輝国山人の韓国映画
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イ・ジャンホ
李長鎬
이장호
I Jang-Ho

1945年 ソウル生まれ(1945.1.16)        父イ・ジェヒョンは,広報処の映画検閲を担当        した公務員        弟は,映画俳優になったイ・ヨンホ 1950年 ソウル クムファ小学校入学       以後,韓国戦争の勃発で釜山に避難し釜山小学校       1学年に入学 1952年 トクス小学校1学年に再入学 1964年 ソウル中,高等学校 卒業 1965年 ホンイク(弘益)大学校在学中に申フィルムに入社        父は,映画俳優にする考えで,1年前に二重ま        ぶた手術をさせ,シン・サンオク監督に会わせ        た。        シン監督の「何がしたい」という質問に,「俳        優」と言えず,「演出がしたい」と言ってしま        う。        こうして映画の演出の勉強が始まった。 1966年 ホンイク(弘益)大学校 建築美術学科 中退 1966年 オ・ソンファンと編集室を運営       ナ・ボンハンの演出補生活を併行 1968年 <お母さんは強い(イ・ソング監督)> 演出補 1969年 <千年狐(シン・サンオク監督)> 演出補 1969年 <李朝女人残酷史(シン・サンオク監督)> 演出補 1969年 <地下室の7人イ・ソング監督)> 監督補 1970年 <晩鐘(シン・サンオク監督)> 演出補 1970年 <恨み凝り固まったトジュ大監> 監督  1970年 <東京の獅子と明洞(ミョンドン)の虎> 監督 1971年 申フィルムを退社       <民族劇団>に入団(〜1972年) 1972年 <孝女シムチョン(沈清)(シン・サンオク監督)> 演出補 1972年 パク・キュエと結婚        監督が1972年に民族劇団に身を置いた時の友人パク・チョンギュの妹        彼女の父は,左翼作家から解禁されたパク・ノガプ        結婚式の祭礼は,映画俳優チェ・ウニが行った。 1973年 <三日天下(シン・サンオク監督)> 演出補 1974年 <星たちの故郷で監督 デビュー        弟であるイ・ヨンホの大学登録金で原作料を支払う。        この映画に関心があったホン・パ監督前で自害する根性を見せて映画化に成功        46万人の観客動員というビックヒット        当時,沈滞していた韓国映画界に波紋を起こす。        70年代のメロドラマの最高傑作        監督自身も主人公の友達役で出演        原作は、チェ・イノ(崔仁浩)の同名の長編小説        1974 第13回 大鐘賞映画祭/新人監督賞        1975 第11回 百想芸術大賞/新人監督賞 1974年 <昨日降った雨> 監督        16万の観客を動員して興行に成功し,チュンムロ(忠武路)の嘱望受ける新人        として脚光を浴びた。        1975 第14回 大鐘賞映画祭/新人 奨励部門 1975年 ハ・ギルチョン, ピョン・インシク(辺仁植), キム・ホソンホン・パイ・ウォンセなどと       映画同人グループ<映像時代>を組織し、新映画運動を展開       季刊誌<映像時代>を2年間に3回発行 1975年 <君もまたひとつの星となり> 監督 1976年 <それでは今日はさようなら> 監督,脚本        どちらも興行と批評の両面で失敗 1976年 大麻草喫煙嫌疑で文化観光部から監督職を剥奪される。       この時期に文化映画3編,シナリオ, 脚色, 劇映画企画, 漫画映画企画       営業, 広告映画, 雑誌寄稿など多様な活動を行う。       この4年の空白期間,ヨム・ムムンの民衆文学評論集など,人文, 社会科学       の諸本を読んで社会的な認識を広めた。 1977年 <蝶少女(ソン・ヨンス監督)> 原作 1978年 <屋根の上の男(パク・ナムス監督)> 脚本 1979年 12月 監督職を復権 1980年 <風吹く良き日 監督,脚本        南大門市場を背景にむやみに上京した若者達が体験する苦痛と疎外を感動的かつ        感覚的に捕捉した本格的な社会映画        評壇の賛辞を受け,再起に成功した。        