輝国山人の韓国映画
<Home>へ

キム・スヨン
金洙容
김수용
Kim Su-Yong

1929年 9月23日 京畿道 アンソン(安城)でキム・ジュノクと       イ・グムソンの3男3女のうち長男として出生       シムサン小学校       青少年時期から文学に深い関心を持って色々な作家の小説を       渉猟した。       その中でも<雪国>を書いた川端康成の作品が好きだった。       実際にさまざまな小説を書いたりもして,習作の中の一つで       ある<K先生の肖像>は,1950年代初めの唯一の文壇登用雑       誌であった<文芸>に応募し,審査委員から良い評価を受け       ることもした。 1946年 アンソン(安城)公立農業学校3学年 修了        3学年の時に解放になり,アンソン(安城)の劇場舞台を借        りて3.1運動に関する演劇<大地の朝焼け>戯曲を書いて,        主演・演出をした。 1950年 ソウル師範学校 本科(現:ソウル師範大学) 卒業        演劇部に入ってシェークスピア,モリエール,イプセンの戯        曲とユ・チジン作<春香伝>,<祖国>などを舞台に上げる        かと思えば,<春香伝>では,主人公イ・モンニョン(李夢        龍)役で出演して話題を集めた。 1950年 11月28日 6・25(朝鮮戦争)従軍 1951年 陸軍中尉を任官(英語通訳将校) 1954年 休戦以後,国防部政訓局に配置され,戦史編纂作業をする。       その時新設された映画課に異動し,映画と縁を結ぶことになる。 1955年 4月30日 国防部 軍映画撮影所 1955年 映画課の課長だったソン・ウフィの指揮の下,大尉階級章を付       けて当時パク・チョンヒ(朴正煕)少将がいた師団を背景にし       た<10分間の休息>のほか,<忘れずにいよう6.25>,無名       時代のオム・エンナンが出演した<ユン中佐の手記>>など,       30本余りの軍の記録映画と劇映画を作って映画の勉強をする。 1957年 文官だったヤン・ジュナム監督が,派遣学習の形式で映画<ペベ       ンイグッ>の助監督に抜擢し,演出授業を始める。       <ペベンイグッ>は,黄海道一帯に伝わる民俗劇の一つで,イ・       ウングァンとチョン・エランが熱唱した。       助監督としてイ・ウングァンが乗ったロバの馬夫役まで行った。 1958年 <恐妻家> 監督        娘の婚礼を巡って妻(ペク・クムニョ)と不和中の中で,自ら        の食堂の向い側に新装開業した競争者の出現まで重なって頭が        痛いコムタン店テソン館の主人(チャン・ソピル)が逆転の機        会をつかんで,総てうまく解決していくというハッピーエンド        のコメディ        劇映画監督デビュー作        当時,まだ軍人身分だったせいで,土曜日の午後退勤して,月        曜日の明け方に来隊する時まで撮影を押し切るスケジュールだ        った。 1958年 大尉予備軍 編入 1959年 <三人の新婦> 監督 1959年 <青春配達> 監督 1959年 <愛想> 監督 1959年 <求婚決死隊> 監督 1960年 <恋愛戦線> 監督 1960年 <帰ってきた男> 監督        モーパッサン原作の<初恋>を脚色 1960年 <捨てられた天使> 監督 1961年 <夫婦読本> 監督 1961年 <ク・ボンソ(具鳳書)のにわか成金> 監督 1961年 <一途な心で> 監督 1962年 <ブラボー青春> 監督 1962年 <孫悟空> 監督        香港との合作映画 1962年 <思春期よ アンニョン> 監督 1963年 <婚約女> 監督 1963年 <フライボーイ 無銭旅行記> 監督 1963年 <クルビ(いしもち)> 監督        結婚した子供たちを探して上京した老夫婦の哀歓を通じて親孝行        問題を提起したキム・スンホファン・ジョンスン主演の映画で,        演出家としての能力を認められ始めた作品 1963年 <私の妻が最高だ> 監督 1963年 <青春教室> 監督        