輝国山人の韓国映画
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1902年 出生 1920年 新劇<長恨夢>でデビュー 1922年 ハムフン(咸興)部 演劇団体<芸林会>で文芸部長 芸林会解体後、プサン(釜山)に行って舞台芸術研究会に参加 1924年 舞台芸術研究会が朝鮮キネマ株式会社に吸収されて映画界入門 1924年 <海の秘曲>(ワン・ピリョル(王必烈)=高佐貫長(たかさ・かんちょう)監督)で俳優デビュー 1925年 <ウニョンジョン(雲英伝)>(ユン・ペンナム=尹白南) 出演 1925年 <闇光>(ワン・ピリョル(王必烈)=高佐貫長) 出演 検閲前の題名 <神の粧> ヨンジュの兄テドゥク役 1927年 <楽園を探す人々>(ファン・ウン=黄雲) 出演 1927年 朝鮮映画芸術協会の発足に加担、新人俳優を指導する役割を担当 1927年 朝鮮映画芸術協会が製作する<狼群>の監督でデビューする予定であったが、 不正事件の論議が起きて撮影が中断された。 1928年 朝鮮文芸映画協会を組織 1929年 映画評論機関の必要性を認識して、チェ・ナムジュ、キム・ヨンパルとともに 朝鮮映画社を設立して映画雑誌を発行した。 1930年 <花売り> 監督、脚本(デビュー作) [第1作] チェ・ナムジュ原作の小説を映画化 主演俳優はチェ・ナムジュとキム・ミョンスクが引き受けた。 また、朝鮮文芸映画協会の卒業生が大挙出演した。 1930年 <歌う季節> 監督 [第2作] イウ、キム・ヨンパルとともに<エックスキネマ>を設立して直接監督を引き受けた。 朝鮮日報に連載されたアン・ソギョンの原作をシナリオとして脚色した作品 出演俳優は、ユン・ボンチュン、ハム・チュンハ、キム・ミョンスン 1934年 <青春の十字路> 監督、脚本、編集 [第3作] 1935年 東洋劇場専属演出家 日帝強制占領期間末、御用団体である朝鮮映画協団を組織 朝鮮映画関係者協会役員 親日団体であるファンド学会、朝鮮臨戦報国団の発起人 1935年 <銀河に流れる情熱> 監督、脚本 [第4作] 1936年 <逆襲> 監督、脚本 [第5作] 1937年 <人生航路> 監督、脚本 [第6作] 1945年 光復(解放)後、朝鮮映画同盟 中央執行委員長 映画監督クラブに参加 大韓映画協議会の組織を主導 大韓映画社 撮影所長 広報処映画科長 ソラボル(徐羅伐)芸術大学 学長 大韓民国芸術院 会員 1948年 大韓映画協議会 副理事長 1948年 <水牛> 監督、脚色 [第7作] 1949年 文教部 芸術委員会 映画委員 1949年 <国のために> 監督、脚本 [第8作] 1954年 芸術院 一般会員 1956年 韓国映画人団体総連合会 副会長 1956年 <千秋の恨(ハン)> 監督 [第9作] 1956年 <思悼世子> 監督 [第10作] 1956年 「新劇史物語」を執筆 1956年 ユネスコ韓国委員会 委員 1957年 第6回 ソウル市文化賞 映画の部 受賞 1958年 <春香伝(チュニャンジョン)> 監督 [第11作] 1960年 <牽牛織女> 監督 最後の監督作品 [第12作] 1960年 <陽が沈まないうちに>(カン・デジン=姜大振) 原作 1963年 「韓国映画側面秘史」を執筆 1965年 第2回 映画芸術賞 30年有功者 受賞 1966年 8月21日 死去 1969年 <兄>(イ・サンオン=李尚彦) 原作 [監督作品]
制作年 | 作 品 名 【原 題 名】 |
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1930 1930 1934 1935 1936 1937 1948 1949 1956 1956 1958 1960 |
花売り 歌う季節 青春の十字路 銀河に流れる情熱 逆襲 人生航路 水牛 国のために 千秋の恨(ハン) サドセジャ(思悼世子) 春香伝(チュニャンジョン) 牽牛織女 |
[最終更新] 2021-07-16