1980 第19回 大鐘賞映画祭/監督賞 1981年 <彼らは太陽を撃った> 監督,脚本        1960年の九老洞(クロドン)強盗事件という実際事件を素材にした作品 1981年 <暗闇の子供たち> 監督,脚本        民衆小説という名の下に自伝的体験を実名小説で発表して社会的に大きな方向性を        示したイ・ドンチョルのベストセラーの映画化        私娼街に追い出された底辺人生の人物を描いた。        第5共和国のものものしい検閲ゆえに清涼里の淪落街売春婦の話で狭まり社会性を        人に頼ったエロ映画という酷評を受けた。 1982年 <低きところに臨みたまえ> 監督,脚本        しだいに視力を失くしていく牧師役の俳優イ・ヨンホは実の弟で,        実際に似た病気を病んでいて話題を呼んだ。        1982 第18回 百想芸術大賞/作品賞,新人賞(イ・ヨンホ),主題歌賞     1982 第21回 大鐘賞映画祭/作品賞(文芸部門),美術賞,特別主題歌賞 1982年 <コバン村の人々ペ・チャンホ監督)> 企画 1983年 <一松亭の青松は> 監督     第20回 百想芸術大賞/シナリオ賞(ペク・キョル)     1982 第21回 大鐘賞映画祭/特別賞イ・ボヒ(新人部門(劇)/演技)     1982 第21回 大鐘賞映画祭/美術賞(チョ・ギョンファン)     1982 第21回 大鐘賞映画祭/啓蒙部門 作品賞 1983年 <馬鹿宣言 監督,出演        元来 <暗闇の子供たち2>というリアリズムドラマで出発したが,事前審議段階で        返還され,ブラックコメディとして方向を変えて誕生        監督自身もオープニングシーンで自殺する監督役で出演        1984 第19回 シカゴ国際映画祭 OUTSTANDING OF MERIT賞        1988 第38回 ベルリン国際映画祭 ヤングインターナショナルフォルム部門/ZITTY賞 1983年 <寡婦の舞> 監督,脚本        興行的には、失敗した。 1984年 独立制作社<イ・ジャンホ ワークショップ>を設立(〜1985年) 1984年 <膝と膝の間> 監督,脚本,出演        監督自身も精神科医師役で出演 写真(下) 1985年 <哀恋妃 【オウドン(於宇同)】> 監督       第58回 アカデミー賞/最優秀外国語劇映画部門受賞       1986 第22回 百想芸術大賞/演技賞(イ・ボヒ) 1986年 <パン映画社>を設立,代表理事(〜2000年)        芸術性と娯楽性を追求するという旗じるしの下に設立した。        護憲撤廃運動の活動 1986年 <恐怖の外人球団 【李長鎬の外人球団】>で制作デビュー        監督は,歌手チョン・ヨンロクから聞くまで,イ・ヒョンセ        (李賢世)のこの人気漫画があることも知らなかった。        興行鬼才の席を確かに固めた作品 1986年 <近くさらに近く(キム・ヨンヒョ監督)> 企画 1986年 中部(チュンブ)大学校 演劇映画科 副教授(〜2000年8月) 1987年 <旅人は休まない 【旅人は道でも休まない】> 制作,監督,脚色        1988 第24回 百想芸術大賞/特別賞        1988 第8回 韓国映画評論家協会賞/撮影賞        第2回 東京国際映画祭/国際映画批評家連盟賞        1988 第38回 ベルリン国際映画祭 ヤングインターナショナルフォルム部門 カルガリ(CALIGARI)賞 1987年 <Yの体験> 制作,監督 1987年 交通事故で活動中断 1988年 <イ・ジャンホの外人球団2(チョ・ミニ監督)> 制作総指揮        興行的には,失敗した。 1988年 <カムドン> 制作総指揮 1989年 UIP直配反対闘争に参加       芸術映画館<ハンマダン>で<イ・ジャンホ映画祭>を開催 1989年 <ミス・ユニコーン 【ミス・コプルソとミスタ・コランド】> 企画,制作,監督        興行的には,失敗した。 