輝国山人の韓国映画
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旅人は休まない

癸亥の年(1983年)が暮れていくある日,下級公務員のヤン・スンソク(キム・ミョンゴン)は,押し入れの奥まった所から3年前に死んだ妻の遺骨を取り出し,北朝鮮との国境に近い江原道の「ムルチ」というところにやってくる。

朝鮮戦争で孤児となった妻の遺骨を北の故郷にばら撒く場所をさがすが,思いは遂げられない。

スンソクは,国境近くの宿で,寝たきりの老人とその付き添い看護婦のチェ(イ・ボヒ)と出会い,休戦地帯のウォルサン(月山)まで連れていってくれと頼まれるが,断る。

国境線を越えられず,あてのない旅の途中で自分に近づいた女性が二人も死に,スンソクは,老人と看護婦の後を追う・・・。

セピア色の画面が,とても印象的である。

[制 作 年] 1987年 [韓国封切] 1988年 [原 題] 旅人は道でも休まない 나그네는 길에서도 쉬지 않는다 [英 語 題] A Man with Three Coffins       A Wanderer Never Stops on the Road [ジャンル] ドラマ [原 作] イ・ジェハ(李祭夏)「旅人は道でも休まない」       1985年 第9回 イ・サン(李箱)文学賞 受賞作 [脚 本] イ・ジャンホ [監 督] イ・ジャンホ [第15作] [助 監 督] ユ・ヒョクチュ,シン・ヨンヒ,パク・クァンス [撮 影] パク・スンベ(朴承培) [照  明] キム・ガンイル [編  集] ヒョン・ドンチュン [音 楽] イ・ジョング [美 術] シン・チョル,ワン・スギョン [出 演] イ・ボヒ       → ミセス・チェ(崔) 看護婦  写真(左)                    ヤン・スンソク(楊淳錫)の妻                    若い女     キム・ミョンゴン   → ヤン・スンソク(楊淳錫)   写真(右)      コ・ソルボン     → 会長     チュ・ソクヤン    → ムルチ食堂の主人     ユ・スン       → 常務の運転手     クォン・スンチョル  → 常務     キム・デファン    →     イ・ウニョン     →     キム・ソネ      →      イム・グィリョン   →     クォン・ヨンウン   → 登山客     イム・ヨンギュ    →     チョ・ソンムク    →     ノ・インリョン    →     チェ・ギョンア    →     ウォン・ミソン    →     パク・ヨンス     →      キム・セチャン    →     オ・スンファン    →       特別出演     ウ・オクチュ     → ムーダン(巫堂) [受  賞] 1988 第24回 百想芸術大賞/特別賞       1988 第8回 韓国映画評論家協会賞/撮影賞       1987 第2回 東京国際映画祭/国際映画批評家連盟賞       1988 第38回 ベルリン国際映画祭 ヤングインターナショナルフォルム部門/カルガリ(CALIGARI)賞 [映 画 祭]       ニューヨーク映画祭       2002 第6回 富川国際ファンタスティック映画祭 韓国映画回顧展部門 上映作品 [時 間] 104分 [観覧基準] 年少者 不可 [制 作 者] イ・スンホ  [制作会社] (株)パン映画社 [ビ デ オ] ポニーキャニオン [レンタル] 過去には、VHSのレンタルがありました。 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=ly1GqgJGWpc [Private ] Jd-8Video [お ま け] ・イ・ボヒは,前作(恐怖の外人球団)の財閥の娘役(高校生役は少々無理があった!)        から,うって変わって,人生に疲れた看護婦を演じている。少々ねじれた性格の女性        の役が,イ・ボヒの真骨頂である。      ・福岡市総合図書館 所蔵作品       ・特集        ロード・ムービー/旅する映画 上演作品        (福岡市綜合図書館 映像ホール シネラ 2000年3月)      ・通常上映 韓国映画特集       図書館収蔵の80年代以降の韓国映画の特集 上演作品        (福岡市綜合図書館 映像ホール シネラ 2022年4月)       韓国映画データベース(KMDb)より引用       制作後日談       ・イ・サン(李箱)文学賞審査委員だったコリョ(高麗)大学校仏文科キム・ファヨン教        授が、原作小説を映画で作ってみたらと推薦したという。       ・演出に入る前から興行を念頭に置かないで作品性だけを考慮したとイ・ジャンホ監督は        回顧している。       ・それで地方業者にこの映画を必ず売る考えがなかったために、少ない制作費で映画を作        らなければならなかったし、キム・ミョンゴンとイ・ボヒも既存出演料の3分の1に該        当するお金で出演を受諾したという。       ・イ・ジャンホ監督は、黄土色モノクロームの雰囲気を生かすために映画振興公社現象室        では可能でなく、日本のトエイ現像所に任せたという。       ノート       ・イ・ジャンホ監督特有の前衛的で実験的な映像美学と派手なテクニックが引き立って見        える夢幻的な映画       ・黄土色のロングテイクときらびやかなカメラワークのフラッシュバック、エコ効果のサ        ウンドの幻想的技法に力づけられて夢幻的で抽象的な映画になったこの作品は、説明的        なナレーティブを完全に無視している。       ・このような雰囲気の中で、非論理的で土俗的な巫俗信仰と分断の現実の中に北の故郷に        対する強い念願が反映された。       ・このような巫俗信仰の夢幻的な雰囲気は、分断という状況が個人のことでなく関連して        循環するという事実を暗示している。       ・もちろん分断と離散の痛みに対する現実認識が濃厚に敷かれているが、この映画で何よ        り引き立って見えるのは、非現実的な美学的実験だ。       ・暗褐色フィルターを活用した映画全体に流れる黄土色、飛び散り降りしきる雪と重なる        遺骨のイメージ、川の水の表面からわき上がる水蒸気、夢のように続くエコサウンドを        活用したフラッシュバック、幸せな結合を遮る二重に焼き付けられた手の平、サウンド        トラックで使われたパンソリなどは、韓国映画で全く登場しなかった新しい映像実験と        リズムを見せてくれた。       ・特に最初の場面と最後の場面に繰り返されるイ・ボヒとキム・ミョンゴンのボイスオー        バーの上に長く立ち並んだ道のイメージをロングテイクで捉えた場面は、どこにも定着        できず、道の上の生活を送るほかはない離散民の苦痛を美しく描き出している。       ・また、死んだ夫人と若い女、看護師役の1人3役を引き受けたイ・ボヒは、“イ・ボヒ        の全て”という当時の広報文面そのままに彼女の真価を見せている。       韓国映画傑作選 旅人は道でも休まない:4月の映画 イ・ジャンホ、1987                   by.クォン・ウンソン(映画評論家) 2021-04-02       ・イ・ジャンホは、70年代'映像時代'活動とともに‘青年映画の旗手’であり‘最初のス        ター監督’と呼ばれた時代的な文化アイコンだった。       ・特に80年代は、イ・ジャンホの全盛時代であった。       ・‘80年の春’、4年余りの空白を破って発表した<風吹く良き日>は、当時の青年映画        関係者の教科書であった。       ・その時代に発表された‘80年代韓国映画ベスト10’には、彼の映画が4編も選ばれた。      ・<風吹く良き日>、<馬鹿宣言>、<寡婦の舞>とともにその目録に含まれた映画が、       まさに<旅人は休まない>だ。      ・85年度'イ・サン(李箱)文学賞'を受賞したイ・ジェハの短編小説を映画に移した。      ・85年の映画制作自由化施行以後、彼が設立したパン映画社で制作したが、87年にやっと        ハリウッド劇場で封切りをしたが、観覧数字は微小だった。      ・その時代の支配的な韓国映画観覧体験の中で、この映画は見慣れなかった。      ・オープニング・シークエンスから、映画は、安らかな観覧行為を許さない。      ・秀麗だが、その秀麗ということをセピアトーンでトーンダウンさせた江原道の山道をエ        クストリーム・ロングショットのロングテイクで撮ったことは、あたかも停止したスチ        ールのようだ。      ・画面の左へ遠景から伸びた道で、男と女が、そして一群れの子供たちがゆっくり近づく。      ・しかし、画面の前の最も近い距離に到達する時まで彼らは識別されない。      ・合わせて映画が始まるやいなや、他の内在的サウンドが消去された状態で、あたかもボ        イスオーバーのように遠近感なしに聞こえてくる男と女の対話の声は、現在、彼らが交        わす会話のように見られるが、同時にイメージと非同調化されたサウンドのように見え        たりもする。      ・因果法則に基づかない叙事の進行、行為に対する動機と説明の希薄さ、現実と幻覚の境       界を消すショットの配列、劇的な流れと脈絡を断絶させるモンタージュ・シークエンス       は、視空間的統一性と連続性の感覚を乱して、シャーマニズム的な運命論的世界観の描        写とかみ合わさって、終局には、不可解な再現の地点に至る。      ・映画は、大きく黄土色のモノクロームと青いモノクロームで処理された二つの意味系列        体で構成されている。      ・いくつかの時間的再配置があって、間歇的に現実と幻覚の境界を崩す主観的場面が含ま        れているといっても、黄土色モノクロームの世界は、概して3泊4日の旅程を歴史的に        見せる映画的現在を再現する。      ・反面、その黄土色の視空間を切断して、隙入する青いモノクロームの意味系列体は、人       物の回想、主観的フラッシュバック、意識の流れ、運命的暗示のような現在の時制を抜        け出して、衝突して運動するイメージの配列だ。      ・イ・ジャンホは、<馬鹿宣言>で実験した即興的で連想的な演出法を再導入するが、        <旅人は休まない>でそういう演出方式は、明確な座標なく江原道を飛び交って予期で        きない事件に直面する人物を描くのは、大変よく合うとみられる。      ・ケソン(開城)が故郷である男と戦争のせいで故郷がどこかを正確に知らない妻、休戦       ライン付近のウォルサン(月山)が故郷である老会長、すべて戦争によって離散を経験        した人々だ。      ・ソクチョ(束草)、ウォントン(元通)、カンヌン(江陵)、キョンポ(鏡浦)、イン        ジェ(麟蹄)に至る映画的空間でも、ウォントン(元通)、ソクチョ(束草)などは、        分断とその結果である休戦ライン下の村だ。      ・映画は、このような空間の地政学的な意味を鋭敏にとらえる。      ・例えば、旅行初日に男が妻の遺骨を海辺にばら撒こうとしたが、軍人の制止にあって、       結局、撤収するとか、カンヌン(江陵)で慶尚道なまりを使って刺身を売るチョンジュ        (全州)食堂の社長が、"戦争のせいで私のようになった人々が、一人か二人か"と反問        することなどだ。       ・ここで一歩進んで、いくつかの場面は、自由連想と自動技法でこのような歴史的な地政        学的トラウマ意味を記入する。      ・白砂場に置いたカバンの中の妻の遺骨を眺めた視線が、“故郷はウォンサン(元山)で        はないわ”という妻の声のサウンドと連結されれば、カンヌン(江陵)近海上で砲火と        避難行列を収めた朝鮮戦争当時のニュースリールがオーバーラップされる。       ・そして映画の中盤部、視線の主体が分からない一連の国道イメージのモンタージュ・シ        ークエンスの果てに、私たちは、国防限界線と床板がなく切れた橋と向き合うことにな        る。      ・そういう試みは、今日の観点でも大胆だ。       ・映画全体にかけて散布されている分断のトラウマが、映画的に主要な背音(バックグラ        ウンドミュージック)を成し遂げているならば、後半部に行くほどシャーマニズム的な        運命というまた他の背音(バックグラウンドミュージック)が刃が鋭くなったような感        覚で強化される。       ・男の主体の中心がないこと、あるいは浮遊は、失郷と喪妻の中層決定の結果だ。       ・失郷の感覚は、妻の死と二重で露出していて、それと連合した喪失感と罪悪感は、露呈        し偶然にあうことになる売春女と‘若い女’、そして‘ミセス・チェ’に投射される。        (妻、‘若い女’、‘ミセス・チェ’は、全部イ・ボヒが演技する。)      ・叙事が進行されるほど、映画は、チェが何年か前に受けた占卦、すなわち“年齢30歳        に水辺で棺を3つ担った男に必ず会う、彼が前世の夫”という運命論的な予言に向かっ        て行くが、実際のところ若い女とチェはすべて妻のダブルだ。      ・彼と昨夜に関係を持った‘若い女’の死は、妻の死に対する幻視で代替される。      ・チェが、故郷に言及して“アウラジ河を知ってますか”といつか死んだ妻がした話を同       じように男に渡す時、チェは、正確に妻のドッペルゲンガーとして確証される。      ・‘ミセス・チェ’という人物は、徹底的に代理補充的なのに、彼女は、これまでの2年       間、中風患者である会長の‘人間ホット・バック’として彼が欠如した、あるいは喪失       した温かみ、活力、故郷の温もりを代理補充してきた。      ・その役割は、社長の息子が特派した常務に引きずられて行って会長が手から落としてし       まった古い写真と機能的に同じだ。      ・また、彼女は、男には死んだ妻の代理補充であり、最後には、オググッの中、神がかり       になることによって魂に身体をあたえる、死霊の代理補充の役割になる。      ・結局、男の主体性の危機は、復旧しなくて破局をむかえるが、それは死んだ妻の代理補       充では、完全な哀悼作業を完遂できないためだ。      ・最後の場面に達して完遂することができない個人的であると同時に集団的な哀悼作業は、       神がかりの形態でチェに転移して、民族的な解寃の重さは、彼女の巫俗連行にまかせる。      ・イ・ジャンホの80年代の作品年譜には、社会的参加意識が強いリアリズム系列の映画と       大衆なだれ現象的な興行映画、そして作家意識が溶け込んだ映画が交差した。      ・‘黄土色モノクローム映画を一編撮りたい’というロマンを実現しようとイ・ジャンホ       が直接制作した<旅人は休まない>は、初めから地方興行業者の投資を受けるつもりは       なかった。      ・その結果、彼の作品年譜で、そして韓国映画史でとても見慣れない特別な瞬間を作り出        した。


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