輝国山人の韓国映画
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イム・グォンテク
林權澤
임권택
Im Kwon-Thaek
映画監督

 

1936年 5月2日 出生(戸籍上:実際は,1934年生まれ)

      全羅南道 チャンソン(長城)郡 ナム(南)面
       サムテ里 568番地 生まれ(住民登録上の本籍)
      (実際生まれたところは,タングァン里)

      チャンソン(長城)のウォルピョン(月評)初等学
      校を卒業し,クァンジュ(光州)のスンイル中学校
      に通った。

      地主の祖父とインテリの父の影響で経済的に余裕が
      あったが,解放前後に父親と叔父の左翼活動のせい
      で,暮らし向きが悪くなり,幼年時期と学生時代は,
      経済的に困難な経験をした。

1953年 家の雰囲気が気に入らなかったことから17歳で家
      出して,モッポ(木浦)からプサン(釜山)へ向か
      う。

      朝鮮戦争の最中だった当時のプサン(釜山)が臨時
      首都であり,大きい都市に行ってこそ成功できると
      考えたためだった。

      家出当時,何のお金も持って来れなかったイム・グ
      ォンテクは,3日間飢えて街頭販売台に寝るなど,
      困難を経験した。

      釜山では,生計のために背負子(しょいこ)屋仕事
      もしたが,力が弱かったし,経験がないからと仕事
      をもらうことができなかった。

      一日儲けた小金で酒を買って夜を送ってたり,20
      歳には手顫症(手がしびれてしきりに震える症状)
      を体験するなど,肉体的,精神的に難しい時期を送
      った。

      また,戦争で使った米軍の軍靴を韓国人の足にあう
      サイズに改造した靴をプサン(釜山)国際市場の前
      の露店で売って生計を立てていたが,商売に素質が
      なかったためか,資金難に苦しめられた。
  
      釜山で一緒に商売をしていた軍靴商出身者たちは,
      ソウルに上京し,<薔花紅蓮伝>という映画を制作
      していたが,当時,イ・ギュファンの<春香伝>の
      興行が成功し,零細資本が,映画へ流入するなど,
      映画産業が急速に発達した時代であった。

      映画制作をしていた軍靴商出身者たちから,映画制
      作撮影現場を手伝わないかという要請を人づてに受
      けて上京し,映画制作現場で小道具補助として雑事
      をすることになる。

      映画への道は,芸術家として選択したというよりは,
      生存のためには避けられない選択だったそうだ。

      4〜5年経つとしだいに映画仕事に興味を感じるよ
      うになり,チョン・チャンファ監督の下で演出部の
      仕事をするようになる。

1956年 <薔花紅蓮伝 (チョン・チャンファ監督)>

      初めて撮影作業に参加する。

      映画の仕事が面白く,昼夜なく熱心に仕事をしたし,
      チョン・チャンファ監督は,撮影全般にわたって意
      見を聞くなど,非常に信任した。。

      その間,チョン・チャンファ監督作品の助監督を務
      め,映画の演出方法を習った。

       1959 愛が去る前に
       1960 陽光あふれる平原
       1960 悲しみは川の流れのように
       1961 地平線
       1961 ノダジ
       1961 張禧嬪(チャン・ヒビン)

      ハヌン(韓興)映画社のチェ・グァンドゥ(崔貫斗)
      社長が,助監督イム・グォンテクが作った予告篇を
      見て<豆満江よさらば>の監督を任せる。

1962年 <豆満江よさらば> [監督デビュー作]  [第1作]
       [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=VY-EJTgVxoY

      28歳のイム・グォンテク監督は,超豪華キャステ
      ィングの戦争映画でデビューした。

      日帝強制占領期間を背景に,満州独立軍が日本軍と
      激しい追撃戦を広げるこの映画は,興行に成功した
      だけでなく,優れたアクション場面を演出して好評
      を得た。

      特に,スキー部隊が雪に覆われた尾根を滑降して銃
      撃戦を行う大規模戦闘場面が圧巻だ。

       [↑イム・グォンテク映画博物館の展示から引用]

