したのは、逆発想的な挑戦にあった        ということができる。       ・これは、雑多なジャンル映画が混在した1970年代の状況とも関係がなくはない        だろう。      <高校ヤルゲ>とソク・ネミョン       ・<高校ヤルゲ>の元祖は、1965年にチョン・スンムン監督が作った<ヤルゲ伝>        だった。       ・なので、<高校ヤルゲ>は、<ヤルゲ伝>のリメイクであるわけだ。       ・この映画の原作は、1954年に創刊された学生雑誌「学院」に連載して人気を集        めたチョ・フンパの明朗小説だ。       ・今日の60歳代半ば以上の読者ならば、キム・ネソンの探偵小説「黒い星」、キ        ム・ヨンファンの漫画「鼻主簿(鼻の大きい人)三国志」などとともに知らな        い人がいないほど有名な連載物だった。       ・<高校ヤルゲ>は、かつて「ヤルゲ伝」を読んだり、そのような時代の感性を        共有した人々、そのような世代によって教育を受けたり聞いたことがある青少        年の心を動かすようにするほどの素材であった。       ・その上、すでに<憎くてももう一度>(1968)で涙腺を刺激したキム・ジョン        フンの登場と、これに対比されるイ・スンヒョンの滑稽な演技などが相乗作用        をしたのだろう。       ・この映画のヒットを契機に、ハイティーン俳優がスターに浮び上がった。       ・これらは、ムン・ヨソン監督の‘本当に’シリーズを通じて跳躍の踏み台を用        意したイ・ドックァイム・イェジンなどとともに、1970年代の青少年映画ブ        ームを増幅させるところに大きく寄与した。       ・<高校ヤルゲ>は、キリスト教系高等学校2年生のあるいたずらっ子の滑稽で        意地悪な行動が表わした被害と和解をエピソード中心として構成している。       ・キリスト教的な敬けんさと逸脱的な学窓生活の不調和の中で和合として到達す        るこの映画は、深さがない代わりに小さな面白みがある。       ・トゥスが、自分の落第を‘2年 二番煎じ’と表現したり、初めての授業に入っ        てきた教師(ハ・ミョンジュン)の傾いた首を見て、‘6時5分前’というニ        ックネームを付けたかと思えば、落第を心配するおばあさん(ハン・ウンジン)        には“タコ汁どころかイカ汁も食べられなかったですが。”と平気で言い返す        才覚と瞬発力を見せる。       ・プロローグ(教室)とエピローグ(姉の結婚)シーンで見せたコミカルなストッ        プモーションや、1970年代のソウル郊外の一面を垣間見られる乱れていた山村        の風景、どもりがちな韓国語で説教するアメリカ人ハドソン校長のチャペル時        間も印象的だ。       ・だが、高校ヤルゲは、産業化時代として進入した1970年代の時点で再解釈され        るよりは、小説が書かれた1950年代の感性と情緒で学窓生活に接近している。       ・たとえ、自転車旅行、ミーティング斡旋、近代化チェーン店、"なせば成る"の        スローガンなど、当代の社会の雰囲気が画面に敷かれていても、学校内部の描        写は、復古的な雰囲気から抜け出すことができなかった限界がある。       ・ややななめにかぶった帽子と、一番上のボタンをはずしたりする黒色制服は、        この時代の不良気を表す高校生特有の姿だった。       ・1950年代に中高等学校時期を送った演出者が体験した情緒の目の高さと、40        歳代に達した制作時点の状況が混在する様相をのぞくことができた。       ・1936年5月10日に生まれ、持病である肝臓癌で64歳の年齢で亡くなる時まで、        ソク・ネミョン監督は、映画評論家であるチョン・ヨンイルなどと近く過ごし        て、貧しい劇作家の不幸な人生を描いた最後の作品<一人立ちのその日に>       (1990)など、全13本を残した。       ・<高校ヤルゲ>以後、ハイティーン映画ブームに便乗して、1977年の一年間、        これと類似の<ヤルゲ行進曲>をはじめとして、<女子高ヤルゲ>、<高校コ        ックリ君、チャンダリ君>など細片を出して、オムニバス映画<私たちの高校        時代>(1978)を最後に事実上青少年映画時代を終えた。       ・キム・ウンチョン、ムン・ヨソン監督との合作で成り立ったこの映画は、偶然        なのか青少年映画ブームを起こした彼らが、自らの未来を予想した閉幕宣言に        違いなかった。       ・ソク・ネミョンは、以後、特別な話題作なく、<エネルギー先生>、<12人の        下宿生>(以上、1978)、<秋雨傘の中に>(1979)、<日が昇る家>>(1980)        <アスファルト上のドンキホーテ>(1988),<私の恋ドンキホーテ>(1989)        で映画の領域を次々に拡大していった。       ・楽観的な構造で現れたハイティーン映画とは違って、彼の一般ドラマは、悲観        的な傾向を見せてくれた。     ◎ 韓国映像資料院 古典映画コレクション <高校ヤルゲ>(DVD)         添付 ブックレットから 翻訳 その2       <高校ヤルゲ>、1970年代青少年大衆文化の代名詞                   パク・ユヒ(コリョ(高麗)大学 HK研究教授、映画批評家)       ・<高校ヤルゲ>は、1970年代を風靡したハイティーン映画の代表作だ。       ・ハイティーン映画は、主に高校生の恋愛感情を中心に青少年の日常を描いて青        少年観客に訴えた映画で、1972年、カン・デソン監督の<女高時代>から        ムン・ヨソン監督の‘本当に本当に’シリーズ、キム・ウンチョン監督の‘高        校’シリーズ、そして、ソク・ネミョン監督の‘ヤルゲ’シリーズがずっと興        行して、1970年代後半まで大人気を呼んだ。       ・ハイティーン映画を通じて、アイドルスターの元祖というほどのスター群が形        成されたのだが、'本当に本当に’シリーズのイ・ドックァイム・イェジン、        ‘ヤルゲ’シリーズのイ・スンヒョンカン・ジュヒなどが代表的だというこ        とができる。       ・このようなハイティーン映画のブームと青少年大衆文化の形成は、急な経済成        長とベビーブーム世代を基盤とする。       ・ハイティーン映画が全盛期を謳歌した1970年代中盤は、第3次経済開発5ヶ年計        画が、年平均9.7%の成果を出して完遂された時期であった。       ・この時、朝鮮戦争以後から産児制限が現実化される前である1960年代初期まで        に生まれた‘ベビー ブーム世代’が、13〜18歳の青少年期を迎えて、青少年        人口比率が膨張することになる。       ・彼らは、近代化プロジェクトで整備された学校教育の洗礼の中で、潜在的な文        化消費者として成長していた。       ・このような青少年層が、経済成長に伴う産業化・都市化による大衆文化の拡散        と分化、国民所得の増加、そして、次世代に対する社会的期待の中で、1970年        代の主な文化消費者に浮上することになる。       ・このような傾向が爆発的な現象で現れた年は、第3次経済開発5ヶ年計画が終わ        った1976年で、この時、ハイティーン映画は、全体制作編集の20%を占めて、        そのうちの半分ほどが、興行に成功するほど大衆的なジャンルに成長する。       ・<高校ヤルゲ>は、まさに1976年に製作されて以後、人気シリーズの始まりに        なった映画だ。       ・この映画は、ミッション系男子高等学校の学生であり、大学教授の一人息子で        ある'ナ・ドゥス’という主人公が、彼の家族、先生、学校の友人たちと醸し出        すエピソードで成り立つ。       ・エピソードを編み出す全体的な幹は、甘えん坊、いたずらっ子が誠実な学生に        変化して行くという青少年の成長譚だ。       ・映画は、賛美歌が鳴り響く校庭全景を見せることで始まって、聖書の授業中で        ある教室を映し出す。       ・外国人校長が静かに祈る中で、ユ・ヨンホ(チン・ユヨン)が相棒の飴を横取        りして食べる。       ・まもなく、ナ・ドゥス(イ・スンヒョン)が、いびきをかいて寝ていて、校長        に目をつけられる。       ・トゥスは、危機をまぬがれようと聖書一節を暗唱してみせるが、‘創世記’を        暗唱して中間で忘れると、しらじらしく自分の家の家系図を暗唱してしまう。       ・そうして、ヨンホとトゥスが科学実験中にいたずらをする場面、トゥスが目覚        ましでベルの音を操作して、授業時間を早く終わらせる場面が続く。       ・一連のエピソードで成り立ったオープニングは、笑いを誘発して、主人公トゥ        スと彼の友だちヨンホの‘ヤルゲ’の様子を一目瞭然に見せる。       ・以後、映画は、一般的な高校生の経験領域である家族、先生、ガールフレンド、        学校の友だちとの関係を通じて展開する。       ・結果的にナ・ドゥスは、家族と先生の信頼を得て、ガールフレンドの愛を得て、        貧しい友だちに対する奉仕を通じて友情を得る。       ・そして、このような一連の関係を成功裏に導くことによって、お父さんと校長        先生の称賛で象徴される社会に認められることになる。       ・これは、トゥスの成長を公認することで、ここに現れる'成長’は、色々な面で        1970年代という時代を喚起させる。       ・<高校ヤルゲ>は、ベストセラー小説「ヤルゲ伝」(1954〉を映画化したもの        で、朝鮮戦争直後に書かれた原作と比較してみれば、1970年代の時代的特性が        よくあらわれている。       ・チョ・フンパの小説「ヤルゲ伝」では、‘ヤルゲ’を、こざかしくふるまう者、        乱暴でけんかばやい人、いたずらっ子、すぐに気をもみいらいらする人などの        意味を持っている地方なまりとして説明し、主人公ナ・ドゥスだけでなく、父        のナ教授と国語の先生ペク・サンドまで、'お父さんヤルゲ’と‘先生ヤルゲ’        として見せる。       ・彼らは、社会的に尊敬受けるほどの地位と人柄を有していながらも、一方では、        社会秩序を深刻に攪乱しない範囲内で逸脱を行って、読者に安らかな笑いを通        した解放感を味わせる。       ・例えば、目覚まし時計を鳴らせてうんざりした授業時間を早く終わらせるいた        ずらや、告げ口屋の友だちに報復するエピソードは、原作では、トゥスのお父        さんのヤルゲ行為に属するということだった。       ・ところが映画では、このようなエピソードがすべて、トゥスの行動として脚色        され、お父さんは、謹厳な姿に描かれている。       ・また、ペク先生の場合も、原作では、ミッションスクールの教師にもかかわら        ず愛煙家なので、校長の目を避けてタバコを吸い、校長に捕まって学生のよう        に叱られて逃げる姿が笑いを誘発するが、映画では、トゥスを厳しく教える厳        格な先生の姿が浮び上がる。       ・それで原作では、周辺人物がヤルゲの同調者として、ともにひとしきり笑いの        広場を繰り広げるならば、映画では、周辺人物がヤルゲの矯正者ないし宣教師        として機能し、話は、より直線的で、目的論的に展開する。       ・ここで、トゥスの変化に決定的な契機を用意するために設定された人物が、キ        ム・ホチョル(キム・ジョンフン)だ。       ・この人物は、原作にはない人物だが、ヤルゲシリーズに持続的に登場して類似        の役割をする。       ・<高校ヤルゲ>では、トゥスが自分のために足を怪我した貧しいホチョルの代        わりに牛乳配達をして、ホチョルに授業内容を伝えるために勉強を熱心にして、        'ヤルゲ’から‘模範生’へ生まれ変わることになる。       ・このようなホチョルを通じて、1970年代の高校生が持たなければならない未来        に対する抱負が直接的にあらわれたりもする。       ・ホチョルは話す。       ・“あの壮観を作り出している並んだ高層建物は、どのようにしてできあがった         のか?全部血と汗で成し遂げられた奇跡だ。       ・私は、傾斜している坂道を上がったり下りたししながらも、一度も大変だと考        えたことがなかった。       ・足は軽くて、心はいつもすくすく育つだろう。       ・私は、熱心に勉強しなくちゃ。早く育たなくちゃ。       ・そして、あの多くのビルディングの中に飛び込んで、主人公にならなくちゃ。       ・[----]       ・その豊かな明日の世界を築くために、学生時代に熱心に勉強するのだ。"       ・ここで‘勉強’は、学生が遂行しなければならない絶対的な責務であり役目だ。       ・学生は、'豊かな明日’のために勉強しなければならなくて、"北朝鮮の野心に        対処するために”も勉強しなければならなくて、さらに、ガールフレンドと付        き合うためにも勉強しなければならない。       ・映画でインスク(カン・ジュヒ)は、ペク先生の要請で、トゥスの成績が上が        る時まで会ってくれない。       ・このようなインスクの性格や役割も原作とは違った点であり、原作では、イン        スクが非常に凜々しくて主体的な人物として描かれる反面、映画では、トゥス        が模範生に変化する助けになる助力者の姿が浮び上がる。       ・ペク先生の下宿屋であり、トゥスにコーラと牛乳を提供したりもするインスク        の家という店の看板が、"消費者のための近代化チェーン店 シンジン食品”        であることは、象徴的だ。       ・このような特性は、トゥジュ(チョン・ユニ)やおばあさん(ハン・ウンジン)        など、他の女性人物からも共通してあらわれて、これは、当時、女性に要求さ        れた役割と地位を推察させる。       ・ナ教授が、数学を嫌うトゥスを置いて、自分に似ていると話す原作と違い、映        画では、最後に至ってトゥスの善行を見て、"やはりそいつは私に似ているよう        だ。”と誇らしげに言うのは、女性人物の役割とコインの裏表面をなすもので、        この映画の目的論的な叙事が、‘お父さんの秩序’を指向していることを表わ        している。       ・このような指向が、当代の価値観を反映して共感を引き出して健全な映画とし        て安らかに享有されることができる基盤を形成したことは間違いないが、それ        だけでは、この映画が持続的な人気を呼ぶことができた理由を説明できていな        い。       ・大衆映画が、しばしばそうであるように、この映画が大衆の欲望と接続できた        魅力は、表面的な主題の裏面にさらに多く存在する。       ・まず、トゥスを巡るブルジョア的な生活環境と先端風俗が挙げられるはずだ。       ・トゥスは、教授のお父さんとチェロを専攻する姉を持つ一男一女の家庭(原作        では、一男二女)の一人息子で、2階建ての家に住み、ミッションスクールに        通い、自転車サークルで女子学生たちと週末ハイキングに出かけたり、友人た        ちと会う場所としてパン屋を愛用したりする。       ・また、親友ヨンホは、病院長の息子でヤルゲであり、ブルジョアという点でト        ゥスと共通的だ。       ・彼らの家庭は、幸せな中産層家庭の模範として羨望の対象になることに値する。       ・そういう羨望に近代化の欲望が内蔵されていたことは、簡単に察することがで        きる。       ・一方、そういう環境の中で、トゥスが行うヤルゲは、近代化に向かった欲望の        裏面の欲望、すなわち、速度の遅延や秩序からの逸脱欲望と接続する。       ・だが、その欲望の危険性は、笑いを通じて緩和され、結局は、トゥスの変化を        通じて既存秩序に対する賛美として結末を見て、安らかな快楽に転化する。       ・都市的中産層の人生で表象される近代化に対する大衆の欲望と、それを攪乱し        て遅延させることができる遊びの欲望が、笑いを通じて統合され、より洗練さ        れた近代的人生に向かった指向として収束される時に発生する安定した快楽構        造が、<高校ヤルゲ>が、1970年代に大衆と和解的に疎通できた秘訣だ。       ・同時にそれは、この映画が、1970年代という時代の風俗と欲望をよく見せる大        衆映画の古典として残ることになった理由でもある。


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