輝国山人の韓国映画
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1940年 4月6日 出生 シナリオ作家として映画界に入門した後、キム・スヨン監督の助監督 として10年間仕事をした。 1965 あの空にも悲しみが 1965 浜辺の村 1967 ある女優の告白 1967 霧 1967 山火事 1968年 東亜日報新春文芸シナリオ部門入選作であるシナリオ<水田地帯>が キム・スヨン監督によって映画化されてシナリオ執筆能力を認められた。 1971年 <失われた季節> [第1作] 新鮮なカメラタッチと演出での努力が引き立って見えるという言論の評価を受けた。 1972年 <岐路> [第2作] 1972年 <君と僕> [第3作] 1973 第10回 青龍映画賞/新人監督賞 1973年 <芳年十八歳> [第4作] 1973年 <夕陽を背に旅立つ> [第5作] 1973年 <特別捜査本部 ペ・テオク(「泰玉)事件> [第6作] 1974 第10回 百想芸術大賞/監督賞 1974年 <特別捜査本部 キム・スイム(金壽任)の一生> [第7作] 反共プロパガンダ映画 1974年 <お父ちゃんと僕と> [第8作] 1974年 <会わねばならぬ人> [第9作] 1974年 <ムショ暮らし> [第10作] 1975年 キム・ホソン、ピョン・インシク、イ・ジャンホ、ハ・ギルチョン、ホン・パなどとともに 若い映画関係者の集いである<映像時代>を作って、新しい映画美学と価値観を模索する映像 運動を広げた 1975年 <人間団地> [第11作] 1975年 <特別捜査本部片腕のキム・ジョンウォン(金鍾元)> [第12作] 1975年 <花と蛇> [第13作] 1976年 <木馬と淑女> [第14作] 1976年 <光化門通りの子ども> [第15作] 1977年 <母のいない空の下で> [第16作] 1977年 <続・母のいない空の下で> [第17作] 1977年 <ワニの恐怖> [第18作] 1978年 <渡り鳥たちの祭> [第19作] 1978年 <ひよこ達のお祭り> [第20作] 1979年 <地獄の要塞 コマンド6 【戦友が残した一言】> [第21作] 1979年 <ピーナツの皮の中の恋歌> [第22作] 1979年 <帆柱も上げずに> [第23作] 1980 第16回 百想芸術大賞/監督賞 1979年 <太陽を盗んだ女> [第24作] 1980年 <天が呼ぶ時まで> [第25作] 1980年 <毎日死ぬ男> [第26作] 1981年 <小さなボール>
[第27作] 1982 第18回 百想芸術大賞/監督賞 1981年 <あなたの前で再び立ちたい> [第28作] 1982年 <ハワイの行方> [第29作] 1982年 <寂しい狩人 【心は孤独な狩人】> [第30作] 1983年 <三日三晩> [第31作] 1984年 <あの夏の最後の日> [第32作] 1984 大鐘賞(23)/作品賞(反共部門) 1984年 <異邦人> [第33作] 1985年 <白昼の地獄罠 レイプされた姉妹 【女王蜂】> [第34作] 反米的内容を含んでいるという理由で政権から弾圧を受けた。 米国に移民をし、ニューヨークに居住 2019年 <100×100> 監督 [第35作] 韓国映画監督100人が100秒の短編映画100編を製作する韓国映画100年記念映画製作プロジェクト 2021年 第26回 春史映画祭/功労賞 2023年 死去 [監督作品]
制作年 | 作 品 名 【原 題 名】 |
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1971 1972 1972 1973 1973 1973 1974 1974 1974 1974 1975 1975 1975 1976 1976 1977 1977 1978 1978 1978 1979 1979 1979 1979 1980 1980 1981 1981 1982 1982 1983 1984 1984 1985 |
失われた季節 岐路 君と僕 芳年十八歳 夕陽を背に旅立つ 特別捜査本部 ペ・テオク(「泰玉)事件 特別捜査本部 キム・スイム(金壽任)の一生 お父ちゃんと僕と 会わねばならぬ人 ムショ暮らし 人間団地 特別捜査本部片腕のキム・ジョンウォン(金鍾元) 花と蛇 木馬と淑女 光化門通りの子ども 母のいない空の下で ワニの恐怖 続・母のいない空の下で 渡り鳥たちの祭 ひよこ達のお祭り 地獄の要塞 コマンド6 【戦友が残した一言】 ピーナツの皮の中の恋歌 帆柱も上げずに 太陽を盗んだ女 天が呼ぶ時まで 毎日死ぬ男 あなたの前で再び立ちたい 小さなボール ハワイの行方 寂しい狩人 【心は孤独な狩人】 三日三晩 あの夏の最後の日 異邦人 白昼の地獄罠 レイプされた姉妹 【女王蜂】 |
[最終更新] 2023-11-30