輝国山人の韓国映画
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ハ・ギルチョン
河吉鍾
하길종
Ha Kir-Jong

1941年 4月13日にプサン(釜山)市チャリョン(草梁)洞で       9人兄弟姉妹の7番目として生まれる。       映画俳優・監督のハ・ミョンジュンは,弟       5歳でお母さんと死別し,10歳の時に父も失った。       親戚の家に居候してキョンナム(慶南)中学を終え,兄       についてソウルに上京し,チュンドン高等学校を経て,       ソウル大学校仏文科に入学し、卒業した。 1964年 エアーフランス航空会社に勤務 1965年 アメリカに渡ってあらゆる雑事を一年以上したあげく名門       UCLA映画科に入学         フランシス・コッポラ監督と同級であった。       チョン・チェリンさんと結婚して息子ジヒョンを授かる。 1969年 <兵士の祭典> 脚本,監督,撮影,制作       UCLAの卒業作品で,MGM映画社が全米の映画科学生       の中から4人を選抜する<メイアーグランド賞>を受賞し       た。 1970年 また,UCLAで講師席が保障され,ハリウッドの巨大な       システムも誘惑的だったが,1970年の初夏に帰国する。       キム・ジハ(金芝河)の脚本「泰仁戦争」(後に,監督が       「鳥よ,鳥よ,青い鳥よ」に改題)を監督しようとしたが       中断した。 1972年 <花粉> 脚本,監督        一家族の崩壊を通じて韓国社会の矛盾と不条理を批判す        る映画で公式デビューしたが,観客から無視され,映画        祭審査委員は,最初から審査対象から除外した。        原作は,イ・ヒョソク(李孝石) 1973年 <守節> 脚本,監督        武侠映画のジャンルを借りて作家意識を投影したが,権        力者を揶揄するフィルムとみなされ、検閲で20分以上        もカットされた。 1975年 <馬鹿たちの行進> 監督        検閲でめった切りにされが,興行にも大きく成功しただ        けでなく,当時の社会の矛盾を遠回しに言って見せてく        れたりもした意味ある映画 1976年 <女を探しています> 監督        興行に失敗 1977年 <ハンネの昇天> 監督        興行に失敗 1978年 <続・星たちの故郷> 監督        この年最高の興行記録を立てた。 1979年 <ピョンテとヨンジャ> 監督 [遺作] 1979年 2月28日 死去(38歳) 1979年 第15回 百想芸術大賞/映画部門 特別賞 [監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1969
1972
1973
1975
1976
1977
1978
1979
兵士の祭典
花粉
守節
馬鹿たちの行進
女を探しています
ハンネの昇天
続・星たちの故郷
ピョンテとヨンジャ [遺作]

[最終更新] 2015-01-27

 



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