輝国山人の韓国映画
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ファン・ギュドク
黄圭徳
황규덕
Hwang Kyu-Teok

1959年 出生 1981年 大学3年の時にイ・ジャンホ監督の<風吹く良き日>を       印象深く見て映画媒体の可能性を感じる。       その映画の酷評募集で生まれて初めてイ・ジャンホ、       ペ・チャンホアン・ソンギなどの映画関係者に会うこ       とになる。       そして,当時<トンソ(東西)映画研究会>のメンバー       らと<<ヤルラション>のメンバー間の地味な出会いを積       み上げ,自分と同じ考えをより一層深くしている狂人が,       韓国に存在することを知って,映画アカデミーに1期生       として入る。 1982年 「ヤルラション」の出身者が集まって映画団体「ソウル映画集団」を結成        メンバー:         ムン・ウォンリプ(文元立),ホン・ギソン(洪基善),パク・クァンス(朴光洙)         ソン・ヌンハン(宋能漢),キム・ホンジュン(金弘準) 1982年 <前夜祭> 8mm 40分 監督 ソウル映画団 1982年 <時遊びアリラン> 監督        ソウル映画集団 1982年 <決闘> 出演−妻の情夫 1982年 <彼らも我らのように> 助監督,編集 1984年 <別れがない世代> 16mm 20分 監督 韓国映画アカデミー 1984年 <春が来れば,山に入る> 監督 1984年 <帰ってくる日> スタッフ 1984年 <鬼ごっこ> CREW 1985年 <何故呼ぶの> 企画 1985年 韓国映画アカデミー 卒業 1985年 (株)ファチョン(貨泉)公社 企画室長 1986年  イム・グォンテク(林權澤)監督の演出部 〜1987年 パク・クァンス(朴光洙)監督の助監督              1986 <チケット>(イム・グォンテク(林權澤)監督) 助監督        1987 <悲愴> 助監督        1988 <チルスとマンス>(パク・クァンス(朴光洙)監督) 助監督 1989年 韓国映画独立プロダクション<波>を設立 1990年 <びりから一等まで僕たちのクラスを訪ねます> 企画,制作,監督        1990 第1回 利川春史大賞映画祭/新人監督賞        1991 第11回 韓国映画評論家協会賞/新人監督賞 1991年 <今私たちは愛したい> 監督 1992年 SBS−TV<舞踊家の部屋>(60分ドラマ) 脚本,演出 1993年 トゥサン(斗山)グループ CABLE-TV       トゥサン(斗山)スーパーネットワーク DSN制作局 次長PD 1994年  フランス滞留 〜1998年 <私はパリのタクシー運転手> 脚本作業 1998年 プチョン(富川)国際ファンタスティック映画祭 事務局長 1998年8月 現在の映画振興委員会 韓国映画アカデミー 主任教授 〜2000年 2004年 <チョルス,ヨンヒ> 制作総指揮,監督,提供 2004年 <20のアイデンティティ −隣人−> 監督 2007年 <永遠の魂> 企画,制作,監督,脚本 [最終更新] 2015-10-27

 



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