輝国山人の韓国映画
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授業料

スウォン(水原)のメヒャン(梅香)尋常小学校の4年生であるヨンダル(チョン・チャンジョ)は,6か月前に行商を出て行った両親から便りがなく,授業料を出すことができない。

祖母(ポク・ヘスク)がゴミを拾ってやっと生活しているけれど,祖母の具合が悪く,ぼろを拾えなくなると食糧も尽きて,弱り目にたたり目で,家主(トク・ウンギ)は,たまった家賃を督促する。

ヨンダルは,祖母の心配を減らそうとさっそうと行動するが,授業料の納付日が近づくと,とても学校に行くことができない。

ヨンダルの学級友だちチョンヒ(キム・ジョンイル)は,自分より事情がより気の毒なヨンダルのために,友人たちと意気投合してヨンダルを助けることにする。ピョンジュン(イ・ドンソン)は,家にある真鍮製の容器をこっそりと持って行って,姉クィラン(キム・シンジェ)に見つけられ,ヨンダルの事情を知るようになったクィランは,ヨンダルがピョンジュンの勉強を見るかわりに米を送ってくれる。

担任の田代先生(すすきだ・けんじ)も,祖母を訪ねて行って,ヨンダルが学校に出てくるようにしてくれと言って授業料を渡す。

翌日,嬉しい気持ちで授業料を用意して登校するヨンダルは,途中で家主に会うことになって,具合の悪い祖母を心配して授業料の分のお金を家賃として払ってしまう。結局,祖母は,ヨンダルにピョンテク(平澤)のおばさん宅に行って授業料をもらってこいと話す。

スウォン(水原)からピョンテク(平澤)まで60里(1里=392メートル)にもなる遠い道を一人で凛々しく歩いていったヨンダルは,おばさん宅に無事に到着し,授業料と米をもらってバスで戻る。ヨンダルは,家に到着するやいなや授業料を払いに学校に走って行く。田代先生は,友人たちがお金を集めた<友情箱>を見せて,授業料の心配はせず,熱心に勉強しろと話す。

再び家に戻ったヨンダルは,秋夕には帰ってくるという父の手紙とともに,お金と服,履き物が入った小包を受け取る。

村の農楽隊が踊る秋夕の頃,ヨンダルは,郵便配達人(キム・イルヘ)から,両親が帰ってくるという消息を聞いて,村の入り口まで走って行って父(キム・ハン)と母(キム・シンジェ)を迎える。

[制 作 年] 1940年
[韓国封切] 1940年4月30日
[観覧人員] 
[原    題] 授業料 수업료
[英 語 題] Tuition
[ジャンル] ドラマ,啓蒙
[企  画] 西亀元貞
[原    作] ウ・スヨン(禹寿栄)
[脚    本] 
[脚    色] 八木保太カ(やぎ・やすたろう)
[台  詞] ユ・チジン(柳致眞)
[監    督] 共同監督
       チェ・インギュ(崔寅奎)
       パン・ハンジュン(方漢駿)
[助 監 督] 
[撮  影] イ・ミョンウ(李明雨)
[照  明] チェ・ジン
[音    楽] 伊藤宣二(いとう・せんじ)
[演  奏] 東京交響管弦楽団
[主 題 歌] 日本 ポリドールレコード

[出    演] 薄田研二      → 田代謙一先生 第4学年担任 
      (すすきだ・けんじ)
       新築地劇団
      チョン・チャンジョ → ウ・ヨンダル(禹榮達)
      (鄭燦朝)
      キム・ジョンイル  → アン・ジョンヒ(安貞姫) コウモリ女
      (金鍾一)
      イ・ドンソン    → イ・ビョンジュン(李炳準)
      (李東聲)
      イ・ギデ      → パク・チェミョン(朴載明)
      (李基[代の下に土])
      ホ・ヒョン     → キム・ギョンハク(金敬學)
      (許炯)
      ポク・ヘスク    → 祖母

      キム・ハン     → 父 ウ・チャンホ(禹昌鎬)

