輝国山人の韓国映画
<Home>へ

ユ・ヒョンモク
兪賢穆
유현목
Yu Hyeon-Mok

1925年 7月2日       黄海道 ポンサン(鳳山)郡 サリウォン(沙里院) 生まれ       市場近所で陶磁器と質屋を経営するユ・ヒジュンと妻イ・       ヒソンの9兄弟姉妹中の5男       母イ・ヒソンは,篤い基督教(プロテスタント)信者 1933年 黄海道 キリスト教系トクソン(徳成)普通学校に入学 1939年 普通学校を卒業後,単身上京してフィムン(徽文)中学校       に入学 1940年 肺炎で休学後,故郷に戻ったが,復学後には,絵,バイオ       リン,舞踊,小説に心酔 1944年 朝鮮人徴兵2期に抽出されたが,身体検査で不合格 1945年 フィムン(徽文)中学校(旧制)を卒業して沙里院へ戻り,       税務署に4か月間勤務 1946年 越南して, 母の意向により監理教(メソジスト派)神学校       とヨニ(延禧)専門学校 神学科を受験したが不合格 1946年 身分不相応にトングク(東国)大学校 国文学科に入学       イ・ヘラン, ユ・チジンの演劇を見て劇作家の夢を育てる。       夏休みに国立図書館で開催したオ・ヨンジンのシナリオ講座       を聴講したことを契機にシナリオに関心を持つ。       演劇<殉教者>を演出       チェ・インギュ監督の<自由万歳>の撮影現場を見て,映画       を直接作ってみたいという衝動を起した。 1947年 映画に関心を持った70人余りと韓国の大学で初めて<映画       芸術研究会>の組織を創立       会長になって,詩人でもあるキム・ギリムを指導教授として       推戴した。 1948年 韓国最初の学生映画 <海風>(45分)を学生芸術祭で上映       監督がシナリオを書き,インチョン(仁川)一帯で撮影  1949年 トングク(東国)大学校 国文学科 卒業       映画界に入門       アン・ジョンファ監督の<キム・サンオク ヒョルサ(血       史)>俳優募集広告を見て受験し,筆記試験には合格したが,       面接で落ちた。       当時,この映画の助監督であり面接官だったチョ・ジョンホ       監督が,俳優の適性には合わないと言って演出部を薦めたため。       しかし,この映画は,資金難で中断され,まともに習う機会を       得ることができなかった。 1951年 イム・ウナク監督の<ホン・チャギの一生>の助監督       1・4後退の時,父と末っ子が,国連軍爆撃で死亡       舞台劇<前衛隊>(キム・ソンミン監督) 音響効果および出演 1953年 <最後の誘惑>(チョン・チャンファ=鄭昌和) 脚本        享楽と暴力を日常的に行う密輸団一党にアジトを提供した        バーのマダムが,恋人と一緒に警察に告発して掃討させる        という内容の映画 1953年 <故郷の灯>(チャン・ファンヨン監督) 助監督 1954年 <自由戦線>(キム・ホン監督) 助監督 1955年 <春香伝>(イ・ギュファン=李圭煥) 助監督       イ・ギュファン監督の助監督を7年務め,多くのことを学んだ。 1956年 <交差路> 監督 [監督デビュー作]  [第1作]        チョ・ミリョンが1人2役をする映画で,双子姉妹のそれ        ぞれ違った運命を描いたメロドラマ 1956年 <流転の哀愁> 監督  [第2作]        学術調査団の一員として漢拏山(ハルラサン)を登攀して        失踪した息子の日記帳から,あるデパート女性職員を片思        いしていたという事実を知った父が,彼女を探して慰霊祭        に参加してほしいと要請する話        (主演:チェ・ムリョンムン・ジョンスク) 1957年 韓国俳優専門学院 講師 1957年 <失われた青春> 監督  [第3作]        バーの女給である恋人と新しい暮らしを整える部屋を見に行        かなければならない時間に殺人犯として捕まってソウルを離        れなければならない境遇に置かれた男の逃避と自首のドラマ        (制作・主演:チェ・ムリョン)        第1回 映画評論家協会賞/監督賞        第1回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        国際映画賞/最優秀韓国映画賞 1958年 西洋画家パク・クンチャと結婚 1958年 <あなたと永遠に 監督  [第4作]        10年余ぶりに監獄から解放されてきた少年犯罪者が体験する        社会不条理と断絶感を描いた作品        テーマが明らかでないという指摘を受けたが,特有のダイナミ        ックな画面構成とカメラの動きに対しては高い点数を受けた。 1958年 <人生の差押> 監督  [第5作]        オ・ヨンジンの<生きているイ・ジュンセン閣下>を自分のシ        ナリオで映画化した作品        金を儲けるために横領,脱税などあらゆる手段を選ばなかった        イ・ジュンセン社長(キム・スンホ)が法の網にかかることに        なるとすぐに偽自殺劇を整えて危機をまぬがれようとする姿を        描いた作品        第2回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        第3回 国際映画賞/最優秀監督賞 1959年 <美しい女性> 監督  [第6作]        パク・アムムン・ジョンスク主演のメロードラマ 1959年 <雲は流れても> 監督  [第7作]        [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=3aK4UL25Hhg        第2回 文教部 優秀国産映画/優秀作品賞,監督賞        第1回 韓国映画芸術賞/監督賞 1960年 <誤発弾(日本語字幕あり) 監督  [第8作]        監督の代表作        イ・ヨンイルなど当代の評者によって「韓国リアリズムの絶頂        を成し遂げる映画」と評価され,60年代韓国映画の黄金期を        率いる主役になる。                