      韓国と中国の国境を流れる豆満江(トゥマンガン)
      を舞台に抗日レジスタンを描いたアクション映画

      興行に失敗すれば,再び監督をできなくなるという
      恐れがあったと回顧しているが,キム・ソックン,
      チャン・ドンフィパク・ノシクトッコ・ソン,
      キム・スンホチェ・ナミョンホ・ジャンガン,
      ファン・ヘオム・エンナンムン・ジョンスクな
      ど,ハヌン(韓興)映画社は,豪華俳優たちをキャ
      スティングしてくれ,撮影チームも最高の技術陣を
      揃えてくれ,一番の興行シーズンである旧正月に合
      わせて封切りしたため,興行に成功した。

第4回 1962年度 映画世界 人気賞 新人監督賞 受賞
(「映画世界」は,映画月刊誌)
 
プサン(釜山)広域市 イム・グォンテク博物館で撮影
(2016.05.04 )

      デビュー作がヒットしたので,作品の依頼が殺到し,
      1年に5,6編ずつ,1960年代だけで50編余りの
      作品を監督したが,これについては,ひたすらアメ
      リカの映画を模倣して,ジャンルを問わず,手当た
      り次第に撮った映画ということで,恥ずかしい心を
      持っていた。

      この時代には,興行させるために数多くの映画を撮
      りまくり,自分が撮った映画かどうかわからないこ
      ともあった。

      この三流映画時代のフィルムが燃えて痕跡が消えて
      しまったらいいのにと思うくらい,今でも監督を悩
      ませている。

1962年 <戦争と老人>

       一人の老人の助けが戦闘を勝利に導くという戦争映画
       興行的にも成功した。

1963年 <男は売れない>

1963年 <望夫石(マンブソク)> [第4作]

1963年 <申聞鼓(シンムンゴ)>

1964年 <断腸録>

1964年 <欲望の決算>

1964年 <十姉妹先生>

1964年 <万年遅刻生>

1964年 <十年勢道>

1964年 <栄和(ヨンファ)ママ>

1965年 <雨のなかに散る>

1965年 父が死去

1965年 <王と奴隷>

1966年 <戦争と女教師>

1966年 <法窓を泣かせたオギ>

1966年 <我は王なり>

1966年 <李尼利娘子 ニルリリ>

1967年 <青紗草籠>

1967年 <風雲の剣客>

1967年 <望郷千里>

1968年 <妖花 張禧嬪(チャン・ヒビン)>

1968年 <風のような男>

1968年 <夢女(モンニョ)>

1968年 <帰ってきた左利き>

1969年 <男三代>

1969年 <上海脱出>

1969年 <十五夜(の復讐)>

1969年 <雷剣>

1969年 <荒野の鷲>

1969年 <世話になるよ>

1969年 <雨降る顧母嶺(コモリョン)>

1970年 <月下の剣> 脚本も

1970年 <片眼の朴>

1970年 <露に濡れた百日紅>

1970年 <雨降る船艙>

1970年 <彼女を追え>

1970年 <夜汽車で来た男>

1970年 <飛剣> 脚本も

1970年 <睫の長い女>

1971年 <聖雄李舜臣(イ・スンシン)>

1971年 <怨恨の街に雪は降る>

1971年 <30年ぶりの対決>

1971年 <怨念の二人のせむし>

1971年 <これ以上私を苦しめないで>

1971年 <妖剣> 脚本も

      この映画に出演した現在の夫人チェ・リョンと交際を始める。

1971年 <二人目の母>

1971年 <明洞三国志>

1972年 <明洞残酷史>

       ナ・ハンボン,ユ・ヨル,シン・ボンスンなどのシナリオ作家が共同
       執筆し,ピョン・ジャンホチェ・イニョン,イム・グォンテクなど
       の3監督が3部分に分けて撮ったオムニバス映画

