輝国山人の韓国映画
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甕をつくる老人

甕を焼いて孤独に暮らしていたソン老人(ファン・ヘ)は,雪原に倒れて死にそうだったオクス(ユン・ジョンヒ)という若い女性の生命を助けてあげる。

ソン老人は,オクスと婚礼式を上げて,タンソン(キム・ジョンフン)という息子を授かる。

タンソンが7歳になったある日,オクスの前に過去の恋人ソッキョン(ナムグン・ウォン)が現れる。オクスを探し回ったソキョンは,再びオクスと別れないためにソン老人の弟子になる。

ソキョンに去ることを要求したオクスは,ソキョンに向かう欲望に勝つことができず,ソキョンと夜中に逃走する。

ソン老人は,タンソンと生きていくために甕を焼くが,甕までみなさく烈してしまう。ソン老人は,タンソンを金持ちの家に養子として送り,自ら窯の中に入って火で焼け死ぬ。

成長したタンソン(キム・ヒラ)は,父の友だち(ホ・ジャンガン)から昔の話を聞いて涙を流す。タンソンがただ一度だけでも母に会ってみたいと話した時,懺悔するために乞食の姿でそこに留まっていた母が,奇蹟のようにタンソンの目の前に現れる。

[制 作 年] 1969年
[韓国封切] 1969年00月00日
[観覧人員] 
[原    題] 甕をつくる老人 독짓는 늙은이
[英 語 題] An Old Potter
[ジャンル] ドラマ,文芸
[原    作] ファン・スノン(黄順元)
[脚    本] ヨ・スジュン,シン・ボンスン
[監    督] チェ・ハウォン [第 作]
[助 監 督] ムン・チウ
[撮  影] ユ・ヨンギル
[照  明] パク・ウンソン
[音    楽] チェ・チャングォン
[美    術] キム・ホギュン
[武    術] 

[出    演] ファン・ヘ    → ソン老人
      ユン・ジョンヒ  → オクス
      ナムグン・ウォン → ソッキョン オクスの過去の恋人
      ホ・ジャンガン  → ソン老人の友だち
      キム・ジョンフン → 7歳のタンソン ソン老人とオクスの息子
      キム・ヒラ    → 27歳のタンソン ソン老人とオクスの息子
      キム・ジョンオク → ユスラウメの家のおばあさん
      チェ・ボン    → カン主事 トクポクァン(読報官)
      キム・ソジョ   → 
      チョン・スク   → 
      ナ・ジョンオク  → 
      チュ・ソクヤン  → 
      ソン・ジョン   → 
      キム・チルソン  → 
      ソン・ヘ     → 
      パク・シミョン  → 


[受    賞] 1970 第6回 百想芸術大賞/男子最優秀演技賞(ファン・ヘ),女子最優秀演技賞(ユン・ジョンヒ)
      1970 第7回 青龍映画賞/最優秀作品賞,監督賞,美術賞(キム・ホギュン)
      1970 第13回 釜日映画賞/最優秀作品賞,男優主演賞(ファン・ヘ)
      第4回 インド国際映画祭/作品大賞
[映 画 祭] 
[時    間] 88分(拡張版:95分)
[観覧基準] 
[制 作 者] イ・ジョンベク
[制作会社] (株)東洋映画興業
[制 作 費] 
[D V D] 日本発売なし
[レンタル] 
[撮影場所] 
[M-Video] 

[You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=16oTsx2F7EI

[Private ] K-DVD(ALL) 韓国映像資料院コレクション【76】

[お ま け] 

    ◎ 韓国映像資料院 コレクション <甕をつくる老人>(DVD)
        添付 ブックレットから 翻訳


      <甕をつくる老人> 演出記
 
                    チェ・ハウォン(映画監督)


      ・私が映画を始めた1960年代は、まだ、私たちの社会が6.25韓国動乱(朝鮮戦争)
       の後遺症で苦痛を受けていた時期だった。

      ・想像しにくいが、ソウル市街地のあちこちに、高層ビルは、醜い砲撃の傷痕で
       やせこけている残骸を持ち出したままだった。

      ・さらに、ソウル駅の前、今のテウビルディング、そして南大門ロータリーのサ
       ムスンビルディング一帯が、戦争映画のロケセット現場であるほど不明瞭だっ
       た。