第7回 サンフランシスコ国際映画祭 本選出品 1961年 <林巨正(イム・コクチョン)> 監督  [第9作]        制作費1億ファン 1962年 <聖雄 李舜臣(イ・スンシン)> 監督  [第10作] 1962年 <惜しみなく与えん> 監督  [第11作]        第6回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        第2回 大鐘賞映画祭/監督賞 1962年 ソウル市文化賞, 5月文芸賞受賞 1963年 <金薬局の娘たち 監督  [第12作] 1963年 <青い夢は輝かん> 監督  [第13作] 1963年 実験映画クラブ 'シネポエム' 組織       トングク(東国)大学校 演劇映画科 講師として在職するようになる。 1964年 <剰余人間> 監督  [第14作]        第8回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        第2回 青龍映画賞/最優秀作品賞,監督賞 1964年 <妻は告白する> 監督  [第15作] 1965年 <青い星に眠れ> 監督  [第16作]        チェ・クムドン(崔琴桐)のシナリオ        恋人の手紙を見た仲間を殺したキム・ヨンホ一等兵の実話を元        に学生運動をしている若者の抵抗と怒りを描いた映画 1965年 <殉教者> 監督  [第17作]        在米作家キム・ウングク(金恩國)の小説が原作        ある牧師が神の存在に疑問を感じながらも民衆の信仰心に応え        るため殉教者になるという話        第5回 大鐘賞映画祭/監督賞 1965年 <春夢> 監督  [第18作]        実験映画        女優パク・スジョンの裸体シーンために最初の検閲論争を呼び起こした。        淫画製造容疑で罰金3万ウォンの判決を受けた。        (求刑は,懲役1年6月,資格停止1年6月)        武智鉄二監督の日本映画「白日夢」(1964年)の剽窃映画として        批評家から低い評価を受けた。 1965年 3月 イ・マニ監督の<7人の女捕虜>を擁護するため,世界文化自由       会議で '銀幕の自由'提案文を発表する。       "我が国の国是は反共でなく,自由であるべきだ”と芸術表現の自       由を主張して反共法違反で起訴されたが,無罪の宣告を受ける。 1966年 <太陽はまた昇る> 監督  [第19作] 1966年 <特急結婚作戦> 監督  [第20作] 1967年 <恐妻家三代> 監督  [第21作]        恐妻家三代が一緒に暮らす典型的な大家族の家で起こる事件が,誇張        なく穏やかに繰り広げられる元気なコメディ 1967年 <終夜> 監督  [第22作]        誰にも救いを求めることができない傷だらけ女性の死を描いた作品 1967年 <恨> 監督  [第23作]        恨に埋もれた三つの霊魂を三部のオムニバス形式で描いた作品        脚本は,イ・サンヒョン(李相鉉)        映画芸術賞/作品賞,監督賞        第1回 ナムド映画祭/監督賞 1967年 <終列車で来たお客さん 監督  [第24作]        肺臓肉腫で時限付き人生を宣告された男の話 1968年 <続・恨> 監督  [第25作] 1968年 <アリラン> 監督  [第26作] 1968年 <カインの後裔> 監督  [第27作]        分断がもたらしたイデオロギーの葛藤を土地改革の過程を借りて        光を当てた反共文芸物        原作は,ファン・スノン(黄順元)        第12回 釜日映画賞/最優秀作品賞        第6回 青龍映画賞/監督賞,作品賞        第3回 テイル(大邱日報)/監督賞,制作賞        ピンクリボン賞/作品賞,監督賞        国際映画賞(ブルーリボン賞)/作品賞        第7回 大鐘賞映画祭/優秀反共映画賞       [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=o3XIl5V3XJI 1968年 <みんな差し上げましょうか(ウサギと砲手)> 監督  [第28作] 1968年 <悪夢> 監督  [第29作] 1968年 <女> 監督  [第30作]        チョン・ジヌキム・ギヨン監督が共に演出したオムニバス映画で        髪の毛につながる三人の女性についての異色な映画 1969年 米国,英国,ドイツ政府招請で20余か国の映画界を視察 1969年 <回転木馬> 監督  [第31作] 1969年 <修学旅行 監督  [第32作]        文明の死角地帯にある離島の子供たちに都市の文物を体験させる話        第4回 ペンマ(白馬)賞/監督賞        第4回 テヘラン国際映画祭/児童部門 特別賞        インド国際映画祭/特別名誉賞 1969年 <私も人間になるんだ> 監督  [第33作]        ソ連軍が占領した北朝鮮で,イデオロギーの奴隷になって人間性を失        わせる共産主義者などの残虐性と,これに対し犠牲になる若者たちの        悲劇を借りて共産主義の虚構性を告発した作品        (主演:キム・ジンギュ)        第2回 ソウル新聞文化大賞/監督賞 1969年 <産業視察> 監督  [第34作] 1970年 <あなた(別名:2人のあなた)> 監督  [第35作] 1970年 '韓国小型映画同好会'を創設 1971年 独立プロダクション 'ユ・ プロダクション'を設立        1983年まで運営 1971年 <糞禮記(プルレギ)> 監督  [第36作]        濃厚な郷土色を底に敷いて,貧困と無知,欲情が表わすある女性の死        に損ないの運命を描いた作品        (主演:ユン・ジョンヒ)        第15回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        第10回 大鐘賞映画祭/監督賞        ソウル新聞文化大賞/監督賞 1974年 韓国映画監視委員会 委員長 選出 1975年 <炎> 監督  [第37作]        オーソドックスな演出で,3.1運動,太平洋戦争の日帝末期から        8.15解放,6.25韓国動乱(朝鮮戦争)につながる私たちの近        代史を3代にわたる,ある一族の話を通じて投影させた作品        原作は,元陸軍大佐で,現役時代に書いた小説でトンイン (東仁)        文学賞を受賞したソヌ・フィ(鮮于輝)の小説        (主演:ハ・ミョンジュン)        第14回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞        ピンクリボン賞/作品賞,監督賞 1975年 映画人協会 副理事長 1976年 トングク(東国)大学校 演劇映画学科 教授 就任 1977年 <扉> 監督  [第38作]        日本雅楽界の巨匠が,自らの音楽世界に懐疑を感じて済州道(チェジュ        ド)のカヤグム(伽椰琴)名人を訪ねて演奏を聞いた後,非業の死を遂        げる話        (主演:チェ・ブラム) 1977年 韓国フィルム保管所 理事       韓国映画学会 副会長       文化映画制作者協会を創設 1978年 <昔々,遠い昔にホーイホイ> 監督  [第39作] 1978年 大韓民国 文化芸術賞(大統領賞)受賞 1979年 <長雨(チャンマ)> 監督  [第40作]        第18回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞 1979年 ドイツ文化院の後援で東西映画研究会を組織 1979年 <みんなで歌おう> 監督  [第41作] 1980年 韓国映画発達史(ハンジン) 出版 1980年 映画人協会 監督分科委員会 会長 1980年 <人間の子> 監督  [第42作]        エホヴァ神は,苦難を受ける民衆に何の救いも与えることができなく        なっているという懐疑に陥った信仰人が,自ら情熱を傾けて苦難を選        択することによって行動信仰を実践するという話        (原作:イ・ムニョル(李文烈),主演:ハ・ミョンジュン)        第19回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞        第1回 ヨンピョン賞/作品賞,監督賞 1982年 大韓民国芸術院 正会員 1982年 大韓民国芸術院賞 受賞 1982年 「記録映画論」(ポール・ロサ,映画振興公社) 翻訳出版 1984年 <傷ついた葦> 監督  [第43作] 1984年 「世界映画監督論」(経世文化院) 出版 1985年 映画人協会 顧問       アジア競技大会 映画制作準備委員長 1986年 外大及び各大学で 'ユ・ヒョンモク映画祭'を開催       韓国映画科教授協議会を創設 1986年 トングク(東国)文化賞, 黄海道民文化賞 受賞 1988年 映画人協会 監督分科委員会から脱退       60余名と共に韓国映画監督協会を結成 1988年 第20回 大韓民国 文化芸術賞 王冠賞(文化勲章)受賞 1989年 韓国映画学会 会長 選出 1990年 トングク(東国)大学 芸術大学長 1990年 映像資料院 ユ・ヒョンモク回顧展を開催 1991年 トングク(東国)大学校 定年退職, 名誉教授 1993年 「日本映画の話」(佐藤忠男,タボ文化) 翻訳出版 1994年 映像資料院 ユ・ヒョンモク監督週間を開催 1994年 韓国芸術総連合会 特別功労賞 1995年 映画<アリラン>研究会 創立, 初代会長 1995年 韓国芸術評論家協会 特別功労賞 1995年 「ユ・ヒョンモク映画人生」(ヘファ堂) 出版 1995年 <ママと星と磯巾着> 監督  [第44作]        第33回 大鐘賞映画祭/栄誉監督賞        第15回 ヨンピョン賞/監督賞 1996年 <祖国の灯> 監督  [第45作]        パク・チョンヒ(朴正煕)大統領10周忌記念記録映画 1999年 第40回 3.1文化賞 芸術賞 受賞 2004年 テグ(大邱)大学校 客員教授 2005年 日本・東京国立近代美術館 ナショナルフィルムセンター ユ・ヒョンモク監督展 2006年 韓国映画人福祉財団選定 映画人名誉の殿堂 献額 2007年 第27回 韓国映画評論家協会賞 特別功労賞       第6回 大韓民国映画大賞 功労賞 2009年 6月28日,京畿道コヤン(高陽)市のイルサン(一山)病院で老衰のため死去した。       84歳だった。       大韓民国映画監督章,金冠文化勲章 叙勲       40年余りになる映画監督生活の間に監督が世に出した作品は,全45本 [解説資料] 韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで(鄭j樺 [著] )132頁  