1972年 <帰りし者と去りし者>

1972年 <三国大侠>

1973年 <妓生五百花>

1973年 <大追撃>

1973年 <雑草>

       監督として覚醒した転換期的映画

       日帝強占期と解放,韓国戦争を通過した女性プンネ(キム・ジミ)の
       受難史だ。
       イム・グォンテク監督が直接制作まで担当し,自ら「真正なデビュー
       作」と呼ぶが,フィルムが遺失してシナリオだけが残っている。

        [↑イム・グォンテク映画博物館の展示から引用]

       雑草のように粘り強く生きる女性のつらく薄幸な運命と母性愛を描い
       た作品

       「率直な」映画が作りたくて地方業者たちに直接会って,借金をしな
       がらナ・ハンボン作家と準備した映画

       興行的には失敗したが,「私の映画」と呼びたい初めての作品だそう
       だ。

       数奇なある女性の一生を内容にした映画として,監督の母性に対する
       投射が強く入った作品。

       <雑草>以前の映画は,すべて燃やしてしまいたいと話し,この映画
       に対する愛情を表わしている。

       監督の作品傾向に一大転換点をもたらした作品と言われている。

       また,チュンムロ(忠武路)の制作者たちが,ジャンル物にたけてい
       る多作のイム・グォンテクではない,真剣な映画も作ることができる
       監督イム・グォンテクとして見直す契機になった。

1973年 <ソウル奪還大作戦 大反撃>【証言】 [第53作]

       1973年2月16日に公布された第4次改正「映画法」に沿って,映画振
       興公社は,維新体制の理念を具現する映画を直接制作したが,この映
       画は,その最初の事例となる映画で,韓国戦争を扱った反共映画とし
       て,政府の全幅の支援を受けた。

       江原道のある村をセットとして使用し,機甲部隊と歩兵部隊を動員し,
       スペクタクルな戦闘場面を演出し,観客動員にも成功した。

        [↑イム・グォンテク映画博物館の展示から引用]

       1974 第20回 アジア太平洋映画祭/女優主演賞(キム・チャンスク)
                      /監督賞 [イム・グォンテク映画博物館の展示から引用]
        1974 第13回 大鐘賞/特別賞


1974年 <妻たちの行進>

       農村の女たちが団結して村を再建するというセマウル運動の映画
        [イム・グォンテク映画博物館の展示から引用]

1974年 <私は泣かない>

1974年 <蓮花>

1974年 <続・蓮花>

1975年 <なぜそうなの>

1975年 <昨日,今日,そして明日>

1976年 <往十里(ワンシムニ)> [第60作]

       メロドラマとアクション映画という商業的なジャンルの枠組みに寄り
       添ったが,作家意識を反映して故郷について語った作品

1976年 <裸足の雪道>

1976年 <史上最大の戦場 洛東江大決戦> 【洛東江は流れるのか】 [第62作]

       第13回 韓国演劇映画芸術賞/監督賞,助演男優賞(チャン・ヒョク)
                     新人賞(チン・ユヨン)

1976年 <妻>

1977年 <玉礼記>

1977年 <壬辰倭乱と桂月香>

1978年 <常緑樹>

1978年 <あの波の上に母の顔が>

1978年 <族譜> [第68作]

       韓国的美意識を込めた映画

       日本の作家梶山季之の同名小説を映画化した映画で,創氏改名を拒否した地方の
       有力者ソル・ジニョン(チュ・ソンテ)の話しだ。

       韓国的な生のリズムと速度を悠長な呼吸として込めた監督自らアメリカ映画の陰
       から抜け出たと感じられる初めての映画だ。

        [↑イム・グォンテク映画博物館の展示から引用]

       民族を話題として西欧の映画スタイルでない「イム・グォンテク様式」に激しく
       悩んだ作品

       1978 第17回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞,監督賞,男優主演賞(ハ・ミョンジュン)
          1978 映画記者賞/作品賞,監督賞,男優主演賞(ハ・ミョンジュン)