      ムン・イェボン   → 母

      キム・シンジェ   → クィラン(貴蘭) ヨンダルの同級生の姉

      トク・ウンギ    → 家主

      キム・イルヘ    → 郵便配達夫

      チョン・テギ    → 金魚売り
      (田澤二)
      チェ・ウンボン   → 牛馬車 馬夫
      (崔雲峰)


[受    賞] 
[映 画 祭] 2016.2.3〜3.6
       日韓国交正常化50周年記念 韓国映画1934-1959 創造と開化
             福岡市総合図書館 映像ホール シネラ で上映
[時    間] モノクロ 日本語 韓国語(日本語字幕) 80分
[観覧基準] 
[制 作 者] イ・チャンヨン(李創用)
[制作会社] コリョ(高麗)映画協会 ナムデムン(南大門)撮影所
[制 作 費] 
[D V D] 日本発売なし
[レンタル] 
[H    P] 
[撮影場所] スウォン(水原)ファソン(華城) 北水門=ファホンムン(華虹門)
[M-Video] 
[Private ] K-DVD【72】韓国映像資料院 発掘された過去 5 DVD(日本語字幕あり)
             103番目のデジタル映像版 制作作品


[お ま け] ・<授業料>は,2014年に中国電影資料館(China Film Archive)から収集
       された作品で,解放以前の韓国で制作された合計157本の劇映画のうち15
       番目に発掘された作品。

      ・<授業料>は,京城日報主催の<キョンイル(京日)小学生新聞>公募で朝鮮
       総督府学務局長賞を受賞したクァンジュ(光州)プクチョン(北町)小学校4
       年生ウ・スヨン(禹寿栄)の作文を原作にした映画で,1930年代の植民地
       朝鮮で相当な影響力を行使した制作会社コリョ(高麗)映画協会が制作した。

      ・この作品のフィルムが発掘された経過は,次のとおりです。

        韓国映像資料院は,2013年11月に中国電影資料館から入手した’韓国’
        映画目録に<學費(Tuition Fee)という題目を発見し,直ちに中国電影資料
        館に<授業料>のプリントが保存されていることを確認しました。
        2014年6月に中国電影資料館から複製した35mmプリントが輸入され,
        収集されたプリントは,全体8ロールで,欠巻もなく,良好な状態でした。
        韓国映像資料院は,<授業料>のフィルムを提供してくださった中国電影資
        料館に心から感謝申し上げます。(DVDの冒頭クレジットから)

      ・この映画は,コリョ(高麗)映画協会の代表イ・チャンヨン(李創用)の卓越
       した企画力で,企画段階から内地・日本への輸出を念頭に置いて多数の日本映
       画関係者を制作スタッフとして参加させ,封切り前から韓国と日本で大いなる
       関心を呼び起こしたそうだ。

      ・子供の純粋な童心を迂回した日帝の内鮮同祖論的な思考が底辺に敷かれている
       と言われているが,一方で植民地朝鮮の映画関係者が(無)意識的に作り出し
       た亀裂の隙間から植民地朝鮮の風景が発見されるとも言われている。

      ・このような点で,<授業料>は,映画史的に見ても,作品の完成度で見ても抜
       群の成果を見せた作品と言われている。




    ◎ 韓国映像資料院 発掘された過去 5 <授業料>(DVD)
        添付 ブックレットから 翻訳


      朝鮮映画<授業料>の発掘と映画史的価値
 
            チョン・ジョンファ 韓国映像資料院 専任研究員

      2004年の<家なき天使>に続く10年ぶりの追加発掘

      ・その間,映画会社の記録と関連資料でだけ存在した植民地朝鮮映画<授業料>
       (1940)が,中国電影資料館(CHINA FILM ARCHIVE)で発掘された。

      ・おかげで,韓国映像資料院の日帝時期劇映画コレクションが1本さらに増える
       ことになったし,<発掘された過去> DVDシリーズも,数年ぶりに再び続くこ
       とになった。

      ・この映画は,1930年代中半から朝鮮映画界の代表的な制作会社として頭角を現
       わした高麗映画社の2番目作品であり,チェ・インギュ監督の2番目映画とし
       て記録される。

