輝国山人の韓国映画
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キム・シンジェ
金信哉
김신재
Kim Sin-Jae

[職  業] 俳優 [本  名] 김신재 金信哉       創氏改名:星信哉 [生年月日] 1919年      生まれ       1998年3月31日 死去 [出 生 地] 黄海道 イジュ(義州) [身長体重]  [住  所]  [レ タ ー]  [出身学校] 中国 遼寧省 安東高等女学校 中退 [宗  教]  [趣  味]  [特  技]  [家  族] 夫は、映画監督のチェ・インギュ(崔寅奎) [血 液 型]  [あ だ 名]  [座右の銘]  [経  歴]    中国 遼寧省 安東高女を中退して新義州新演劇場の研究員          として仕事をする。       1936 当時,新義州劇場の映写技師,後に映画監督となる          チェ・インギュ(崔寅奎)と結婚       1937 映画に心酔していた夫の勧誘でアン・ソクヨン監督の          <沈清(シムチョン)伝>に出演(18歳)       1938 同様にユン・ボンチュン監督の<圖生録>に出演して映画          にデビューした。          歴代女優のうちで最も短い歴史を持って当代最高のスター          であったムン・イェボンとキム・ソヨンに次ぐ位置に登っ          たという評価を受けた。          以後,主に<内鮮一体>を強調した映画に出演して,この          時期最も多い映画に出演した俳優のうちの一人だった。          これによって「親日」という批判を受けたりもする。          朝鮮戦争中に夫であるチェ・インギュが北へ拉致されて,          プサン(釜山)へ行き,芸術家たちが集まるサンユファ          (あるいは,スソンファ(水仙花))という名前の喫茶         店を 経営した。          解放後から1980年代までに200本に近い映画に出演した。       1983 アメリカに渡り,娘と共に余生を送って1998年アメリカの          バージニア州で79年の一生を終えた。         [H  P]  [所属会社]  [T  V]  [ラ ジ オ]  [M-Video]  [C F]  [短編映画]  [演  劇]  [DISC]  [受  賞] 1980 第19回 大鐘賞映画祭/女優主演賞(カッコーの啼く夜 別離) [解説資料] 韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで(鄭j樺 [著] )83頁 [お ま け]  [最終更新] 2015-01-28

[出演映画]
制作年作 品 名   (監督名)
1937
1938
1940
1941
1941
1942
1943
1943
1948
1956
1959
1959
1961
1961
1963
1965
1967
1968
1969
1970
1977
1978
1978
1979
1979
1980
1981
沈清(シムチョン)伝 (アン・ソクヨン)
圖生録 (ユン・ボンチュン=尹逢春)
授業料 (チェ・インギュ=崔寅奎,パン・ハンジュン=方漢駿)
家なき天使 (チェ・インギュ=崔寅奎)
君と僕 (日夏英太郎=ホ・ヨン=許泳)
豊年歌 (パン・ハンジュン=方漢駿)
朝鮮海峡 (パク・キチェ=朴基采)
望楼の決死隊 (今井正)
独立前夜 (チェ・インギュ=崔寅奎)
ソウルの休日 (イ・ヨンミン=李庸民)
女社長 (ハン・ヒョンモ=韓N模)
韓末の風雲と閔(ミン)忠正公 (ユン・ボンチュン=尹逢春,ナム・ホンイル)
張禧嬪(チャン・ヒビン) (チョン・チャンファ=鄭昌和)
燕山君(ヨンサングン) (シン・サンオク=申相玉)
望夫石(マンブソク) (イム・グォンテク=林權澤)
あの空にも悲しみが (キム・スヨン=金洙容)
 (キム・スヨン=金洙容)
将軍の髭 (イ・ソング=李星究)
壁の中の女 (パク・チョンホ=朴宗浩)
アッシ(お嬢さん)チェ・イニョン=崔寅R)
ハンネの昇天 (ハ・ギルチョン=河吉鍾)
族譜 (イム・グォンテク=林權澤)
夕立ち (コ・ヨンナム=高栄男)
長雨 (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
ピョンテとヨンジャ (ハ・ギルチョン=河吉鍾)
カッコーの啼く夜 別離 (チョン・ジヌ=鄭鎮宇)
従軍手帳 (チェ・ハウォン=崔夏園)



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