輝国山人の韓国映画
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キム・ギドク
金基悳
김기덕
Kim Ki-Teok

1934年11月6日 チョンノ(鍾路)区 チョンジン(清進)洞で8人兄弟
           姉妹の3番目として出生

1951年 朝鮮戦争勃発後。,プサン(釜山)に避難

1952年 キョンギ(京畿)高等学校 卒業

      医科大学入学を準備している間に戦争が勃発し,米空軍のOSI
      (Office of Special Investigation,特殊捜査隊)で通訳官と
      して働き口を得る。

      当時シナリオを書いていたイ・ジョンギ監督に会って映画に関心
      を持つことになる。

1955年 米公報部制作の映画<不死鳥の丘>(チョン・チャングン監督)
      に通訳将校の役で出演する話があったが,米国側俳優との身長
      差の問題で出演の代わりに演出部で仕事をして映画に入門する
      ことになる。

1956年 チョン・チャングン監督とハン・ヒョンモ監督の助監督として
      演出の勉強をする一方,現象,編集,録音など,技術的な側面
      も習って映画制作全般について勉強する。

1956年 ソラボル(徐羅伐)芸術大学 文芸創作科 卒業

1956年 <王子ホドン(好童)とナクナン(楽浪)姫>(キム・ソドン監督)助監督

1957年 <純愛譜>(ハン・ヒョンモ監督)助監督

1959年 <蝶々夫人>(パク・ソンホ監督)
      <太陽の街>(キム・ファラン監督)
      <痩せぽっちとぼってりがノンサン(論山)訓練所に行く>(キム・ファラン監督)
       など,韓国演芸株式会社の専属編集技師として活動する。

1960年 <忘れな草>(パク・ク監督) 編集
      <娘>(キム・ファラン監督) 編集
      <五兄弟>(キム・ファラン監督) 編集


1961年 韓国演芸株式会社の制作本部長だったチャ・テジンを代表とし
      てククトン(極東)興業を共に設立し,専務理事 兼 専属監督
      として活動する。

1961年 <五人の海兵>で監督デビュー 編集も
       1962 第1回 大鐘賞映画祭/新人賞

      以後,家庭教師(1963),裸足の青春(1964),午年新婦(1966),
      青春の告白(1968)などの青春物
      南と北(1965),勇士は生きている(1965),124軍部隊(1970)
      などの戦争物
      今日は王(1966),実家のお母さん(1966)などの家族メロドラマ
      をはじめとして
      大怪獣ヨンガリ(1967)のようなSF怪獣物まで
      多様なジャンルの作品を演出する。

      20年余りの間に66本の作品(韓国映像資料院リストによる)
      を情熱的に作った。


1962年 <天下一色 楊貴妃> 監督,編集

1962年 <新入社員ミスター・リー> 監督,編集

1962年 <悪人はいない> 監督,編集

1963年 <家庭教師> 監督,編集
       原作は,日本の石坂洋次郎の小説「陽のあたる坂道」

1963年 <牡丹が咲くまでは> 監督,編集

1963年 <77番ミス・キム> 監督,編集

1963年 <男の涙> 監督,編集

1964年 <天安三叉路> 監督

1964年 <裸足の青春> 監督

1964年 <明洞おばさん> 監督,編集

1964年 <離れる時は言葉なく> 監督,編集

1964年 <上を向いて歩こう> 監督,編集

1964年 <ウォンアンソン> 監督

1965年 <南と北> 監督

1965年 <不良少女チャンミ> 監督,編集

1965年 <勇士は生きている> 監督

1965年 <この土地にもあの星の光を> 監督

1965年 <愛は国境を越えて> 監督 *

1966年 <午年新婦> 監督

1966年 <実家のお母さん> 監督,編集

1966年 <燃える青春> 監督,編集

1966年 <私の拳を買え> 監督

1966年 <今日は王> 監督,編集

1966年 <黒髪の青春> 監督,編集

1966年 <黒い紋のマフラー> 監督,編集

1966年 <終点> 監督,編集

1967年 <女子大生社長> 監督,編集

1967年 <原罪> 監督,編集

1967年 <粋に生きる> 監督,編集

1967年 <素手の青春> 監督,編集

1967年 <他人たち> 監督

1967年 <大怪獣ヨンガリ> 監督,編集
       日本の特殊撮影チームを招聘して撮影した。

1967年 <島の村先生> 監督

1967年 <後悔> 監督

1968年 <青春の告白> 監督

1968年 <吹雪> 監督,編集

1968年 <あなたの名前は> 監督

1968年 <アネモネ マダム> 監督

1968年 <怒りの大地> 監督

1968年 <パパ パパ うちの父さん> 監督

1969年 <追憶> 監督

1969年 <青い目の嫁> 監督

1969年 <遅くともその日まで> 監督

1969年 <黒薔薇城の美女> 監督,編集

1969年 <青春をみな捧げて(別名:麦笛)> 監督

1969年 <上海ブルース> 監督

1969年 <人の気持ちも知らずに> 監督

1970年 <落葉とともに行ってしまった愛> 監督

1970年 <別れの15列車> 監督,編集

1970年 <124軍部隊> 監督,編集

1970年 <あてもなく上京> 監督

1970年 <明洞ブルース> 監督,編集

1971年 <東と西> 監督

1971年 <十九の純情> 監督

1971年 <カチューシャ> 監督

1972年 <星が光る夜に> 監督

1972年 <結婚指輪> 監督

1972年 <青春教師> 監督

1972年 <別れても愛だけは> 監督

1973年 <下宿人生> 監督

1973年 <とりあえず渋いか渋くないか> 監督

1973年 <シッキムブルー> 監督

1974年 <ユ・グァンスン> 監督

1974年 <花棺輿> 監督

1975年 <歌手王> 監督

1977年 <栄光の9回裏> 最後の監督作品

1979年〜1998年 ソウル芸術大学 映画科 教授

1980年 映画検閲審議委員

1984年 大鐘賞本心審議委員

1986年〜1988年 公演倫理委員会 映画審議委員

1989年 大鐘賞賞本心審議委員

1990年 映画理論叢書第23集:映画[撮影](映画振興公社)翻訳

1993年 公演倫理委員会ビデオ審議委員,大鐘賞本心審議委員

1995年〜1998年 大鐘賞執行委員

1998年〜2001年 ソウル芸術大学 学長
.
2000年 第37回 大鐘賞 審査委員長

2001年 大韓民国芸術院 会員(現),ソウル芸術大学 名誉教授

2003年〜2005年 プサン(釜山)芸術大学 学長

2003年 玉冠文化勲章 授勲

2008年 映像物等級委員会 委員,第45回 大鐘賞審査委員長

2011年 第16回 プサン(釜山)国際映画祭 回顧展

2012年 第49回 大鐘賞審査委員長

2017年 9月7日 肺癌で死去(82歳)


[最終更新] 2017-09-20
 



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