輝国山人の韓国映画
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夕立ち

美しい田舎を背景に,無邪気な少年と少女の恋心と、性への目覚めを叙情的に描いた作品

ソギ(イ・ヨンス)は、ソウルから転校してきたヨニ(チョ・ユンスク)に村の入り口で出会う。ヨニの父チュング(オ・ヨンガプ)が自動車事業に失敗して、曽祖父のユンおじいさん(カン・ゲシク)宅にやってきたのだ。

ヨニは、小川のほとりでソギを待って親しくなろうとするが、ソギは、ぎこちなくて避けるばかりだ。一方、ヨニが数日間小川のほとりに見られないと、ソギはかえって空しくてチュソク(秋夕)に着る新しい服で着飾ってヨニを尋ね歩いたりする。

ソギがヨニを困らせた子供たちと戦ったことを契機に、二人は親しくなる。ヨニは、ソギに山へ遊びに行こうと話して、二人は、山の中で楽しい時間を過ごす。

急に夕立が降って、ソギは、ヨニのために服を脱いで着せてあげて、とうきびの茎の束の中に一緒に座って雨をよける。家へ帰る道では、小川が増水しており、ソギは、ヨニを背負って小川を渡る。

ヨニと親しくなったソギは、うれしくて飛ぶように走ったりする。だが、その日以後、ヨニは現れなくなる。

数日間、一人で小川の橋に座って待ったソギにヨニが現れて、とても具合が悪かったし、また、引っ越しすることになったと話す。ヨニからナツメをもらったソギは、クルミを取っておくが、ヨニに会うことはできない。

ソギの父(キム・ミンギュ)は、チュソク(秋夕)のチェサ(祭祀)の挨拶のためにヨンの家に鶏を持って行って、ソギは、父を待っている間に、ヨニが出てくる長い夢を見る。少しの間、眠りからさめたソギは、帰ってきた父が母(ユ・ミョンスン)にヨニが死んだと話すのを聞く。

ソギは、夜明けに小川の橋に独りで座って、佗びしく泣く。ソギは、ヨニとの思い出がこもった服を着替えないまま、学校に走っていく。
(韓国映像資料院のDVDに付属する冊子より)