1978年 <近くにあって遠い道>

       南(韓国)の子どもたちがいつのまにか北(北朝鮮)に行ってしまい,そこで
       子どもたちの交流が始まるという話


1979年 <明日また明日>

1979年 <神弓>

1979年 <旗のない旗手>

       日本の植民地支配から独立した後の激動の時代を背景に,若い知識人たちが経験
       したイデオロギー上の葛藤や感情の揺れなどを写実的に描いた作品

       1979 第18回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞

1979年 8年間の交際を経て,現在の夫人チェ・リョンと結婚(45歳)

1980年 <福夫人>

1980年 <チャッコ> [第74作]

       当時,<優秀映画>選定用反共映画として作られたが,監督の個人史を投影し,
       監督自らが再び制作したい映画と言うほど愛情を持った映画

       1980 第19回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞(反共部門)

1981年 <偶像の涙>

1981年 <曼陀羅> [第76作]

       国際的関心を集めることになった初めての作品
 
       1981 第20回 大鐘賞/監督賞,優秀作品賞,男優助演賞(チョン・ムソン) 
                 編集賞(イ・ドウォン),照明賞(チャ・ジョンナム)
                 脚色賞(イ・サンヒョン,ソン・ギルハン)
                        新人賞(チョン・ムソン)
          1981 第31回 ベルリン映画祭/本戦進出 審査員特別賞
          1982 第18回 韓国演劇映画芸術賞/男性演技賞(アン・ソンギ),
                       シナリオ賞,撮影賞
          1982 第2回 映画評論家協会賞/男性演技賞(チョン・ムソン),撮影賞

1982年 <アベンコ特殊空挺部隊 奇襲大作戦> [第77作]

       1982 第21回 大鐘賞映画祭/作品賞(安保部門),録音賞,特別賞,
                 音響効果部門(キム・ギョンイル)

1982年 <堕落した子供たち>

1982年 <蝶,懐で泣いた>

1982年 <霧の村> [第80作]

       1983 第22回 大鐘賞/男優主演賞(アン・ソンギ),撮影賞
          1983 第19回 百想芸術大賞/作品賞, 監督賞, 男優主演賞(アン・ソンギ)
          1984 第4回 映画評論家協会賞/男優主演賞(アン・ソンギ)

1983年 <炎の娘> [第81作]

       韓国人の意識と文化の中に深く根ざした土俗信仰の世界を描いた作品

1984年 <川の流れは止められない> [第82作]

1984年 <比丘尼> (比丘尼会の反対運動のためクランクイン直前に制作中止)

       比丘尼(ピグニ)会は,求道者である比丘尼(女僧)を金儲けの手段に利用し,
       商業用の猥褻物のモチーフにしたと主張し,制作中止や撮影中止の仮処分を申
       請した。
       制作会社のテフン(泰興)映画社は,撮影中の映画を問題にするのは,制作の
       自由を侵害すると主張したが,比丘尼1200人がチョゲ(゙渓)寺で座り込みを
       行い,血書まで書く事態に発展したため,制作会社のテフン(泰興)映画社が
       制作を放棄することで事態を収拾した。

1985年 <キルソドム> [第83作]

       離散家族の再会の困難と後遺症を描いた作品
       1985 第24回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞(反共部門),女優主演賞(キム・ジミ)
                    音楽賞,美術賞
       1986 第6回 映画評論家協会賞/監督賞 
       1986 第22回 百想芸術大賞/作品賞
       1986 第22回 シカゴ国際映画祭/人類平和賞
       1985     ベルリン国際映画祭 本戦進出

1986年 <チケット> [第84作]

       1986 第25回 大鐘賞映画祭/監督賞,脚本賞,企画賞
                    新人演技賞(チョン・セヨン)
          1987 第7回 映画評論家協会賞/最優秀作品賞, 監督賞, 女優主演賞(キム・ジミ)
          1987 第23回 百想芸術大賞/女優主演賞(キム・ジミ)

1986年 <シバジ> [第85作]