      ・チェ・インギュの3番目の作品<家なき天使>が2004年に発掘されたので,言
       葉どおり10年ぶりの朗報としても過言ではないだろう。

      ・事実,中国電影資料館は,植民地朝鮮映画の宝庫といえるところだ。

      ・2004年の訪問調査で,<軍用列車>(ソ・グァンジェ,1938),<漁火>
       (アン・チョリョン,1939),<志願兵>(アン・ソギョン,1941),
       <家なき天使>(1941)など4本を,2005年の訪問調査で,<迷夢>
       (ヤン・ジュナム,1936),<半島の春>(イ・ビョンイル,1941),
       <朝鮮海峡>(パク・キチェ,1943)など3本を発掘したことがあって,2006
       年には,中国電影資料館から1945年以前の日本映画目録が提供され,「朝鮮軍
       報道部」が制作した<兵丁様>(パン・ハンジュン,1944)を追加発掘した。

      ・それなら当然に次のような疑問が起こるだろう。

      ・<授業料>を探す時まで,なぜ10年という長い時間がさらに必要だったのだろ
       うか。

      ・事実,韓国映像資料院は,2006年以後にも中国電影資料館と絶えず接触してき
       た。

      ・しかし,自国映画だけでもあまりにも膨大な資料を保有している所で,朝鮮映
       画のカタロギング(目録化)作業がなされるのは,より長い時期が必要だった。

      ・具体的に説明すれば,アナログ管理システムのデジタル化転換が完了するのを
       待っていたという話だ。

      ・もちろん,返事が遅れたり,最初から来ないなど,連絡自体が大変だった事情
       は言うまでもない。

      ・カタロギング作業が一部完了したという消息を聞いたのは,2013年10月,気が
       かりに耐えられず,再び中国電影資料館を訪問した時だ。

      ・そして1か月後,中国電影資料館の国際交流担当者から「韓国」を検索語にし
       た映画目録の提供を受けることができた。

      ・この目録には,韓国映像資料院が,すでに保有している日帝時期の劇映画らと
       1950年以後の北朝鮮映画も多数含まれていたが,その中で新しく目に映ったの
       が<学費 Tuition Fee>という題名だった。
 
      ・この映画が,まさに<授業料 School-Fee(当時の広告基準用題名)>である
       ことを直感した韓国映像資料院収集部は,中国電影資料館側にフィルム実態調
       査とオープニング クレジット イメージ撮影を急いで依頼し,1940年作の<授
       業料>であることを確認することができた。

      ・そして,2014年6月,中国電影資料館でコピーした<授業料>の>35mmプリント
       が手に入った。

      ・収集したプリントは,全体8ロール(ランニングタイム80分)で,幸い欠巻な
       く良好な状態であった。

      ・特に,劇中登場人物のセリフは,韓国語と日本語が混用されていて,韓国語の
       セリフが発話される時には,日本語縦字幕がついている。

      ・すなわち,前者は,この映画が植民地の「二重言語」状況をよく見せる興味深
       いテキスト(脚本)であることを,後者は,制作者イ・チャンヨンが,当時,
       「内地」の映画市場を念頭に置いていたということだ。


     「授業料」を求めるための朝鮮の子ども「ヨンダル」の旅程

      ・<授業料>は,高麗映画社のイ・チャンヨンが制作し,チェ・インギュ,パン
       ・ハンジュンが共同監督した作品だ。

      ・1939年6月に撮影に入ったこの映画は,10月初めチェ・インギュの突然の臥病
       で,<ハンガン(漢江)>(1938)を演出したパン・ハンジュンに交替,11月に
       後半部撮影を終えて,日本での録音など後半作業に入った。

      ・当時の記録を調べれば,映画制作と関連した2種類の事実を確認することがで
       きる。

      ・まず,共同演出というが,映画の大部分をチェ・インギュが演出したという点,
       そして,「内鮮交換」企画だったこの映画に多数の日本映画関係者が参加した
       という点だ。

