輝国山人の韓国映画
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イ・マニ
李晩煕
이만희
I Man-Heui

1931年 10月6日 ソウルのワンシンニ(往十里)で出生       生っ粋のソウルっ子である父イ・セグンは,民間療法で町内の       人々を治療する仕事をしていたが、亡くなる。       未亡人となった母アン・ウォンドクの下で4兄弟姉妹の中で育       って5年制キョンシン中学校を卒業       幼い時期,家から近いワンシンニ(往十里)のクァンム(光武)       劇場,シンダン(新堂)洞のトンファ(東和)劇場,トンド劇       場などで,<家なき天使>(1941),<福地萬里>(1941),       <自由万歳>(1946)などの映画を見て映画監督の夢を育てた。 1950年 朝鮮戦争時は,陸軍通信学校で暗号兵として4年間服務した後,       ソウル特別市中区文化院に転役する。 1954年 ユ・チジン(柳致真)の演技学院に通う。 1955年 2等中士で除隊した後,しばらく演劇演出家イ・ジンスンがい       たドラマセンターで演劇俳優として演劇公演に参加して映画界       への進出の機会をうかがったが,思いどおりにならなかった。       俳優学院で出会った演技志望生である女性と恋愛に陥って結婚       する。 1956年 隣に住んていた当時アン・ジョンファ(安鍾和)監督の助演出       だったファン・ハクポンに見せた習作シナリオが契機となり,       アン・ジョンファ監督の<千秋の恨>(1956)で助監督の一員と       して演出部の仕事をする。 1956年 同監督の<思悼世子>では,スタッフでなく刺客として出演し       た。       その後,5年近くアン・ジョンファ,パク・ク,キム・ミョン       ジェ監督の門下で演出修業を積む。 1961年 <走馬燈> 監督 [デビュー作] [第1作]        俳優キム・スンホの紹介で監督デビュー        子供を得るために妾を置いた男と,妾が産んだ子供を虐待し        て財産を使い果たした本妻の順調でない人生行路を描いたメ        ロドラマ        (主演:チェ・ウニキム・ジンギュ) 1961年 <不孝子> 監督 [第2作]        無職者を愛する娘が気に食わない父が全てのものを受け入れ        るという映画        (主演:チョ・ミリョンチェ・ムリョン) 1962年 <生きているその日まで> 監督 [第3作] 1962年 <ダイアル112を回せ> 監督 [第4作]        女の遺産を狙った前夫など3人の陰謀と,危機から抜け出す        女主人公の姿を緊張した白黒画面で描いたスリラー作品        洗練された演出とストーリーでチュンムロ(忠武路)の注目        を浴びた。        フィルムは、現存しない。        (主演:チェ・ムリョンムン・ジョンスク) 1963年 <振り返るな> 監督 [第5作] 1963年 <帰らざる海兵 監督 [第6作]        インチョン(仁川)上陸作戦に参加して北進を繰り返す海兵        隊の一部隊が,中国共産軍の反撃にぶつかってほとんど全滅        していく極限状況の中で表出される本能的な人間の姿と涙ぐ        ましい戦友愛を描いた戦争映画        戦争映画にありがちな,よく戦って勝つという「不敗の海兵        勇士」ではなく,「人情もある普通の人」というヒューマニ        ズムの側面を強調した佳作        ソウル封切りだけでも22万8千人余の観客を動員し,興行        にも成功,一躍チュンムロ(忠武路)のスター監督となった。        1963 第1回 青龍映画賞/監督賞        1964 第3回 大鐘賞映画祭/監督賞 1963年 <十二両人生> 監督 [第7作]        前作のヒットにより通常2〜30万ウォンの監督料が50万        ウォンになった。 1963年 <ハン・ソクポン(韓石峯)> 監督 [第8作] 1963年 <YMS 504の水兵> 監督 [第9作] 1964年 <脅迫者> 監督 [第10作] 1964年 <黒髪 監督,脚本 [第11作]        都市の裏通りとアジトを背景に、自分が作った規則によって        自ら処罰を受けるギャング団の親分と彼の女を魅惑的で描き        出した作品で、監督特有の宿命論的キャラクターとミザンセ        ーヌ(Mise-en-scene)が光を放つ映画 1964年 <追撃者> 監督 [第12作] 1964年 <私が立つ土地はどこか> 監督 [第13作] 1964年 <魔の階段> 監督 [第14作]        心理スリラーと恐怖映画のコンセプトを適切に借用し、叙事        の完結性や撮影などで韓国のジャンル映画のうち最高の完成        度を見せた恐怖スリラー作品 1964年 <ミョヒャン悲曲> 監督 [第15作] 1965年 <7人の女捕虜> 監督,脚色 [第16作]        人民軍の捕虜になって護送中だった国軍看護将校たちが途中        出会った中国共産軍に強奪されそうになると,これを見てい        た人民軍引率将校が部下士兵と共に銃撃を加えて危機から救        出するが,無意識の内に大きな問題を起こすことになったそ        の将校は,今後受けることになる処罰が恐ろしくて部下を説        得して国軍に自首して捕虜を引き渡すという内容の映画        国軍と人民軍を敵対関係でない民族同質性の回復という見解        で扱った,当時としては非常に進取的な素材        国軍でない人民軍の立場で戦争を描いたとして監督が反共法        違反(北朝鮮軍美化など)で約40日間拘束起訴されるが,後        に無嫌疑処分を受ける。        映画は、40分の分量が検閲で切られ、<帰ってきた女軍>と        いう題名で封切りした。 