       子孫を代々引き継ぐための儒教的家父長社会の問題点を暴いた作品
       1986 第25回 大鐘賞/撮影賞(ク・ジュンモ),照明賞(カン・グァンホ)
       1986 第7回 映画評論家協会賞/撮影賞(ク・ジュンモ),特別賞
       1987 第44回 ベネチア国際映画祭/主演女優賞(カン・スヨン)
       1987 ナント三大陸映画祭/主演女優賞(カン・スヨン)
       1987 第33回 アジア太平洋映画祭/作品賞,監督賞,助演女優賞(パン・ヒ)

1987年 <燕山(ヨンサン)日記> [第86作]

       1987 第26回 大鐘賞映画祭/優秀作品賞,監督賞,美術賞,企画賞

1987年 <アダダ> [第87作]

       1987 第26回 大鐘賞映画祭/編集賞,新人演技賞(シン・ヘス)
          1988 第24回 百想芸術大賞/技術賞,新人賞(シン・ヘス)
          1988 第12回 モントリオール映画祭/主演女優賞(シン・ヘス)
          1989 第12回 黄金撮影賞/特別賞,新人の顔部門(シン・ヘス)

1989年 <ハラギャティ(波羅羯諦)> [第88作]

       1989 第27回 大鐘賞/最優秀作品賞,女優主演賞(カン・スヨン)
                 助演男優賞(ハン・ジイル)
                  特別賞(ユン・インジャ)
        1989 第25回 百想芸術大賞/新人演技賞(チン・ヨンミ)
        1989 第9回 映画評論家協会賞/女性演技賞,新人演技賞(チン・ヨンミ)
                      音楽賞/録音賞
        1989 第13回 モスクワ映画祭/最優秀主演女優賞(カン・スヨン)

1989年 文化勲章 宝冠章

1990年 <将軍の息子> [第89作]

       1990 第29回 大鐘賞/新人男優賞(パク・サンミン)
                 新人演技賞(シン・ヒョンジュン)
        1991 第11回 青龍賞/新人男優賞(パク・サンミン)

1990年 ドイツ ミュンヘン国際映画祭 イム・グォンテク映画週間 開催

1991年 <開闢> [第90作]

       1991 第29回 大鐘賞/優秀作品賞/主演男優賞(李徳華)/照明賞/芸術賞/
                       特別演技賞
          1991 第12回 青龍映画賞/監督賞
          1991 第2回 春史映画芸術賞/監督賞,男優主演賞(李徳華)
          1991 第36回(台北)アジア太平洋映画祭/美術賞(ト・ヨンウ)

1991年 <将軍の息子2> [第91作]

       1991 第12回 青龍映画賞/最多観客賞
          1992 第30回 大鐘賞/新人男優賞(シン・ヒョンジュン)
          1992 第28回 百想芸術大賞/新人演技賞(イ・イルジェ)

1991年 フランス ナント国際映画祭 イム・グォンテク映画週間 開催

1991年 駐韓フランス大使館でフランス芸術文化騎士勲章を授与 

1992年 <将軍の息子3> [第92作]

       1992 第13回 青龍映画賞/新人女優賞(オ・ヨンス)

1993年 <風の丘を越えて ソピョンジェ(西便制)> [第93作]

       1993 第31回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞,監督賞,新人女優賞(オ・ジョンヘ)
                    新人男優賞(キム・ギュチョル),撮影賞,録音賞
          1993 第14回 青龍映画賞/大賞,最優秀作品賞,撮影賞
                   男優主演賞(キム・ミョンゴン)
                   男優助演賞(アン・ビョンギョン)
                   新人女優賞(オ・ジョンヘ)),最多観客賞
          1993 第13回 韓国映画評論家協会賞/作品賞,監督賞,男優主演賞(キム・ミョンゴン)
                 撮影賞,音楽賞,新人賞(オ・ジョンヘ)
          1993 第4回 利川春史大賞映画祭/作品賞,監督賞,主演女優賞(オ・ジョンヘ))
                           技術1賞(美術:キム・ユジュン)
                     男子新顔演技賞(キム・ギュチョル)
          1993 第1回 上海国際映画祭/最優秀監督賞,最優秀主演女優賞(オ・ジョンヘ))