      ・どこもそれだけだろうか。人の心もその途方もなかった戦火の後遺症から抜け
       出すことができなかった混沌と彷徨の時期だった。

      ・したがって、その当時、世界映画や文学の潮流も人類が体験した第2次大戦の
       衝撃で、人間疎外や孤独がその主題だった。

      ・私の初めての作品であるファン・スノン原作の<木々は丘に立つ>(1968)も、
       そのような脈絡で韓国的疎外と孤独の根源を追跡した多少重くて暗かった作品
       だった。

      ・私なりに精一杯その時代的な感覚に敏感なように努めた作品であったし、自分
       なりにその結果でも良い評価を受けたが、その後、フランス文化院を通じて出
       会った西欧の作品、特にアラン・レネの<去年マリアンバドゥで>(1961)や
       <広島 私の恋>(1959)のような映画に接して、感覚というのは、後天的な努
       力で簡単に克服することはできないということを痛感したし、挫折するほかな
       かった。

      ・その当時、私をそのように驚かせた、彼らの考えと感覚は、すでに十年前であ
       ったし、それなら今は、また、どんな衝動や感覚で映画を考えて作っているか
       を類推してみる時、惨めにならざるをえなかった。

      ・長い間の混沌と彷徨の果てに得た結論は、感覚や意識の追求だけが映画の本質
       ではないのではないか、ヒューマンドラマや衝動の真実、私たちが追求する可
       能性の、そのような映画として考えを変えて没頭したし、探し出した素材の作
       品が、やはりファン・スノン先生の短編小説<甕をつくる老人>(1969)であっ
       た。

      ・その当時には、馴染みが薄かったいわゆる韓国的なものに対する多少漠然とし
       た具現の試みだった。

      ・何が韓国的なものなのか、果たして韓国的なものが世界的だという言葉は妥当
       なものか。限りない韓国的なものへの探索だった。

      ・なぜスクリーンは四角でなければならないだろうか、円や曲線では不可能なこ
       とであろうか、といった疑問を持つほどであり、さらに、映画の中の演技者の
       視線さえ、できるだけ直線を排除してみようと努めた。

      ・結局、今でも心残りである作品前半のプロローグの回帰や甕の線も、韓国的な
       線の美に結びつけてみた、私なりの真剣な実験だった。

      ・この作品が初めから大変だったのは、何はさておきハンティングだった。

      ・‘甕をつくる老人’の生活空間、暮らす家、作業場である苫(とま)小屋、甕
       を焼く甕窯、そしてその前の美しい小川も含めた、そのような空間だった。

      ・そこに時代的背景と雰囲気に合うように草家は必須であった。

      ・私は、カメラの、すでに故人になったユ・ヨンギル監督と数多くの所を、時に
       は、私一人、厳冬の吹雪の中で、江原道全域、テベクサン(太白山)、ソベク
       サン(小白山)、ソンニサン(俗離山)、トギュサン(徳裕山)、ほとんど全
       国の山の中を縫うように探し回った。

      ・しかし、当時、すでにセマウル旋風のせいで、そのような条件に合う場所と藁
       葺きの家は、探すことができなかった。不可能だった。

      ・結局、便法として一ケ所一ケ所を別に分けて組み合わせるほかなかった。

      ・住居の藁葺きの家は、ムジュ(茂朱)クチョンドン(九千洞)の山の中で、
       苫(とま)小屋は、江原道のテグァルリョン(大関嶺)フェンゲ(横渓)、
       甕窯は、ムジュ(茂朱)クチョンドン(九千洞)に至らず、ソルチョン(雪川)
       という所で成り立った。