1965年 <黒い麦> 監督 [第17作]        犯罪の温床である裏通りに巣喰う青少年を描いた作品        ムン・ヒのデビュー作 1965年 <帰ってきた女軍 [7人の女捕虜の改題]> 監督 [第18作] 1965年 <市場> 監督 [第19作]        魚物を取り引きする市場という空間の中で,1人の女性を巡        る色々な男たちの愛欲と関係を通じて底辺人生の哀歓を浮上        させた作品        (主演:シン・ヨンギュンムン・ジョンスク)        1966 第4回 青龍映画賞/監督賞 1965年 <黒龍江> 監督 [第20作] 1966年 <水車小屋> 監督 [第21作]        ナ・ドヒャン(羅稲香)原作の芸術映画        繰り返される運命の円環とシャーマニズムの世界を舞台に、        近代的な時間性を跳び越える根源のない欲望の無時間性を卓        越するように形象化した作品 1966年 <晩秋> 監督 [第22作]        特別休暇を得て帰郷列車に乗ったある模範女性囚人と流れ者        で偽造紙幣犯の男のはかない3日間の愛を描いた芸術映画        1967 第10回 釜日映画賞/最優秀作品賞,最優秀監督賞        1967 第3回 韓国演劇映画芸術賞/大賞,作品賞           第2回 白馬賞/監督賞 1966年 <忘れることはできない恋人> 監督 [第23作] 1966年 <軍番のない勇士> 監督 [第24作]        反共遊撃隊隊長である長男と人民軍保衛部副官である次男の        間に挟まれて立場が苦しい父が,人民軍である次男に反動分        子として集められ処断される悲劇を描いた反共作品        (主演:シン・ソンイルムン・ジョンスク)        第13回 アジア映画祭/自由賞 1967年 <忘却> 監督 [第25作] 1967年 <三角の恐怖> 監督 [第26作] 1967年 <まだら模様の男> 監督 [第27作] 1967年 <冷と熱> 監督 [第28作] 1967年 <汽笛> 監督 [第29作]        警察の追跡を受ける殺人犯が,列車に隠れていて展開する話        で,アクションより心理ドラマ的要素が強い作品        ポーランド映画の盗作と疑われて論争となった作品 1967年 <詐欺師ミスター・ホ> 監督 [第30作] 1967年 <バンコクのハリマオ> 監督 [第31作] 1967年 <原点 監督 [第32作]        芸術映画 1967年 <帰路 監督 [第33作]        6.25韓国動乱(朝鮮戦争)の時に脊椎身体障害者になった        軍出身の作家を題材に家庭的に葛藤を生じさせる前後の傷痕        を描いた芸術映画        シナリオは,ペク・キョル(白潔)        1967 第6回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞 1967年 <サリ谷の神話> 監督 [第34作]        戦争中に落伍した7人の国軍落伍兵をかくまったチャン老人が,        人民軍のどんな圧力にも曲げずに国軍落伍兵を保護して村に平        和を迎えるようにするカリスマ性を描いた作品        原作は,ソヌ・フィ(鮮于輝)の同名小説         1968 第4回 百想芸術大賞/大賞,監督賞       [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=tchqkDslNoc 1968年 <蒼空に生きる> 監督 [第35作]        教育過程を経た空軍飛行学校生の出撃と戦友愛を描いた作品       [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=VyPHkH9EcZc 1968年 <外出> 監督 [第36作]        犯罪団体の主謀者が自爆を装って殺人を犯すアクション推理物 1968年 <旅路> 監督 [第37作] 1968年 <休日 [未封切]> 監督        ガールフレンドの堕胎費用の工面に努める貧しい青年を不条理劇        として描き出した作品        韓国社会をとても暗く描いたという理由で,最初から検閲を通過        できず,封切りさえできなかった。        2005年に映像資料院を通じて世の中に公開された。 1968年 <生命> 監督 [第40作]        落盤事故で坑道の中に埋められて16日ぶりに救出された鉱夫        キム・チャンソンの超人的な生還期       [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=_J0dGx7m-JM 1969年 <女が告白する時> 監督 [第38作] 1969年 <暗殺者 監督 [第39作] 1969年 <六つの影> 監督 [第41作]        <ダイアル112を回せ>(1962)のリメイク 1970年 <コボイ川の橋> 監督 [第42作] 1971年 <鎖を切れ> 監督 [第43作]        「満州ウエスタン」を再解釈した作品で、キム・ジウン監督の        映画<グッド・バッド・ウィアード>(2008)のモチーフにな        った映画といわれている。 1972年 <04:00 −1950−> 監督,脚本 [第44作]        朝鮮戦争を相互の対立というよりは孤立の条件として活用して        バンカーの中の兵士たちを通じてミニアルな舞台劇のように作        り出した作品        半分以上がセットで撮影され、多少演劇的な感じを与える特異        な戦争映画で、個別キャラクターに深々と接近するカメラを通        じて演劇が持つことはできない人物の内面性を卓越するように        とらえた。 1972年 <零時> 監督 [第45作]        [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=RsTQEO5YEUo        刑事と雑犯たちの生活苦と和解を暖かい見解で捕らえた作品        1972 第11回 大鐘賞映画祭/特別奨励賞 1972年 <日本海賊> 監督,脚本 [第46作] 1974年 <野菊は咲いた> 監督 [第47作]        [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=6tvfLgsSRSE        映画振興公社が国策映画として制作した映画で,ある子供の証        言に基づいて彼が体験した民族分断の悲劇,戦争の惨状を浮上        させた作品        しかし,完成後の試写会で,正統的な戦争映画を期待していた        政府から改作の指示が出され,監督も交代させられた。 1974年 <太陽に似た少女> 監督 [第48作]        女優ムン・スク(文淑)主演の生気溢れる青春映画        息子、娘のような家族内の役割として定められなかった根無し        の若者たちの彷徨と挫折を描いた。 1974年 <青女> 監督 [第49作] 1974年 <三角の陥穽> 監督 [第50作]        <ダイアル112を回せ>(1962)のリメイク 1975年 <森浦(サンポ)への道 監督 [第51作] [遺作]        人生の底辺を歩く3人が偶然に出会って同行する間,互いに共        有することになる人生の哀歓と人間的な絆,エピソードを監獄        から出て工事現場を歩き回って故郷に向かう中年の男チョン氏        を中心に展開するロードムービー        封切り当時,たった1週間で上映打ち切りになるほど興行では        惨敗したが,作品性は認められた。        1975 第14回 大鐘賞映画祭/監督賞,優秀作品賞