1994年 <太白(テベク)山脈> [第94作]

       1994 第15回 青龍映画賞/作品賞(泰興映画),男優助演賞(キム・ガプス)
                 女優助演賞(チョン・ギョンスン)
          1995 第33回 大鐘賞映画祭/審査委員特別賞(泰興映画),男優主演賞(キム・ガプス)
                         音楽賞(キム・スチョル)
                 助演女優賞(チョン・ギョンスン)
          1995 第31回 百想芸術大賞/男子演技賞(キム・ガプス)
          1995 第6回 利川春史大賞映画祭/最優秀作品賞,撮影賞,照明賞
       1995    ベルリン国際映画祭 本戦進出

1994年 第11回 錦湖(クムホ)芸術賞

1994年 東亜日報 選定 '93今年の人物'

1994年 光復50周年記念事業委員会 委員

1996年 <祝祭> [第95作]

          1996 第16回 韓国映画評論家協会賞/最優秀作品賞,男優演技賞(アン・ソンギ)
          1997 第33回 百想芸術大賞/監督賞
       1997 第17回 青龍映画賞/最優秀作品賞,監督賞

1996年 韓国映画研究所 諮問委員

1996年 韓国 中央大学校芸術大学院 客員教授

1996年 6月 韓国映画研究所 初代理事長

1997年 <> 脚本も [第96作]

1997年 福岡アジア文化賞 芸術部門 受賞


福岡アジア文化賞 芸術部門
 
プサン(釜山)広域市 イム・グォンテク博物館で撮影
(2016.05.04 )

1997年 CINEMA NOMO映画祭 イム・グォンテク監督週間 <祝祭>等 10本上映

1998年 サンフランシスコ国際映画祭 クロサワ賞(一生功労賞)

1998年 トングク(東国)大学校 演劇映像学部 兼任教授

1998年 第3回 プサン(釜山)国際映画祭 執行委員

1998年 スクリーンクォーター死守 汎映画人 非常対策委員会 共同委員長

1998年 大韓民国 文化芸術賞 公演芸術部門

1999年 映画振興委員会 委員

2000年 <春香伝> [第97作]

       2000 第20回 ハワイ国際映画祭/映画部門 最優秀作品賞
          2000 第20回 韓国映画評論家協会賞/撮影賞(チャ・スンウォン)
          2000 第36回 百想芸術大賞/大賞,監督賞
          2000 第8回 春史羅雲奎映画芸術祭/企画賞,女優助演賞
          2000 第14回 アジア太平洋映画祭/審査委員特別賞

2000年 第5回 プサン(釜山)国際映画祭 アジア映画振興機構賞

2002年 <醉画仙(すいがせん)> 脚本も [第98作]

       2002 第55回 フランス カンヌ国際映画祭/監督賞
          2002 第23回 青龍映画賞/最優秀作品賞,監督賞,撮影賞(チョン・イルソン)
          2002 第22回 韓国映画評論家協会賞/撮影賞(チョン・イルソン)
          2003 第39回 百想芸術大賞/特別賞(イ・テウォン)

2002年 イルミン(逸民)文化財団 イルミン(逸民)芸術賞

2002年 大韓民国芸術院 会員

2002年 7月2日 カトリック大学校 名誉文学博士 学位授与

2002年 7月8日 金冠文化勲章(1等級)


金冠文化勲章(1等級)
 
プサン(釜山)広域市 イム・グォンテク博物館で撮影
(2016.05.04 )

2002年 ユネスコ フェリーニ 黄金メダル

2002年 第3回 今年を輝かせた韓国人賞

2002年 第10回 利川春史大賞映画祭 春史誕生100周年記念 功労賞

2003年 ホアム(湖巌)財団 第13回 ホアム(湖巌)賞 芸術賞

2003年 (社)全羅南道 映像委員会 名誉委員長

2004年  <下流人生> 脚本も [第99作]