はつらつとしたハイティーンのロマンと揺れる心を描いた作品        原作は,日本の石坂洋次郎の小説「あいつと私」 1963年 <血脈> 監督        越南同胞が集まって住む解放村を舞台に,日雇い労働に頼って生き        ていくその日暮らし人生の多様な姿を通じて,故郷に帰れない民の        悲哀と拝金思想を描いた作品        (主演:キム・スンホ,ファン・ジョンスン,キム・ジミ)        1963 第1回 青龍映画賞/最優秀作品賞        1964 第3回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞 1963年 <お金パラム 恋人パラム> 監督 1964年 <阿片戦争> 監督 1964年 <お前が優秀で美人か> 監督 1964年 <危険な肉体> 監督 1964年 <月給袋> 監督 1964年 <学生夫婦> 監督 1964年 <女19歳> 監督 1965年 <赤字人生> 監督 1965年 <末娘> 監督 1965年 <相続者> 監督 1965年 <翼夫人> 監督 1965年 <本家> 監督 1965年 <浜辺の村> 監督        オ・ヨンスの小説を映画化        暴風雨に会って帰ってこない魚取りの夫のために青孀寡婦(年若        い未亡人)になった女性の凱歌と帰郷を描いた作品        (主演:コ・ウナシン・ヨンギュン)        1966 第5回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞        1966 第2回 韓国演劇映画芸術賞/作品賞,監督賞        1966 第9回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        1966 第1回 ペクファ映画賞/作品賞,監督賞        ソウル市文化賞 1965年 <第3の運命> 監督 1965年 <あの空にも悲しみが> 監督        賭博に陥った父と家出した母に代わって三兄弟姉妹の家長になって        生活戦線に飛び込んだ少年家長の視線で見た社会現実の断面図を描        いた作品で,小学校4年生イ・ユンボク(李潤福)の日記を原作と        している。        (主演:キム・チョンマン)        1965 第3回 青龍映画賞/監督賞,最優秀作品賞 1966年 <有情> 監督        イ・グァンス(李光洙)の小説が原作で,日本でロケが行われた。        封切りの1966年だけで,ソウル観客33万人を動員する興行記録を        おさめた作品        ナム・ジョンイムのデビュー作 1966年 <学士キーセン(妓生)> 監督 1966年 <望郷> 監督 1966年 <恋愛探偵> 監督 1966年 <さようなら日本の地> 監督 1967年 <満船> 監督        漁夫の貧困を自然環境のせいでなく構造的な問題としてリアリズム        の手法で描いた作品 1967年 <道に迷った渡り鳥> 監督 1967年 <ある女優の告白> 監督 1967年 <恋人> 監督 1967年 <山火事> 監督        チャ・ボムソクの戯曲を映画化        掃討作戦が展開する閉じ込められた極限状況の中で,竹林に身を隠        した一人のゲリラをめぐって,二人の女性が愛と葛藤を繰り広げる        という本能的欲望によって飼育される人間の姿を描いた作品        1967 第5回 青龍映画賞/作品賞] 1967年 <氷点> 監督        三浦綾子の小説「氷点」を映画化 1967年 <告発> 監督        北朝鮮中央通信の副社長イ・スグン(李穂根)の亡命事件を元に制作        された作品で,自由を求めるイ・スグンが北朝鮮の恐怖政治と非人道        性を告発するという内容の反共映画        しかし,その後,イ・スグンは,偽装スパイの罪で死刑宣告を受け,        刑が執行されたため,下記の賞も取り消された。        