[制 作 年] 1979年 [韓国封切] 1979年9月13日 [観覧人員]  [原 題] 夕立ち 소나기 [英 語 題] The Shower [ジャンル] 文芸 [原 作] ファン・スノン(黄順元) [脚 本] イ・ジンモ [潤  色] ユン・サミュク [監 督] コ・ヨンナム [第 作] [助 監 督]  [撮  影] イ・ソンチュン [照  明] ソン・ハンス [音 楽] チョン・ソンジョ [美 術] チョ・ギョンファン [武 術]  [出 演] イ・ヨンス    → ソギ       チョ・ユンスク  → ヨニ       カン・ゲシク   → ヨニの曾祖父 ユン・チョシ       キム・シンジェ  → ヨニの曾祖母       ユ・ミョンスン  → ソギの母       キム・ミンギュ  → ソギの父       オ・ヨンガプ   → ヨニの父 チュング       チュ・イルモン  →        パク・ピョンギ  →        ユン・イナ    →        チョ・イナ    →        ヤン・ジェウォン →        パク・ミジョン  →        ホン・ヘジン   →        キム・ヒソン   →        ノ・ミジョン   →        ノ・ジン     →        ホン・ファジン  →        キム・ジファン  →        パク・ウォノ   →        チュ・ヨンフン  →        キム・ドンユル  →  [受 賞] 1979 黄金撮影賞授賞式/撮影賞 銀賞(イ・ソンチュン) [映 画 祭]  [時 間] 100分 [観覧基準] 全体 観覧可   [制 作 者] ソ・ビョンジク [制作会社] (株)ナマ(南亜)振興 [制 作 費]  [D V D] 日本発売なし [レンタル]  [H P]  [撮影場所]  [M-Video]  [Private ] K-DVD(ALL) 【76】 韓国映像資料院コレクション [お ま け]      ◎ 韓国映像資料院 コレクション <夕立(ソナギ)>(DVD)         添付 ブックレットから 翻訳       作品解説 官能的文芸、あるいは文芸的官能の魅惑                   パク・ユヒ                   (コリョ(高麗)大学校 HK研究教授、映画批評家)       ・コ・ヨンナム監督の1978年作<夕立ち>は、ファン・スノンの同名小説を映画化        した文芸映画だ。       ・このような説明の中には、すでに、この映画の地位を決める2種類の要素が入っ        ており、一つは、‘1970年代の文芸映画’というもので、もう一つは、ファン・        スノンの「夕立ち」を原作にするという点だ。       ・‘文学作品を原作にする映画’から'文芸としての映画’に進んで'芸術映画’ま        で、広い意味のスペクトルを持った'文芸映画’は、日帝強制占領期間から着実        に使われた用語だ。       ・ところで、これが'優秀映画’として指摘され、政策的に奨励されることによっ        てジャンル化するのは、優秀映画報償政策が施行される1960年代中盤のことだ。       ・この時から近代文学作品を原作にする映画が量産され始め、文芸映画制作は、        1967年度と1968年度に絶頂に至る。       ・以後、優秀映画部門で文芸映画がしばらく抜け落ちた1970年を前後にした時期に        停滞するが、1972年に'文化芸術振興法’が公布され、文化系の経済開発5ヶ年        計画に該当する第1次文芸中興5ヶ年計画(1974〜1978)が発表され、再び活性        化する。       ・<夕立ち〉が発表された1978年は、このプロジェクトの晩年に該当する時期で、        この時、<夕立ち>をはじめとして、<土>(キム・ギヨン)、<山奥の旅人>        (ムン・ヨソン)、<昔々,遠い昔にホーイホイ>(ユ・ヒョンモク)などのさ        まざまな文芸映画が制作、発表された。       ・文芸映画の原作は、良く知られた文学作品、あるいは権威ある文人の作品であっ        たが、ファン・スノンの小説は、その二種類の面をよく満たす原作に該当した。       ・「未亡人」は、1960年から3度にわたって映画化されたし、「甕をつくる老人」、        「失われた人々」などの短編をはじめとして、「カインの後えい」、「一月」、        「木々は丘に立つ」などの長編も文芸映画の常連原作だった。       ・これは、文芸映画原作の最初であり、最も多く映画化されたりもしたイ・グァン        スの小説に次ぐことで、ファン・スノン小説の‘静かな大衆性’を言うことでも        ある。       ・その中でも、「夕立ち」は、‘この小説を知らなければスパイ’といっても過言        ではないほど良く知られた作品だ。       ・1953年5月「新文学」第4集に発表された「夕立ち」は、1959年にすでに英国の        「Encounter」紙に翻訳掲載されたし、1960年代には、人文系中学校の教科書と実        業系高等学校の教科書に載って、韓国短編小説の典範としての地位とともに、強        大な大衆的認知度を確保することになる。       ・したがって、このような原作を映画化する時、その映画は、原作の権威と認知度        の恩恵をこうむるところが大きい。       ・タイトルシークエンスで、題名よりも‘ファン・スノン原作’が先に浮かび上が        るのは、この映画がそういう要素を戦略的に活用していることを表している。       ・しかし、そうすることで映画は、‘原作への忠実性(fidelity)’という容易で        はない問題の前に置かれることになる。       ・この地点で<夕立ち>は、‘文芸’の権威を受諾する忠実性と‘1970年代の大衆        性’の間で絶妙の綱渡りを見せる。       ・<夕立ち>では、原作の事件とせりふを忠実に受け入れると同時に、ファン・ス        ノンの短編特有の‘無時間性’に従う一方、少年と少女の暗示的な愛に1970年代        的な具体性と官能的なイメージを付与する。       ・原作では、‘少年’と‘少女’と指称された主人公を、'ソギ’と'ヨニ’と命名        したことは、‘無時間性’と'具体性’間の絶妙な地点を見せる代表的な例だと        言うことができる。       ・‘ソギ’と'ヨニ’は、具体的な名前のように見えながらも、実名の有無が正確        にわからない曖昧な名前であり、時代を計るのも難しい名前であるためだ。       ・このような両面性、すなわち‘無時間性’と‘具体性’は、'共感覚的な官能’        として統合される。       ・映画は、ソギ(イ・ヨンス)が、赤い花畑に座って、花の香りに耽溺するところ        から始まる。       ・この場面は、映画全編にかけてヨニ(チョ・ユンスク)が好んで着る赤いスカー        トをはじめとして、山の実の色、血、キツネの赤い玉などと照応して、思春期の        少年の欲望としての含蓄的な意味を形成する。       ・まもなく、ヨンスが山の実を取って食べてみたら、いつのまにか服を脱いでいて、        その服を野生女が現れてつかんでいく白昼夢を借りて、木から草むらに落ちる場        面が提示される。        ・これは、少年が少女の死を予感する最後の夢で、赤いズボンを履いて雪に覆われ        た山から転がり落ちる少女を見る場面と首尾関係をなすが、これで、この映画の        筋は、思春期少年の成長譚になる。       ・初めの場面で、白い服を着た少年が、最後の場面では、少女との思い出が表れた        まだら模様の服を着て野原を走っていくのは、成長譚としてのこの映画の構造を        端的に見せるイメージだ。       ・この成長譚の本体を成して少年を成長させるのは少女だ。       ・ところで彼女は、原作のように"桃色のセーターに藍色のスカート"を着て、"お        かっぱをなびかせて葦原のわき道へ走って行く”小さな少女ではなく、‘長いス        トレートの髪に赤色のミニスカートを着てスマートな足を表わした熟成した少女’         'ヨニ’だ。       ・無邪気な精神と早く成長した肉体を持った‘ヨニ’が吹きだす鮮烈な官能性は、        映画全編を支配して、とても美しいだけでなく、かえって抽象的に見える自然の        イメージを具体的な感覚で取りまとめる。       ・少年が走りまわる青い野原、少年が取って食べる赤い実、少女の背景を成すコス        モスをはじめとする各種の花と草に群がる虫、そして砂利と青柳の生き生きした        イメージとその発音が醸し出すきれいな質感、鳴き声と水音などが、少女を通じ        て意味化され、五感を刺激する。       ・このような刺激は、ソギとヨニの出会いが熟してますます露骨になる。       ・ソギとヨニが遠足に行く道で見つけるペアのバッタは、大きいのが雌で、小さい        のが雄だ。       ・これは、ヨニがソギより大きいという事実を喚起させるが、帰り道にソギがヨニ        を背負って小川を渡るイメージにつながる。       ・夕立ちの雨のしずくが初めて滴る時、ソギには鼻筋に、少女には半分ぐらい広げ        た赤い唇に落ちることがクローズアップされ、雨をよけてとうきびの茎の束の中        にの中に入ったヨニとソギは、身体をくっつけて座るのはもちろん、ヨニがソギ        の背中を掻くことによって、二人の人物の肉体的接触が直接的にあらわれる。       ・夕立ちが終わった後、少女の白い腕から落ちる水滴に対するクローズアップは、        少年が取って食べた青臭い実のイメージと関連して性的なイメージを強化する。       ・このような流れが絶頂に達するのは、ヨニが傾斜している岩を降りて行って、キ        ノコを取ろうとして膝を怪我する場面だ。       ・原作のように、“少年は私も気づかない内に傷に唇をつけて吸い始める:この場        面が誘発する官能性は、言語媒体が映像媒体に転換される時、避けにくい直接性        と関連するといえるだろう。       ・しかし、それを勘案するにしても、問題的なのは、少女の反応だ。       ・原作では、少女の反応は出てこないで、直ちに少年が、松ヤニをとって塗ってあ        げることに繋がれることによって、官能的な想像の進展を速かに遮断する。            ・これに反し、映画では、ヨニが、“くすぐったい!”を連発してげらげら笑うこ        とによって官能的な想像を広げる。       ・これは、<夕立ち>を作った前年である1977年に、ファン・スノンの長編小説        「人間接木」を<愛の旅人>に、川端康成の「雪国」を同名の翻案映画として演        出したコ・ヨンナム監督の個性と関係がなくはないだろう。       ・しかし、この映画の独特の官能性に接近する時、決して排除できないことがそう        いう個性と同時代的な意味網を形成している他の映画との類似性だ。       ・例えば、家庭破綻を体験して母と離れて曽祖父宅に来ているにも関わらず、明る        く笑うばかりであるヨニの姿は、<冬の女>(1977)での‘イファ’の明るい笑み        を想起させる面がある。       ・このように見る時、ヨニの美しさは、'純粋さ’と‘清楚さ’として受容された        1970年代の女性人物の白痴的な美しさの延長線上に置かれていて、結局、幼い男        性に該当する少年の視線によって対象化されているという疑問を呼び起こす。       ・そして、少女の死を通した少年の成長を暗示する幸せな結末処理は、このような        疑問に証左を提供する。       ・1978年当時の映画制作の傾向を見れば、人気小説を原作にする映画と女性を主題        にした映画が主流をなしていた。       ・<冬の女>の成功以後、このような傾向は、さらに強化されたし、強大なTVの        影響力に押し出されていた映画は、居間媒体が消化することができない官能性を        戦略的に活用する。       ・文芸映画は、反対の道を指向するようだが、それが‘文芸’でない‘映画’であ        る以上、一方では、映画が本源的に冷遇することができない大衆性に対する欲望        の中で同時代を呼吸して、その雰囲気を吸湿するほかないことでもある。       ・映画<夕立ち>の魅力は、まさにこのような二重性から始まる。       ・換言すれば、'文芸’としての指向と‘1970年代の大衆性’の間で形成された       ‘境界的官能性’が、<夕立ち>の魅力を形成しているということだ。       ・このような脈絡で<夕立ち>は、‘文芸的官能’ないし‘官能的文芸’の中間に        置かれた、非常に“1970年代’らしい文芸映画の秀作というに値する。


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