      ・新築地劇団の薄田研二(すすきだ・けんじ)が,主演である田代先生で出演し,
       <太陽の子>(あべ・ゆたか,1938)などの脚本を書いた中堅シナリオ作家
       八木保太カ(やぎ・やすたろう)が脚色を担当した。

      ・そして,当時,小津安二郎(おづ・やすじろう)と清水宏(しみず・ひろし)
       の映画音楽を担当した伊藤宣二(いとう・せんじ)が,城隍堂(ソンファンダ
       ン)(パン・ハンジュン,1938)に続き,朝鮮映画に参与した。

      ・朝鮮封切りは,1940年4月30日,明治座と大陸劇場であった。

      ・封切り当時の観客数が,正確な数値で残っていることはないが,当時の文献の
       「空前の活況」を見たという記録を通じて,この映画が,植民地朝鮮の観客の
       大きな関心を集めたことを推察してみることができる。

      ・日本では,同じ年の9月,ヨーロッパ芸術映画専門配給会社である東和商事に
       よって紹介されていて,映画評論家など知識人から,「商業的に染まらなかっ
       た朝鮮映画の芸術的可能性」という観点で支持を受けた。

      ・映画の原作は,京城日報の《キョンイル小学生新聞》公募で,朝鮮総督賞学務
       局長賞を受けたクァンジュ(光州)プクチョン(北町)小学校4年ウ・スヨン
       という子どもの作文だ。

      ・映画は,スウォン(水原)へ背景を移して,小学校4学年学生ヨンダル(チョン
       ・チャンジョ)が,授業料がなくて学校にも行くことができない状況を淡々と
       描く。

      ・行商に出て行った両親は,6か月も便りがなく,ヨンダルは,屑拾いをする祖
       母と,手に負えないが,明るく生きている。

      ・この映画の白眉は,当然,幼いヨンダルが授業料を求めに,独りで60里(翻訳
       者注:1里=392メートルなので、約24km)の道を歩いてピョンテク(平澤)
       の伯母さん宅に行く場面だ。

      ・当時,「内地 日本」で,<授業料>が封切られる時,映画雑誌の広告や記事に
       は,担任先生とクラスの友達が,友情箱にお金を集めてヨンダルの授業料を用
       意する内容に傍点がつけられている。

      ・だが,監督チェ・インギュ,パン・ハンジュンは,スウォン(水原)からピョン
       テク(平澤)まで歩く幼いヨンダルの旅程を,オリジナルシナリオの分量より
       はるかに長く注意深く映画の中で描写している。

      ・前日の夜,直接弁当を包み,運動靴を縫うなど,行く支度を終えたヨンダルは,
       霧が立ち込めた明け方,ピョンテク(平澤)へ出発する。

      ・牛馬車に乗せてもらい,居酒屋でも水を飲ませてもらい,さっそうと道を歩い
       たヨンダルは,通り過ぎるバスから投げ捨てられた空のキャラメル箱を見て失
       望したりもする。

      ・ピョンテク(平澤)に到着する頃,暗くなった森の道を独りで歩いていて恐ろ
       しくなったヨンダルが,あどけない声で軍歌<愛馬進軍歌>を歌う時,私たち
       は,これまでの朝鮮映画の発掘作では会えなかった実に複雑な感情を経験する
       ことができる。

      ・この映画の監督が,植民地朝鮮のある子どもが,授業料を求めるために遠い道
       を歩く場面を精魂を込めて描写したのは,どんな意図だったのだろうか。

      ・原作作文では,この場面は,「先生がいつもおっしゃっていた忍苦鍛練だと考
       えて,ずっと歩いた」と終えられるが,映画の中のヨンダルは,結局,涙を拭
       いてしまう。

      ・総督府募集作文当選作の理念的効果は,偶然にも映画化の過程で退色してしま
       った。


     映画<授業料>が新しく話してくれるもの

      ・<授業料>は,私たちにこのテキスト(脚本)が単純でない読解を要求するこ
       とを,また,映画史の研究脈絡から,さらに悩まなければならない地点がある
       ということを語る。