1967 第6回 大鐘賞映画祭/男優主演賞(パク・ノシク)                     反共映画脚本賞(チョ・ムンジン)   1967年 <> 監督        キム・スンオク(金承ト)の「霧津紀行」が原作        霧の深い田舎の村を舞台に現代人の利己心と心の彷徨を描いた作品        1967 第14回 アジア映画祭(東京)/作品賞,監督賞        1967 第6回 大鐘賞映画祭/監督賞        1968 第11回 釜日映画賞/最優秀監督賞 1967年 <射撃場の子供たち> 監督        弾皮を拾う童心に刻み込んだ分断戦争の傷を描いた作品        脚本は,チャン・ジェファ(張在華)        1967 第5回 青龍映画賞/監督賞 1967年 <鵲(カササギ)の声> 監督        仏教の輪廻思想を土台にして人間の愛と憎しみ,生と死を溶解させ        たキム・ドンニ(金東里)原作の作品        1967 第6回 大鐘賞映画祭/制作賞 1968年 <チュニャン(春香)> 監督        原作は,キム・ユジョン(金裕貞)        ホン・セミ(鴻世美)のデビュー作 1968年 <純愛譜> 監督 1968年 <裸足の栄光> 監督 1968年 <被害者> 監督 1968年 <日本人> 監督 1968年 <東京特派員> 監督 1968年 <粉女> 監督 1968年 <水田地帯> 監督 1969年 <始発点> 監督 1969年 <いくら憎くても> 監督 1969年 <春春(ポムボム)> 監督        進行する春の変化に比重を置いて利己主義的人間の姿をその自然と        因襲のくびきとして溶かし出したキム・ユジョン原作のユーモア劇        1969年 第2回 ソウル新聞文化大賞/作品賞        1969年 第4回 テイル映画賞(テグ(大邱)日報)/作品賞 1969年 <駐車場> 監督 1969年 <追撃者> 監督 1969年 <石女> 監督 1970年 <青春無情> 監督        トーマス・ハーディの<テス>を脚色 1970年 <新婦日記> 監督 1970年 <無影塔> 監督 1970年 <男はつらい> 監督 1970年 <あれがソウルの空だ> 監督 1970年 <雪原の情> 監督 1971年 <玉の箱を壊す時> 監督        1971 第8回 青龍映画賞/最優秀作品賞 1971年 <慰謝料> 監督 1971年 <ミス・リー> 監督 1972年 <雨中花(Flower in the Rain)> 監督        香港に渡っていってショーブラザーズで演出した作品 1972年 <娃娃夫人(The Merry Wife)> 監督        香港に渡っていってショーブラザーズで演出した作品       香港で稼いだ金4万ドルを持って米国に行き,1年余りの間,滞在し       て監督に定着する道を模索したが失敗した。       しかし,ニューアメリカンシネマが軌道に乗った時期の米国映画界を       遠くから見守って,自分の映画世界を再度樹立した。 1972年 <小さな夢が花開く時(別名:燃えなさい青春)> 監督 1973年 <日曜日のお客さんたち> 監督 1973年 <娘金持ち家> 監督 1973年 ソウル芸術大学校,韓国 中央大学校,トングク(東国)大学校       タングク(檀国)大学校,キョンヒ(慶煕)大学校 講師 1974年 <本能> 監督 1974年 <土地> 監督        パク・キョンニ(朴景利)原作の大河小説「土地」の序盤部分を映画化        1974 第13回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞,監督賞 1975年 <黄土> 監督 1975年 <明日は真実> 監督 1975年 <極楽鳥> 監督 1976年 <アラビアの熱風> 監督 1976年 <足の指が似ていた> 監督 1976年 <愛しのエレナ> 監督 1976年 <我が心の風車> 監督 1976年 <グ−,チョキ,パー> 監督        人生の苛酷な瞬間に直面するベトナム難民の子供たちの毅然とした        姿を見せた作品 1977年 <夜行> 監督        ベトナム戦で戦死した女子高時代の恩師を忘れないまま同僚銀行員        