      ・多くの方々の"いや、どこでそんなに美しいところをみつけたの?”という感
       心は、事実、このように何ヶ所かのかけはぎをしたことによるものだった。

      ・映画だけが持つ神秘な機能に違いない。

      ・初めての作品<木々は丘に立つ>は、白黒フィルムの作品であったし、二番目
       の<甕をつくる老人>は、当時では珍しいカラーフィルムだった。

      ・今はあまりにも普遍化して、当然フィルムはカラーだと常識のようにとても惰
       性になったが、事実、映像において色感による情緒的な反応がどれくらい重要
       なことかを忘れているようだ。

      ・色による人間の情緒的な反応は、強烈で鋭敏で、映画における色彩は、そのリ
       アリティーの次元でない作家の意図的な活用が可能だと考えた。

      ・私は、カメラに、韓国的な特性の色感であり、また、甕という土の色をこの作
       品のメインカラーに設定して、この色の情緒的な浮上を意図した。

      ・したがって、ほとんど作品全体を、薄い茶色(土色)のフィルターを基本として
       はめ込み、すべての被写体をその茶色の背景の上で作った。

      ・例えば、晴れた青い空も、純紅のツツジの花も、目では見えないが、その背景
       は、ほのかな土の茶色との配合で成り立った。

      ・作品全体、甕という土、その土の悲哀、土の人生を強烈に植え付けるための手
       段だった。

      ・したがって、40余年が過ぎた今でも、この作品を思い出させれば、強烈な茶色
       の土、そのイメージがまず浮び上がる。

      ・いつも撮影中についての記憶は、楽しみよりは困難と苦痛の瞬間だ。

      ・その中に一つ、ソン老人、ファン・ヘ(黄海)先生が、夜遅く、隣りからの帰
       り道、腰まで埋まる雪の中をたいまつで探りながら帰ってきて、雪の中に埋ま
       ったオクス、ユン・ジョンヒ(尹静姫)さんを発見する場面を作る時であった。

      ・テグァルリョン(大関嶺)フェンゲ(横渓)、当時は、一つしかない旅館に撮
       影チームが起居していたし、撮影現場は、10km程も降りた山の中に位置して
       いた。
    
      ・その場面は、事実、夜の場面だったが、ライトは考えることもできないことで、
       その途方もない撮影範囲をカバーする大型発電車の運行のためだった。

      ・山も野原も道も、すべての世界が雪なので、道を探して通すことは、思いもよ
       らなかった。

      ・しかし、事実、その雰囲気は、スカイライン(skyline)技法がより有効であ
       ることもあって、そのように決めて5kwの小型発電機の運搬を試みた。

      ・しかし、それも雪の中を押したり引っ張ったりするのが不如意で、仕方なく分
       解してスタッフ何人かが負荷(おいに)として背負って運ぶことにした。

      ・スカイラインが可能な時刻は、冬山の中なので5時15分〜45分、正確に30分間
       が限界だったので、私たちは、早い昼食を食べて、ひとときもたたずに現場に
       向かって出発した。

      ・ほとんど道がない、雪の中をかき分けて現場に到着したのは、4時を過ぎた準
       備にギリギリな時間だった。

      ・急いで各部署自らの準備、照明部は、まず、背負ってきた発電機の部分を組み
       立てて、撮影部は、カメラのセッティング、移動のためのレールを敷いて、演
       出部は、演技者の扮装、衣装、小道具を取りまとめて、オクスが横になる穴を
       掘って、スモッグ筒を回して霧を作って、やがて、ばたばたと組み立てが終わ
       った発電機の始動、しかし、どれくらい寒いのか、始動は切れて、また切れて
       熱が冷めないようにずっとまた回して、運命の30分間の戦闘をまちがいがなく
       成しとげるために、30人余りのスタッフは、前線の兵士たちだった。

      ・私は、ソン老人にブロッキングと演技の指導、カメラとワーキングを合わせて
       やがて5時10分、決戦5分前、予想通りスカイラインに最適な条件が徐々に取
       りそろっていた。

      ・暗くなっていく周辺の樹木、その向こう側に遠く稜線の陰影とのスカイライン
       "さあ、行きましょう。ショット! ユン・ジョンヒさん、早く窪みに横になっ
       て、オーケー、早く雪で埋めて!”