1991年 <ハンドバッグの中の話(ソン・ヨンス監督)> 制作 1991年 <チクチギの明日はチャンピオン(チョン・ユソン監督)> 企画 1991年 <誰が龍の爪先を見たのかカン・ウソク監督)> 原案 1992年 <森の中の部屋(オ・ビョンチョル監督)> 制作総指揮  1992年 <ミョンジャ・明子・ソーニャ> 監督     1992年 よい映画     1992 第13回 青龍映画賞/助演賞(イ・ヘヨン)     1992 第3回 ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭 オープニング     1992 第30回 大鐘賞映画祭/音楽賞,企画賞,助演女優賞(イ・ヘヨン) 1995年 <天才宣言> 監督,脚本        1995 第9回 基督教文化大賞 映画部門 1996年 中部(チュンブ)大学校 芸術学部 演劇映画学専攻 副教授 1996年 韓国映画研究所 理事(〜2000年8月) 1996年 12月 アートセンター映画学校 共同設立,事務総長運営委員 1997年 第1回 富川国際ファンタスティック映画祭 執行委員長 1997年 プチョン(富川)市映像都市化 Project 研究員 1997年 中部(チュンブ)大学校 芸術学部 演劇映画学専攻 教授 1999年 創作オペラ<ファン・ジニ(黄真伊)>を演出 2000年 <ダイ・バッド 〜死ぬか,もしくは悪(ワル)になるか〜 (リュ・スンワン監督)>        ソンビンの父役で特別出演 写真(上) 2000年 9月 チョンジュ(全州)大学校 映像コンテンツ学部 映画映像専攻 教授 2001年 第37回 百想芸術大賞 映画特別賞 受賞 2002年 11月 ソウル市文化賞 授賞 2003年 <大韓民国憲法第1条 (ソン・ギョンシク監督)> 企画 2003年 <人生の逆転パク・ヨンウン監督)> 出演 2003年10月 玉冠(オックァン)文化勲章 授章 2006年 第10回 プチョン(富川)国際ファンタスティック映画祭 執行委員長 2007年 <私の生涯で最悪の男 (ソン・ヒョニ監督)> 制作理事 2010年 <ハクナ マタタ−チナリ物語 (イ・チャンギュ監督)> 本人役で出演 2010年 2月 第3代 ソウル映像委員会 委員長 2011年 <苦しいが美しい> 監督 2011年 4月 2011キョンギ(京畿)国際航空展 広報大使 2011年 7月 2012慶尚南道 コソン(固城)恐竜世界エキスポ 広報大使 2011年 <マスタークラスの散策> 監督 [オムニバス映画]         ・失明(イ・ジャンホ監督)         ・處容舞(チョヨンム)(イ・ドゥヨン監督)         ・イ・ホンのオディセイ(チョン・ジヨン監督)         ・迷夢(パク・チョルス監督) 2013年 <神の眼の下(もと)に> 【視線】 監督 2013年 4月12日 韓国放送芸術教育振興院(前:韓国放送芸術振興院)副学長 2014年 第11回 ソウル国際サラン(愛)映画祭 功労賞 2019年 第6回 韓国映画制作家協会賞/功労賞 受賞 [最終更新] 2020-10-23

[監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1970
1970
1973
1974
1975
1976
1980
1981
1981
1982
1983
1983
1983
1984
1985
1986
1987
1987
1989
1992
1995
2011
2011
2013
恨み凝り固まったトジュ大監
東京のライオンと明洞の虎
星たちの故郷 [大鐘賞(13)/新人賞]
昨日降った雨 [大鐘賞(14)/特別賞 新人奨励部門]
君もまたひとつの星となり
それでは今日はさようなら
風吹く良き日 [大鐘賞(19)/監督賞]
彼らは太陽を撃った
暗闇の子供たち
低きところに臨みたまえ大鐘賞(22)/監督賞,作品賞(文芸部門)]
一松亭の青松は [大鐘賞(21)/作品賞(啓蒙部門)]
馬鹿宣言
寡婦の舞
膝と膝の間
哀恋妃 【オウドン(於宇同)】
恐怖の外人球団 【李長鎬の外人球団】
旅人は休まない 【旅人は道でも休まない】
Yの体験
ミス・ユニコーン 【ミス・コプルソとミスタ・コランド】
ミョンジャ・明子・ソーニャ
天才宣言
苦しいが美しい
マスタークラスの散策
神の眼の下(もと)に 【視線】


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