輝国山人の韓国映画
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キム・ホソン
金鎬善
김호선
Kim Ho-seon

1941年 3月9日 咸鏡北道 プクチョン(北清)で出生

      ソンギュングァンン(成均館)大学 国文科 卒業

      日帝時期に抵抗演劇活動をした戯曲作家であり,
      演出家であった叔父さんの影響で,中学生時代
      から演劇に関心を持つ。

      一時オペラ演出家であるチェ・ヒョンミンの影響から
      キム・ジャギョムオペラ団で助演出生活をしたりもし
      た。

1963年 演劇から映画へ関心を移し,映画界に入門

      ユ・ヒョンモク監督のもとで10年間余り助監督
      の仕事をする。

1974年 <幻女> 監督デビュー作
       脚本は,イ・ヨンイル

1975年 <ヨンジャ(英子)の全盛時代> 監督,脚本
       封切り後87日で36万人という当時の最多観客を動員
       下層貧民女性の生を衝撃映像でリアルに描く。
       リアリズム映画の始まりと可能性を投げかけた
       秀作として評価を受ける。

       1976 第5回 現代映画批評家グループ/監督賞

1975年 映画監督ハ・ギルジョンイ・ジャンホイ・ウォンセ,
      ホン・パ,映画評論家ピョン・インシク(辺仁植),
      アン・ビョンソプ,そして小説家チェ・イノ(崔仁浩),
      キム・スンオクなどと映画同人<映像時代>を結成

1976年 <女だけが住む街> 監督

1977年 同人誌<映像時代>を発刊

1977年  <冬の女> 監督
       チョ・ヘイル(趙海一)の同名ベストセラー小説を映画化
       思春期の少女イファが成熟した女性に成長する過程で経るこ
       とになる4人の男たちとの愛情遍歴を描いた映画
       性の解放と新しい性モラルの提示という前衛的素材を扱った。
       入場券が売り切れになる59万人の観客を動員
       イ・ジャンホ監督の<星たちの故郷>(1974)がたてた46万人の
       興行記録を破って当時の最高興行記録を打ち立てた。
       主演のチャン・ミヒは,この作品を契機に韓国女優の全盛時代を
       導く新しいトロイカに浮び上がることになる。

       1978 第14回 百想芸術大賞/監督賞
       1977 第6回 現代映画批評家グループ/監督賞

1978年 映画同人<映像時代>が解体

1979年 <死より深い眠り> 監督

1979年 <夜の賛歌> 監督

1980年 キム・スヒョンチョン・イニョプチョン・ジヨンホン・パ,
      チャン・ミヒチョン・ユニ,ピョン・インシク,チェ・イノなど
      とともに,<第3映像グループ>という集いを作った。

      <第3映像グループ>は,後れた韓国映画の回復のために映画法改正,

      プロデューサーシステムの確立などを主張する一方,新人俳優を養成
      するために新人俳優を共同で募集することもした。

1981年 <三度は短く,三度は長く> 監督,脚本
       制限されたアパート空間を通じて現代人の実状を諷刺的に描写した
       秀作として評壇の好評を受けた。

       1981 第2回 韓国映画評論家協会賞/監督賞

1981年 映画関係者協会 企画室 企画委員


1982年 <熱愛> 監督, 脚色(ホン・パ 共同脚色)

1982年 <冬の女 第2部> 監督
      個人の問題で作品制作上の空白期
      映画法改正などの韓国映画全般にわたった法的問題と関係改善のた
      めの運動に参加

1986年 <泥沼から救った私の娘 2> 企画,監督,脚本

1989年 <ソウルの虹> 監督
       権力層のセックススキャンダルを素材にして興行的な再起に成功した。

       1989 第27回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞,監督賞
       1989 第25回 百想芸術大賞/監督賞

1989年 UIP直配反対闘争委員会 委員長(〜1996年)

1989年 韓国映画監督協会 会長(〜1996年)

1989年 社団法人韓国映画関係者協会 首席副理事長(〜1994年)

1990年 <狂った愛の歌> 監督
       ベトナム戦争に行った恋人を待って生きている女性の精神的葛藤
       を描く。
       興行も失敗し,好評を得られなかった作品

       1990 第35回 アジア太平洋映画祭/監督賞

1990年 韓国著作権協会 理事(〜1997年)

1990年 春史記念事業会 会長,春史映画芸術賞 執行委員会 委員長(〜2001年)

1990年 (株)ハンベク映画社 代表

1991年 <死の讃美> 監督
       我が国最初のソプラノ歌手ユン・シムドク(尹心悳)の短い生涯を
       巨大な制作費と数年の歳月をかけて描いた作品
       監督の才能と演出力を再確認した作品

       1992 第30回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞,監督賞
       1991 第12回 青龍映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞

1992年 社団法人韓国映画関係者協会 理事長代行(〜1993年)

1993年 <アダムが目覚める時> 監督

1993年 <エニケーン> 企画,監督,脚本
       評壇の反応は冷淡だったし,興行でも惨敗してしまった。

       1996 第34回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞,監督賞

1993年 韓国民族問題研究所 理事(〜1997年)

2001年 日本映画批評家協会 アジア親善賞 受賞

2006年 全国映像文化人協議会 理事

2007年 韓国映画監督協会 常任顧問

2018年 第23回 利川春史大賞映画祭/功労賞

 

[監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1974
1975
1976
1977
1979
1979
1981
1982
1982
1986
1989
1990
1991
1993
1996
宦女 [デビュー作]
ヨンジャ(英子)の全盛時代
女だけが住む街
冬の女
死より深い眠り
夜の賛歌
三度は短く,三度は長く
熱愛
冬の女 第2部
泥沼から救った私の娘2
ソウルの虹
狂った愛の歌
死の讃美
アダムが目覚める時
エニケーン

[最終更新] 2015-01-16  



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