      ・容赦なく降り注ぐ雪の中で、ウウク-ウウム、苦痛に耐えてこらえる奇声がもれ
       て、"ライトつけて、ショット!”

      ・号令に従って一糸不乱に、"レディー、アクション!”

      ・ソン老人は、たいまつで探り、雪の中を埋まりながら、かろうじて歩いてくる。

      ・カメラもその歩みに合わせて用心深く移動、やがて雪の中に埋まったオクスに
       ひっかかって倒れる。

      ・しかし、倒れた位置が約束と違い、カメラのフレームをはみ出して“NG、ま
       た元の位置!”

      ・これはどういうことなのか、発電機が、悲鳴をあげて消えるではないか..駆け
       寄って再始動、しかし、生き返らない。

      ・あちこち確認すると絶望の声、"大変なことになりました。エンコです! 熱が
       冷めるかと思って、ずっと押していたところ…”

      ・雪の中でずっと苦痛を訴えるオクスをひとまず取り出しておいて、どのように
       するか方法で悩む。

      ・すでにまっ暗になっていく周囲、スカイラインは、もう不可、失敗、諦めて照
       明部をフェンゲ(横渓)に送って、オイルを持ってくるようにした。

      ・撮影範囲を狭めて、最小人物だけ生かして、平凡な夜場面で処理しようとした。

      ・私たちは、そのまっ暗な山の中、座る所もない雪の中に埋まって立ったまま、
       そのまま待つほかなかった。

      ・苦痛の何時間かが過ぎて、息せき切ってオイルが到着して、再び始めようとし
       た時、ファン先生が私の面白くない意中を察されたのか、かえって懇請される。

      ・既に苦労した道とかもう少し我慢して、明け方のスカイラインに合わせて、当
       初監督が計算した良い画面作ろうと…どれくらい涙ぐましいくらい有難いお言
       葉なのか、その意に従って明け方まで待つことにした。

      ・しかし、夜が深けて、風と寒さはより一層強まって、狂風に飛ばす吹雪は、耐
       えることができない苦痛だった。

      ・どうにか火をつける木を探した演出部が、丘の向こう側に人家のような灯りが
       見えると言って、確認すると事実だった。

      ・スタッフは、叫び声とともに重要な機械だけまとめて持って、灯りに向かって
       走った。

      ・多くの辛酸と苦難の末、ある小さな藁葺きの家に到着することができた。

      ・主人を呼んで事情を話して了解を求めるが、主人は、意外に断固として断る。

      ・世の中にこのような人心とは…強力な抗議半分、お願い半分、駄々をこねて
       押し入ってみると、本当に驚かないわけにはいかなかった。

      ・部屋の下座に横たえられた白い布で覆われた屍身、喪中だった。

      ・しかし、それも少しの間、私たちは、あまりにも寒くて切迫して押し入って部
       屋を占めてしまった。

      ・だんだん主人と親しくなり、故人は、主人の父親で、今は土地がとても凍って
       解凍する時まで待つという事情も聞いて…多少親しくなったと考えられると、
       制作部の進行は、自らの役割、スタッフを食べさせる問題を解決しようと特有
       の哀願、実力を発揮する。

      ・あの有名な人たちと牛のような若い人々が、お昼、夕方も飢えたとのこと、お
       金は要求し次第あげるから…しかし、江原道の山奥、その上に冬に米や穀物が
       残っているわけがなく、食べ物は、じゃがいもしかないと…。

      ・その日、私だけでなく、すべてのスタッフ、おそらくそんなに多くのじゃがい
       もを食べたことがあったのだろうか。

      ・あちこち何カ所かに、山のように置かれた何斗かのじゃがいもで飽食をして…
       その広くもなく、その上、ハンジュンマク(汗蒸幕)のような熱い土部屋の床、
       あちこちに積み重なって横たわったスタッフたちのそのものすごい足の臭い、
       そこに誰彼なく流す音のないおなら、その臭い、鼻をつまんで悪夢のような数
       時間を持ちこたえたまま迎えたその明け方、私たちのコンテどおりの考えてい
       た良い映像を得ることができた。

      ・後日談だが、その日の夜、その部屋にさえ割り込むことができなかった末端の
       何人かは、外でうとうとして、家の前を通っていく虎を見たとか、ああだこう
       だと、さて?