第14回 大鐘賞映画祭/監督賞
 
ソウル特別市 韓国映像資料院で撮影
(2023.11.04 )

1975年 4月15日 肝臓癌で死去        <森浦(サンポ)への道>の最後の録音中にスタジオで倒れて        病院に運ばれ,亡くなった。享年45歳。51本の映画を残し        た。        イ・マニの墓碑には、次の文章が書かれており、彼の映画世界        をよく表わしている。         「あなたは砲弾の中を黙黙と匍匐(ほふく)する兵士たちの          側であったし、挫折を知りながらも人間の道を行く恋人た          ちの側であったし、そして、暴力を憎み強い力を育てなけ          ればならなかった若者の側だった。」 [監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1961
1961
1962
1962
1963
1963
1963
1963
1963
1964
1964
1964
1965
1965
1965
1965
1965
1966
1966
1966
1966
1967
1967
1967
1967
1967
1967
1967
1967
1967
1967
1968
1968
1968
1968
1968
1969
1969
1969
1970
1971
1972
1972
1972
1974
1974
1974
1974
1975
走馬燈 [デビュー作]
不孝子
生きているその日まで
ダイアル112を回せ
振り返るな
帰らざる海兵 [大鐘賞(3)/監督賞][青龍賞(1)/監督賞]
十二両人生
ハン・ソクポン(韓石峯)
YMS 504の水兵
脅迫者
黒髪
魔の階段
7人の女捕虜
黒い麦
帰ってきた女軍人 [7人の女捕虜の改題]
市場 [青龍賞(4)/監督賞,作品賞]
黒龍江
水車小屋
晩秋
忘れることはできない恋人
軍番のない勇士
忘却
三角の恐怖
まだら模様の男
冷と熱
汽笛
詐欺師ミスター・ホ
バンコクのハリマオ
原点
帰路 [大鐘賞(6)/作品賞]
サリ谷の神話 [百想芸術大賞(4)/大賞,監督賞]
青空
外出
旅路
休日 [未封切]
生命
女が告白する時
暗殺者
六つの影
コボイ川の橋
鎖を切れ
04:00 −1950−
零時 [大鐘賞(11)/奨励賞]
日本の海賊
野菊は咲いた
太陽に似た少女
青女
三角の穴
森浦(サンポ)への道 [大鐘賞(14)/監督賞,優秀作品賞][遺作]

[最終更新] 2015-01-20

 



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