      ・先ほど,授業料を求めて旅立ったヨンダルの靴に注目したように,日本のシナ
       リオと朝鮮の撮影台本に基盤を置いた映画を共に検討して見る必要がある。

      ・原作と同一にクァンジュ(光州)とチャンソンを背景にして全70個のシーンで
       構成されたシナリオは,八木保太カの作品だが,撮影台本を作ったのは,演出
       者チェ・インギュの役割であるためだ。

      ・また,部分部分が韓国語のセリフに変更されたが,これは,作家ユ・チジンが
       引き受けた。

      ・シナリオと映画の最も大きい差は,映画とは違い,シナリオ上の登場人物が,
       みんな日本語で話すということだ。

      ・例えば,田代先生が,学校に出てこないヨンダルの家を訪ねて行って,おばあ
       さん(ポク・ヘスク)と日本語で対話をする場面だ。

      ・しかし,映画では,日本人先生とおばあさんの対話は,当然よく通じず,おり
       しもヨンダルに弟ピョンジュンの勉強をお願いした姉クィラン(キム・シンジ
       ェ)が家に来て,通訳をすることになる。

      ・まさに,ここが最も重要な場面だ。シナリオから映画が変わる地点。

      ・例えば,親切だが朝鮮語がよく分からない先生に,おばあさんが,「はい,つ
       らいです。ただ老いれば,死ななければなりません。」と話すのは,日本語だ
       けの対話場面とは,全く違う状況である。

      ・先生の日本語セリフは,おばあさんのせきの声で中断され,言葉がなく,おば
       あさんが落ち着くのを待つ空白が,しばらく持続する。

      ・私たちは,<授業料>のこのような瞬間を綿密に検討して見る必要がある。

      ・当時,朝鮮映画批評に積極的だった水井れい子も指摘するように,「あらすじ
       を伝達するばかりであるこれまでの手法から抜け出し,詳細な部分まで気を遣
       う」チェ・インギュの映画的才能にも注目しなければならない理由だ。

      ・当時,<授業料>が日本で公開された時,日本の広告と記事は,<授業料>を
       朝鮮版<綴方教室>(山本嘉次郎,1938)と広報した。

      ・もちろん,この映画が,<授業料>の企画過程に影響を及ぼしたが,<綴方教
       室>は,むしろ<あの空にも悲しみが>(キム・スヨン,1965)とより近い映
       画に見える。

      ・先ほど,映画音楽家の伊藤宣二が,清水宏の映画に参加したと言及したように,
       <授業料>と直接的な影響関係を追跡できる映画は,まさに清水の児童映画,
       特に朝鮮でも封切りして朝鮮映画シーンの注目を浴びた<子供の四季>(1939)
       であろう。

      ・明らかに,清水の流麗で整頓された映画世界に比べて,チェ・インギュの画面
       は,荒くて素朴だ。

      ・しかし,貧弱な朝鮮映画の撮影現場で,形式実験は,ただ好事だけであると嘆
       いた当時のチェ・インギュの映画美学的な野心は,相当部分が清水のスタイル
       に基づいていると見られる。

      ・例えば,ヨンダル家のセットの側面から,水平トレッキングで撮影して映画的
       リアリズムを亀裂させた興味深い場面は,参考モデルがなければ,試みるのが
       難しい場面だ。

      ・また,子どもたちを情愛深く捕えるカメラ駆動も,路上の子供たちとバスと牛
       車が登場するエピソードも,事実,清水の専売特許だ。

      ・このように,<授業料>は,比較的,テキスト(脚本)的見地から,進んで多
       様な学際の関心事として,多角的に分析されなければならないだろう。

      ・もしかしたら,この映画は,今私たちが考えるより,はるかに複雑な植民地朝
       鮮の実状を抱いているかもしれない。

      ・今や皆さんが直接確認する番だ。


    ◎ この映画<授業料>については、次の書籍に詳細に解説されている。

       日本統治下の朝鮮シネマ群像
        《戦争と近代の同時代史》
          下川正晴[著]
           弦書房 2,200円+税 2019年




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