輝国山人の韓国映画
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1911年 12月10日 平安北道 ヨンピョン(寧辺)面 トンブ(東部)洞248番地で 父チェ・テギョンと母イ・テヨンの3兄弟の次男に生まれる。 父は,韓日合邦以後,警察官生活をしたが,3.1運動が起きる と,すぐに制服を脱いだ。 ヨンビョン(寧辺)普通学校6年の時に書いた「栗の花」とい う作文が全校生に知らされるほど,作文が上手であり,絵もう まく描いた。 1924年 5年制のピョンヤン(平壌)高等普通学校に入学 ピョンヤン(平壌)高等普通学校(平壌高普)を中退して日本 の大阪に渡って行き,運転助手をしながら京都撮影所の入社を 狙ったが,面接試験で落ちてしまう。 1933年 日本から故郷に帰国し,シンウィジュ(新義州)シニョン鉄工 株式会社でサービス部専門技師として勤務 1935年 シンウィジュ(新義州)新演劇場で映写技師として勤務 1935年 3月 シンウィジュ(新義州)で兄チェ・ワンギュ(崔完奎)と ともに資本金5万ウォンで高麗映画社を設立,代表に就任 最初の発声映画<春香伝(チュニャンジョン)>(1935)の全国 配給権を得て,本格的な興行を行う。 1936年 シンウィジュ(新義州)シニョン鉄工株式会社でタイピストで あった18歳のキム・シンジェと結婚する。 1937年 3月1日 高麗映画社がソウル(京城)に移転 録音技師イ・ピルウ(李弼雨)の助手として映画界入門 <沈清伝>(アン・ソギョン=安夕影)の制作に携わる。 1938年 朝鮮映画株式会社(朝映) 録音部 1938年 <圖生録>(ユン・ボンチュン=尹逢春監督) 制作,録音 1939年 <無情>(パク・キチェ=朴基采)録音 1939年 <国境> 原作,監督,脚本,脚色,編集,録音 [第1作] アムノッカン(鴨緑江)周辺の国境地帯を舞台に展開する密 輸団親分と彼の愛妾,部下の間で広がる愛の争奪と脱出を描 いたアクション映画 チョニル(天一)映画社の制作で,自分で脚本を書いた作品 の演出を引き受け,監督としてデビュー 1939年 朝鮮映画人協会 評議員 1940年 <授業料>
(日本語字幕あり) 監督 [第2作] 京城日報主催の作文大会で受賞した小学生ウ・スヨン (禹寿栄)の作文を原作にした作品 1941年 <家なき天使> 監督 [第3作] パン・スウォン(方洙源)が運営した孤児院ヒャンリンウ ォン(香隣園)の実話を土台にした作品 1942年 <豊年歌> 制作 1942年 朝鮮映画株式会社(朝映),高麗映画協会などを含み,朝鮮の 制作会社を統廃合した社団法人朝鮮映画制作株式会社が発足し, 演出課員として仕事を始める。 1943年 <望楼の決死隊>(監督:今井正) 企画,演出補佐 1944年 <太陽の子供たち> [原題:太陽の子供達] 監督 [第4作] キム・シンジェ,チェ・ウナク主演の映画で,島の国民学校 の女性教師が,学生たちに内鮮一体教育を行い,彼らに志願 入隊させるという内容の内鮮一体を強調した親日映画 1945年 <愛と誓い> [原題:愛と誓ひ] 監督 [第5作] 日本人俳優村田とムン・イェボン主演の映画で,国民学校に 赴任した日本人教師が,学生たちに日本風習を教えて,日本 人と同じ生活をするように推奨する内容の内鮮一体を強調し た親日映画 1945年 <神風の息子たち> [原題:神風の子供達] 監督 [第6作] 青少年を空軍兵として駆り出す意図の下に作られた映画 1945年 兄チェ・ワンギュ(崔完奎)とともに高麗映画株式会社を再整備 1946年 <自由万歳>
監督,脚本(撮影台本) [第7作] 1946年 映画監督クラブへ加入 1948年 <罪のない罪人> 監督,編集 [第8作] 日帝の弾圧にもかかわらず,キリスト教徒としての信仰と民 族意識を捨てないファン・ジェギョン牧師の実話をもとにし た作品 1948年 <独立前夜>
原作,監督,出演 [第9作] 解放とともに上海から帰還した娘に対し,死に向かいながら すべての財産を祖国建設に使ってほしいと遺言する悪徳質屋 の懺悔記録で,興行には惨敗した。 [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=0XQ1lnoRGnc 1948年 <国民投票> 監督,脚本,撮影,編集 [第10作] 駐韓米軍司令部公報院の依頼を受けて制作した映画 単独政府樹立総選挙(1948年5月10日)前に国民に 選挙の意義を認識させて選挙制度を啓蒙するために 制作された教育映画 1948年 <張秋華舞踏> 監督,撮影,編集 [第11作] 駐韓米軍司令部公報院の依頼を受けて制作した映画 チャン・チュファ(張秋華)の現代バレエや韓国の 芸術と風物を海外に紹介するための記録映画 1948年 <希望の村> 監督,脚本,編集 [第12作] 駐韓米軍司令部公報院の依頼を受けて制作した映画 韓国の農村の風物を素材にした海外広報用文化映画 1949年 <波市> 監督,撮影,編集 [第13作] フクサン(黒山)島ロケで撮影された映画で,酒場酌婦と女 主人,その下で仕事をする女とヤクザ,船員の間で起きる喜 怒哀楽を描いた作品 「波市」とは、盛漁期である春、秋の二回立つフクサンド (黒山島)の市のこと 1950年 朝鮮戦争の時に行方不明となる。 北へ拉致されたものと推定される。 [解説資料] 韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで(鄭j樺 [著] )89頁 [最終更新] 2024-07-20