      ・撮影の終盤、絶頂に駆け上がったムジュ(茂朱)クチョンドン(九千洞)で、
       オクスが、若い情夫ソキョンと夜逃げし、ソン老人の火病は、より一層深くな
       り、仕方なく、命より大事な幼い息子タンソンを自分はすでに死んだと欺した
       まま養子に送って、今や最後の執念で甕を焼くその悲壮のクライマックスの部
       分。

      ・その撮影を控えた前日の夜、ファン先生と普段から懇意な友だちで、今でも部
       屋を一緒に使われたホ・ジャンガン(許長江)先生が、私に耳打ちをされる。

      ・ファン先生が、その悲壮の場面の演技のために、昨日から絶食をを始めたと…。

      ・とても驚いたが、私は、その方法が果たして正しい演技の姿勢であるのか、方
       法なのかとたいへん悩んだ。

      ・作品では、ファン・ヘ(黄海)先生が、ソン老人としての演技が必要というこ
       とであって、ソン老人それ自体になってどうしようということなのか混乱して
       いたし、経験のない監督、新鮮は一つ、分別がない悩みで寝られなかった。

      ・しかし、次の日の現場で、扮装の中に現われる真実、赤く血走った瞳、艶がな
       いというより、やつれて青白い皮膚、はれた唇の皮、私が憂慮した、その演技
       だけであの真実が可能だろうか…そしてそのやつれて青白い厳粛さで、その苦
       痛の忍耐の前で、あえて何の演技の持論や方法が必要だろうか。

      ・私はどんな言葉も差し上げることはできなかった。私が心配した演技の美学は、
       その真実の前ではつまらないという気がした。

      ・すでにうわさは広がって、すべてのスタッフ、演技者もその厳粛さに同化され
       ていた。

      ・私は、普段、私たちの映画現場の誤った習性、一場面が終わって次の場面を準
       備する間、監督や演技者が、その感情を用心深く大事に保管せずに無駄な雑談
       や冗談でかき乱す物足りなさを経験したし、それがいつも不満だった。

      ・しかし、この場合、ファン先生の模範的な態度で、現場は、真剣な緊張感につ
       ながるほかはなかった。

      ・さらに、旅館、ファン先生の部屋の前をすぎながらも見える静粛と心に刻む尊
       敬の態度である演技者の手本がどれくらい重要な影響を与えることかの教訓を
       受けた。

      ・また、関心を持つところは、前に言及した韓国的という意味で、この作品の映
       画音楽は風変わりだった。

      ・その当時には、誰も試みなかった私たちの国楽器とオーケストラの驚異的な合
       成だった。

      ・やはり、亡くなられたチェ・チャングォン(催昌権)先生と意気投合して成り
       立った歴史的試みであり、そのアンサンブルは、今聞いてもぞくぞくするほど
       幻想的で驚異的だ。

      ・私は、<甕をつくる老人>で讃辞と良い賞もたくさんいただいたし、作家とし
       ての位置も得たと自賛する。

      ・そして、多くの方々が、私の代表作としてこの作品を挙げたりもする。

      ・しかし、私が自ら、<甕をつくる老人>を自評するならば、その当時としては、
       私たちの映画に不足したストーリーテリングだけが映画だったその時期、いわ
       ゆる言葉の説明でない映像的ディテールで表現してみようと尽くした努力で、
       微弱でもその結果だと考える。

      ・何か所かの国際映画祭での評価、端的な“too much sentimental”も、彼らが
       私たちの情緒も知らずにと、私は自慰する。

      ・彼ら西欧的意識のプロセス、意識の流れは、私たちには単純な一言"運命だから”
       の中の深い寛容の情緒にならざるをえない。

      ・彼らが、この情緒を単純なセンチメンタルでない韓国人だけの韓国的意識の特
       性として理解させて説得すること、私たちの宿題だ。



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