と同居して男ハンティングに立ち向かうオールドミス銀行員の彷徨        を意識の流れで捕らえた作品        (主演:シン・ソンイルユン・ジョンヒ) 1977年 <山火事> 監督 1977年 <女性記者20年> 監督 1977年 <華麗な外出> 監督        先端をいく30代後半の女流企業家が暴漢に拉致された後,逃げた        女性に代わって妻の役割をして脱出したが,誰もわかってくれない        と投身自殺してしまう内容をある女性の潜在意識を祈って投影させ        た作品        (原作:キム・ヨンソン(金容誠) 主演:ユン・ジョンヒイ・デグン)        1978 第14回 百想芸術大賞/大賞,作品賞 1978年 <笑い声> 監督        男性嫌悪症があるホステスの真実の愛の希求と背信を幻覚的な意識        表出方式で熱し出した作品        チェ・イヌン(崔仁勲)の小説を映画化        (主演:ナム・ジョンイムイ・ヨンハ) 1978年 <花鳥> 監督 1978年 <亡命の沼> 監督 1978年 <旅愁> 監督 1979年 <愛の条件> 監督        1979 第15回 百想芸術大賞/監督賞 1979年 <赤橙黄緑青藍紫> 監督 1979年 <走れマンソク> 監督 1980年 <水しぶき> 監督        オ・テソクの原作 女優クム・ボラのデビュー作 1980年 <白い微笑> 監督 1981年 6月30日 チョンジュ(清州)大学校 芸術大学 講義(待遇教授) 1981年 <都市に行った娘> 監督        実際の事件に基づいてバス案内嬢の「ねこばば」と非人間的な処遇        という人権の死角地帯を掘り下げた作品        検閲で多くの画面が削除されたうえに,バスの運転手と車掌の人権        を蹂躙したという運輸労働組合と韓国労働組合総連盟のデモによっ        て,早期に上映が終了される侮辱を受けた。 1981年 <晩秋> 監督 1982年 <夕方に泣く鳥> 監督 1982年 <ピエロと菊> 監督 1983年 マニラ国際映画祭,ハワイ国際映画祭 韓国代表 1984年 <あの空にも悲しみが> 監督 1984年 イタリア ペサロ映画祭 韓国代表 1986年 <空しい言葉> 監督        チュングァン(重光)僧侶の一代記を扱った映画        10余か所が削除されたため,思想を入れた正当な表現だと主張し        たが,検閲当局から黙殺された。 1986年 7月30日 公演倫理委員会の<空しい言葉>の審議結果に対する衝             撃から引退を宣言 1989年 大韓民国芸術院 会員 1990年 第35回 大韓民国芸術院賞 演劇部門 受賞 1991年 カナダ モントリオール世界映画祭 審査委員 1992年 第5回 東京国際映画祭 審査委員 1993年 東京国際映画祭 審査委員 1995年 <愛の黙示録> 監督        モッポ(木浦)で孤児院を運営したある日本人女性の人生を扱った        作品 1995年 韓国映画監督巨匠2人展 東京開催 1997年 日本映画批評家賞 1997年 韓国基督教文化大賞 1998年 日本カトリック映画賞 1999年6月7日〜 2005年1月10日 1・2期 映像物等級委員会 委員長 1999年 <沈香> 監督 1999年 韓日文化交流基金賞 2000年 映画関係者会の映画祝祭 特別賞,芸術評論家協会 特別功労賞 2003年 第7回 プサン(釜山)国際映画祭 回顧展 2005年 「私の愛 私のシネマ」を出版(シネ21) 2005年〜2007年 大韓民国芸術院 演劇・映画・舞踊分科会 会長 2007年〜2009年 大韓民国芸術院 会長 2009年 第29回 韓国映画評論家協会賞/特別功労賞 2010年 韓国映像資料院 回顧展 2010年 6月 第9回 ミザンセーヌ(Mise-en-scene)短編映画祭 ジャンルの想像力展 特別審査委員 2010年 ソウル チュンムロ(忠武路)国際映画祭 執行委員長 2017年 第22回 利川春史大賞映画祭/功労賞 全109本の映画を監督 [最終更新] 2015-01-03

 



【BACK】 (一覧ページへ)