輝国山人の韓国映画
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キム・ヒガプ
金喜甲
김희갑
Kim Heui-Kap

[職  業] 演劇俳優,喜劇映画俳優,歌手 [生年月日] 1922年7月18日 生まれ       1993年5月18日 死去(69歳)        動脈硬化症で死亡 [出 生 地] 咸鏡南道 チャンジン [身長体重]  [住  所]  [レ タ ー]  [出身学校] 咸鏡南道 チャンジン普通学校(1936)       咸鏡北道 フェソン中学       咸鏡北道 フェリョン(会寧)高等商業学校       日本 明治大学 商科別科 中退(1943) [T  V] 1974 花咲く八道山川       1995 MBC ドラマ 第4共和国 チョン・ジン役       2002 SBS 野人時代 ペ・ビョンマン役 [M-Video]  [演  劇]  [受賞経歴] 1963 第10回 アジア映画祭 性格俳優賞(新妻)       1964 第3回 大鐘賞映画祭 助演男優賞()       1964 第5回 釜日映画賞/助演男優賞()      1967 第5回 青龍映画賞 助演男優賞(山)      1972 第11回 大鐘賞 助演男優賞(小さな夢が花開く時)      1993 玉冠文化勲章 [宗  教]  [趣  味]  [家  族]  [血 液 型] 型 [特  技]  [あ だ 名] ハプチュギ(歯抜け) [座右の銘]  [経  歴] ・1944年に朝鮮専業株式会社に入社       ・退職して,1945年に38度線を越えてテドン新聞の記者生活をしたが,        やはり性格に合わず退職した。       ・1946年3月からパンド(半島)歌劇団で演出助手として仕事を始めた。       ・同年11月に<薔花紅蓮伝>の主な配役である地方長官役を担った俳        優が急にいなくなり,代役として公演で舞台に立ったことを契機に,        パンド(半島)歌劇団の看板俳優として活動することになる。       ・<七人姫>で正式配役を引き受けた後,<コン・パリョン>,<玉        楼夢>,<エミーレの鐘>など多数作品に出演した。       ・朝鮮戦争が勃発すると,ソウル修復前までケリム(鶏林)劇場の地        下で潜伏生活をし,以後,ソンム(宣撫)工作隊の所属で活動した。       ・以後,カド(街道)歌劇団,ソラボル(徐羅伐)楽劇団などを経て,        楽劇団生活をしている間,ハン・ヒョンモ監督から出演交渉を受けて        映画<青春双曲線>(1956)に出演することになって,一躍人気映画俳        優に浮上した。       ・1980年代中盤まで多くの作品に出演し,コミカルな演技を通じて代表        的な喜劇俳優としての位置を確立,”韓国のチャップリン”というニ        ックネームを得ることになった。       ・1985年,南北離散家族故郷訪問芸術公演団の一員として北朝鮮を訪問 [H  P] [所属会社]  [お ま け]  [最終更新] 2016-02-04

[出演映画]
制作年作 品 名   (監督名)
1956
1958
1958
1959
1960
1961
1961
1961
1961
1961
1961
1961
1961
1962
1963
1963
1966
1966
1967
1967
1967
1969
1972
1977
1986
青春双曲線  (ハン・ヒョンモ=韓N模)
五父子 (クォン・ヨンスン=權寧純)
笑うべきか泣くべきか (シン・ヒョノ=申鉉浩)
女社長  (ハン・ヒョンモ=韓N模)
朴さん (カン・デジン=姜大振)
燕山君(ヨンサングン) (シン・サンオク=申相玉)
荷馬車 【馬夫】(カン・デジン=姜大振)
張禧嬪(チャン・ヒビン) (チョン・チャンファ=鄭昌和)
ノダジ (チョン・チャンファ=鄭昌和)
成春香 (シン・サンオク=申相玉)
離れの客とお母さんシン・サンオク=申相玉)
豚の夢 (ハン・ヒョンモ=韓N模)
ソウルの屋根の下イ・ヒョンピョ=李亨杓)
臥竜先生上京記 (キム・ヨンドク)
 (シン・サンオク=申相玉)
トスニ 幸福の誕生 (パク・サンホ=朴商昊)
午年新婦 (キム・ギドク=金基悳)
下宿生 (チョン・ジヌ=鄭鎮宇)
蕎麦の花が咲く頃 (イ・ソング=李星究)
八道の山河 (ペ・ソギン
山 (シン・サンオク=申相玉)
五父子(オプジャ) (クォン・チョルヒ=権哲輝)
小さな夢が花開く時 (キム・スヨン=金洙容)
嫁入りの日 (キム・ウンチョン=金応天)
カムボ (イ・ファンニム=李皇林)



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荷馬車(1961)