輝国山人の韓国映画
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チェ・ハウォン
崔夏園
최하원
Choe Ha-Won
映画監督

1937年 8月19日にソウルのサムチョン(三清)洞で教師であるチェ・       グナクと夫人キム・オクスンの8兄弟姉妹中の長男に生まれた。       実名は、チェ・スンヨン(崔承容)である。       チェドン(斎洞)小学校とキョンボク(景福)中・高等学校を       卒業した。       高等学校在学時代に演劇をし、ヨニ(延禧)大学校に進学後に       も戯曲を勉強して、校内の<ヨニ(延禧)劇会>(現:ヨンセ       (延世)劇会)で活動することになり、同時にシナリオを書き       始めた。       当時、発行されていた映画専門紙<シナリオ文芸>の120万ファ       ン懸賞募集に応募したシナリオ「チョルドゥク(鉄道の堤防)」       が他の競争者の2編とともに最終審(1960年8集)にまで上が       ったが、雑誌発行人が変わって日の目を見なかった。       この時、初めてチェ・ハウォンという芸名を使った。       軍服務中に<シナリオ文芸>に「引分け」というシナリオを応       募し、その作品が当選してシナリオ作家として登壇した。       このような縁で軍服務が終わると、ソウルのミョンドン(明洞)       トルチェ音楽鑑賞室のそばの2階にあったこの雑誌の記者生活       をしばらくすることもした。       後日、チェ・ハウォン監督に多くの影響を与えたイ・ソング監       督は、<シナリオ文芸社>と同じ建物にあった彼の従兄弟であ       り、映画界の師匠であるイ・ビョンイル監督の東亜映画社の事       務室にしばしば出入りしていた。       チェ・ハウォンは、短い期間ではあるが、映画雑誌の記者生活       をして、映画界の生理を把握し、近くにいるイ・ビョンイル監       督とイ・ソング監督を通じて映画界進出の機会を狙っていた。       イ・ソング監督は、九歳年下である彼の映画に対する情熱と学       究的姿勢に好意を抱き、チェ・ハウォンを門下生にした。 1966年 <お宅の夫人はいかがですか>(イ・ソング監督) 助監督 1967年 <日月>(イ・ソング監督) 助監督       尊敬する師匠である監督の下で助監督を務め、映画の技術とテ       クニックを習って自立基盤を固めた。 1968年 <木々は丘に立つ> 監督[デビュー作]、脚本        『思想界』に連載(1960)されて話題になったファン・スノン作        イ・ウンソン脚色の映画        6・25戦争を体験した若者たちの彷徨と疎外、情熱と心理的葛        藤を描き、韓国の社会像と現実を表出しようとした。        1969 第5回 韓国演劇映画芸術賞/新人監督賞 1969年 <甕をつくる老人 監督、脚本        1970 第7回 青龍映画賞/最優秀作品賞、監督賞        1970 第13回 釜日映画賞/最優秀作品賞           第8回 映画芸術賞/新人監督賞          第5回 インド映画祭/特別賞 1971年 <告白> 監督、脚本 1972年 <巫女図> 監督        基督教(プロテスタント)の繁栄とともに立つ場所を失われる巫        俗信仰の悲哀を描いた映画        キム・ドンリ原作 ユン・ジョンヒ主演        1970 第8回 アジア映画祭/作品賞       [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=OFPeQvW8XcA 1972年 <セナムトの太鼓の音> 監督        長安の噂の有閑知識人であるイ・チヨプ大監の庶子(ナムグン・ウォン)が        片思いする清楚な人(ユン・ジョンヒ)の後を追っている間、彼女が天主教        徒であることを知るようになって体験することになる運命的な悲劇。 1973年 <多情多恨> 監督、脚本        1973 第3回 テヘラン映画祭/特別賞 1973年 <ソウルの恋人> 監督 1974年 <カモメの夢> 監督、脚本        ファン・スノン原作 1975年 <他人の息遣い> 監督 1975年 <最後の抱擁> 監督        1975 パナマ国際映画祭/男優主演賞、男優助演賞、審査委員特別賞 1975年 <> 監督 1975年 <他人の息遣い> 監督 1975年 映画関係者協会 監視委員会 監査 1976年 <学徒義勇軍> 監督        反共映画 1976年 <俺は生きなければならない> 監督        反共映画 1976年 <非情地帯> 監督、脚本        反共映画 1977年 <標的> 監督、脚本   1978年 <黄昏> 監督 1978年 <絶頂> 監督 1979年 <秘色> 監督 1979年 <30日間の野遊会> 監督        6人の著名人士と同じ数の模範囚、そして刑務所長など13人が海へ        野遊会に行き、暴風に会って体験する30日間の漂流生活を諧謔的に        編集した異色作。        共同運命体的な極限状況に追い込まれた時、人々はどんな姿を見せて、        危機感が解消された時、どのように変身するのか、人間の利己主義的        本能と偽善に焦点を合わせている。        原作は、イ・グンサムの戯曲。 1980年 <冬の愛> 監督、脚本 1980年 <山びこ> 監督 1981年 <招かれた人々> 監督、脚本        1981 第20回 大鐘賞映画祭/最優秀作品賞 1981年 <従軍手帳> 監督 1984年 <招かれた聖雄たち> 監督、脚本        1849年のトーマス チェ・ヤンオプの視点から、マカオで神学勉強を        して帰って来て、憎しみの目と迫害にも物ともせず、伝道事業に熱        中したが、官憲に捕まり犠牲になったキム・デゴンと病死したチェ・        バンジェの受難を描いた作品 1984年 <花郎隊> 監督、原作、脚本 1984年 韓国映画アカデミー教授 (~1995年) 1986年 公演倫理委員会 専門審議委員(映画部門) 1986年 タングク(檀国)大学校 演劇映画学科 教授 1987年 タングク(檀国)大学校 演劇映画科 招聘教授 (~1997年) 1989年 <露国コンジュ(公州)とコンミン(恭愍)王> 制作中止       4年間も準備したが、中国ロケーションを目前にして、天安門民主化       デモのために制作中止となった。 1997年 映画振興公社 常務理事 1998年 映画振興公社 専務理事 1998年 第3回プサン(釜山)国際映画祭 アジア映画振興機構賞部門 審査委員 著述内訳 1982年 記録映画制作技法(翻訳) 1984年 映画演出論(編著) 1986年 映画言語の文法(翻訳) 2008年 映画監督現場 映画振興公社付設映画アカデミー教育主任歴任 [監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1968
1969
1971
1972
1972
1973
1973
1974
1975
1975
1975
1976
1976
1976
1977
1978
1978
1979
1979
1980
1980
1981
1981
1982
1984
1990
木々は丘に立つ [デビュー作]
甕をつくる老人
告白
巫女図
セナムトの太鼓の音
ソウルの恋人
多情多恨
カモメの夢
最後の抱擁
他人の息遣い

学徒義勇軍
俺は生きなければならない
非情地帯
標的
黄昏
絶頂
秘色
30日間の野遊会
冬の愛
山びこ
招かれた人々
従軍手帳
京義線
招かれた聖雄たち
花郎隊

[最終更新] 2019-08-06

 



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