 

[監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1956
1956
1957
1958
1958
1959
1959
1961
1961
1962
1962
1963
1963
1964
1964
1965
1965
1965
1966
1966
1967
1967
1967
1967
1968
1968
1968
1968
1968
1968
1969
1969
1969
1969
1970
1971
1975
1977
1978
1979
1979
1980
1984
1995
1996
交差路 [デビュー作]
流転の哀愁
失われた青春
人生の差押
あなたと永遠に
美しい女性
雲は流れても
誤発弾
林巨正(イム・コクチョン)
惜しみなく与えん [大鐘賞(2)/監督賞]
聖雄 李舜臣
金薬局の娘たち
青い夢は輝かん
剰余人間 [青龍賞(2)/監督賞,作品賞]
妻は告白する
春夢
青い星に眠れ
殉教者 [大鐘賞(5)/監督賞]
特急結婚作戦
太陽はまた昇る
終夜

恐妻家三代
終列車で来たお客さん
アリラン
カインの後裔 [青龍賞(6)/監督賞,作品賞]
続・恨
みんな差し上げましょうか(ウサギと砲手)

悪夢
回転木馬
修学旅行[テヘラン国際映画祭/児童部門特別賞]
私も人間になるんだ
産業視察
あなた(別名:2人のあなた)
糞禮記(プルレギ) [大鐘賞(10)/監督賞]
炎 [大鐘賞(14)/最優秀作品賞]

昔々,遠い昔にホーイホイ
長雨 [大鐘賞(18)/優秀作品賞]
みんなで歌おう
人間の子 [大鐘賞(19)/最優秀作品賞]
傷ついた葦
ママと星と磯巾着
祖国の灯



【BACK】 (一覧ページへ)