      監督自身が通過してきた1970年代に対する非常に個人的な告白映画

2004年  マネ思想実践宣揚会 第8回 マネ大賞 芸術賞

2004年 ニューヨーク現代美術館でイム・グォンテク監督回顧展 開催

2005年 第55回 ベルリン国際映画祭 イム・グォンテク回顧展 開催 / 名誉黄金熊賞 授与

2005年 誇らしい全羅南道人賞

2005年 国立公園管理公団 国立公園名誉大使

2007年 <千年鶴> [第100作]

       2007 第27回 韓国映画評論家協会賞/音楽賞(梁邦彦)

2007年 第57回 ベルリン国際映画祭 名誉黄金熊賞

2007年 フランス レジオンドヌール シュバリエ勲章

2007年 ドバイ国際映画祭 生涯功労賞

2007年 第3回 アンドレ・キム ベストスターアワード 特別賞

2008年 2月〜 トンソ(東西)大学校 イム・グォンテク映画芸術大学 名誉学長

2008年 7月 第10回 ソウル国際青少年映画祭 審査委員長

2008年 6月 第12回 上海国際映画祭 アジア新人賞 部門審査委員長

2009年 第9回 マラケシュ国際映画祭 ゴールドスター賞

2010年 <月の光をくみ上げる> 脚本も [第101作]

       2012 第2回 シネマテーク KOFA が注目した韓国映画 選定作

2010年 10月 G20首脳会議 開催成功祈願 スターサポーターズ

2011年 社団法人 韓国常緑会 第19回 人間常緑樹推戴

2011年 5月26日 チョンナム(全南)大学校 名誉文学博士 学位授与

2011年 6月 第10回 ミザンセーヌ(Mise-en-scene)短編映画祭 ジャンルの想像力展 特別審査委員

2011年 8月 ソウルドラマアワーズ 本審 審査委員長

2011年 第19回 人間常緑樹 文化映画関係者部門 受賞

2012年 演劇映画協会 イム・グォンテク回顧展 開催

2013年 トンソ(東西)大学校 イム・グォンテク映画博物館 開館

2015年 <化粧/火葬> [第102作]

       2015 第51回 百想芸術大賞/作品賞
       2014 第25回 シンガポール国際映画祭 Asian Vision 生涯功労賞
       2015 第9回 アジア フィルム アワード 功労賞

2016年 利川春史大賞映画祭/功労賞

2016年 第36回 韓国映画評論家協会賞/功労賞


○ イ・ヨングァンによると,映画の主題は,ヒューマニズムに立った映画精神を持っていて,
  いくつかの特徴で区分して見ることができるのだそうだ。

 1 彼の作品は,ジャンル区分が曖昧だという事実にもかかわらず,女性と母性愛が主要因
   者として機能している。

 2 童心や思春期を扱う作品では,乱脈を露呈させる。

 3 すべての登場人物の相互の関連性が必ずヒューマニズムに立っている。

 4 戦争映画や反共映画の一部は,例外なく,劇的ナレーティブで失敗している。

 5 史劇映画の場合は,現実逃避的制裁の陥没という脆弱性を表わす。

 6 民族的,愛国的などのイデオロギーを劇化するのに脆弱だ。

 7 物や状況描写にあっては,モンタージュ的な時間感覚よりは,フォトジェニックな空間
   感覚に偏る傾向がある。

 8 興行性で代弁されるいわゆる<脱ぐ場面>については,比較的ケチだ。
 
 9 したがって,彼の映画スタイルは,現代的なこと,成人に対すること,母性愛傾向,社
   会的リアリズムとヒューマニズム,または,空間的,時間的なこと,旅立つエンドマー
   ク好みなどを仮定できる。


○ 家族関係

  夫人:チェ・リョン    元女優
               <妖剣>(1971年)に出演

  長男:イム・ドンジュン  映画企画分野で活動

  次男:クォン・ヒョンサン 俳優,モデル
     (本名:イム・ドンジェ)


[最終更新] 2014-06-11






 



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