輝国山人の韓国映画
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[監督作品]1935年12月20日 全羅南道 生まれ ソラボル(徐羅伐)芸術大学 演劇映画科 卒業 シン・サンオク監督の助監督として映画制作現場の仕事を始めた。 チョン・チャンファ監督の助監督を経て,コメディ映画ブームに乗って <父伝子伝>(1959)で監督デビューした。 物静かながらも穏やかなリアリズムの演出で,シン・サンオク, ユ・ヒョンモク, キム・スヨン監督などとは区別される自分だけの色彩を処理するのに成功した監督。 重厚な演出スタイルとリアリズム傾向の映画を意欲的に作ってきたが,フランス・ ロケ作品<モンマルトン丘の髷(まげ)>を撮影中に物故した。 出世作は,<朴さん>と<荷馬車【馬夫】> <朴さん>(1960年) みずぼらしいながらも純粋で善良な心性が滲みでる庶民の姿をしたキム・スンホの演技が光を放った作品。 監督の力量がよく表れている。 第11回 ペク・リム映画祭 特別恩功賞を受賞。 <荷馬車【馬夫】>(1961年) 朴さんに比べてドラマの構造が複雑で劇的なのに加え,俳優の演技も引き立って見える影響に助けられて 興行的に大きな成功を収める。 代表作であるこの映画は,イム・ヒジェのオリジナル・シナリオを監督の重厚な独特の演出技法で,庶民 生活の大変さと生活像をリアルに描き出した秀作という評価を受ける。 第11回 ベルリン映画祭 特別銀熊賞を受賞。 <青春劇場>(1967年) 大衆小説家として名高いキム・ネソン(金來成)の原作を1957年にホン・ソンギ監督が演出したもの。 シン・ソンイル,コ・ウナ,ユン・ジョンヒ(デビュー作)など,当代の青春スターに陣容を変え,映画 化, アクションを添えた多様な姿で愛情と事件がからまったおもしろい映画として作り,興行的にも成功を 収める。 [最終更新] 2026-09-26
| 制作年 | 作 品 名 【原 題 名】 |
|---|---|
| 1959 1960 1960 1961 1961 1962 1962 1962 1963 1963 1963 1964 1964 1964 1964 1964 1965 1965 1966 1966 1967 1967 1967 1967 1967 1968 1968 1968 1968 1968 1969 1969 1969 1969 1970 1970 1970 1970 1972 1974 1976 1977 1978 1979 1982 1984 1987 |
父伝子伝 陽が沈まないうちに 朴さん ![]() 荷馬車 【馬夫】 ![]() 漁夫たち 愛と悲しみの歳月 傷ついた葦を切るな 丸木橋 泣いて別れた釜山港 昔の芝生 継母 贔屓客 可愛い子 愛がこだますれば 娘の勲章 命よりきびしいこと 悲しみよ元気でいろ 削髪の母情 無番地 青春劇場 行きたい 報恩の奇蹟 玉かんざし カン・ミョンファ(康明花) 故郷 栄螺の夢 愛 しくしく泣く白鳥 落葉 街路樹の合唱 冬夫人 再生 自由夫人 あなたが嫌になる時 涙ぬれた釜山港 捨てられた女 あなたは女 逃亡病 帰れない故郷 タルレ 有情 愛の原子弾 愛の根 夕陽の10番街(光を飲め) 死なば生きん 和平の道 モンマルト丘の髷(まげ)[遺作] |