よい子になるために

文字通りの「よい子」だった(?)小学生、欲望だらけの中学生から、
切なくも馬鹿らしい「武藤H」(高校生)、そして「よい子」(大学生)へ。
今まで残してきた文章を通じて、僕という人間を少しでも分かってもらえたら。
そんな気持ちで、つくってみました。

いま読み返してみると、
僕がずっと求めてきたきたものが何か、分かるような気がします。
それは、漢字2文字のキーワード。
いままでも、そしてこれからも、理想の「よい子」になれるまで。



小学2年 のとき、国語の授業で書いた作文です。どういう課題だったのかは分かりません。
実は、僕の小学校時代の作文は9割以上、祖父あるいは祖母による作品なのですが
これは文体などから見て、僕が独力で書いた数少ない作文の一つだと思われます。
家族とのなにげないふれ合いの時間を、幼いなりにリアルな筆致で(?)描き出しています。

おとうさんはマスター



小学4年 、「物語を自由に創作してみよう」という国語の授業で書いた、
正真正銘、僕の処女作です。
RPGの影響をもろに受けてます。愛すべき駄作というべきでしょう。
接続詞の使い方を見事に間違っているのも微笑ましく、
「どうして最初から、弱点である炎を使わないんだ!!」
「なんで自分の正面に川をつくるんだ!?」などと
いろいろとツッコミを入れて楽しめる作品です。
(漢字表記を含め、すべて原文のまま)

五人のおに



小学5年 の国語の授業で、今度は島のイラストだけが与えられ、物語を創作することになりました。
僕はそこで、何かに憑かれたように書きまくりました。
結果、他の生徒と比べて量的には約3倍、質的には(失礼だが)同学年と思われないほどの
作品に仕上がりました。
後になって、「うちのお父さんがこの物語気に入ったって言ってたよ」と友達から聞き、
大変うれしかったのを覚えています。
今でも結構お気に入り、汚れのない少年らしい作品ですね。
もっとも、このころみんなの知らないところでは……だったのですが。
(漢字表記・改行など、すべて原文のまま)

「・・ / / / ・・ ・・ ○::」



小学6年 の図工の授業で、 「不思議な森」という言葉のイメージをふくらませて
自由に絵を描きましょう、という趣旨にそって創作したものです。
祖母から教わった ぼかしの手法で、枯れ枝の立体感を表現するとともに、
「茶色」以外の突飛な色彩――黄、紫、青、緑などを月の光があたる側に配置することで
妖しげな、透明感のある木々を表現してみました。
そのほか、
・各所に小さなキノコが生えているのは、当時 僕がキノコ好きであったことに由来します。
・右手を流れる川に、月がおぼろに映っているのは、僕が最もこだわりたかった部分です。
・美しい色の蝶をワンポイントで入れようというアイディアが浮かんだのですが、
 何色にするか迷ってピンクにしたところ、ピンク嫌いの女の子に抗議されたという
 エピソードがあります。それで、蝶の下半分は急遽 青色に変更となったわけです…

自分が今までに描いた絵の中では、もっとも思い入れのある作品です。

「不思議な森」



中学3年 のとき、「連絡帳」の1ページに小さい文字で書き連ねたストーリー。
その日、あまりにも良い夢を見てしまったから、起きてからすぐにメモをとり、
6時間ある授業時間をすべて費やして、小説風に書き上げたものです。
(そのころは、ほとんど授業なんて聞かず、寝てばかりいたのですが)
内容は、今から考えると、内なる欲望がはっきりと現出した不純なものだといえますが、
当時はかなり清純な気持ちで(?)、この文を書いていたのです。
なお、文中の表記はあえて、「連絡帳」に書いてあるとおりにしてみました。

Dream Train - side A



おそらく高校1年 のころに書いた、SF風の小品。
クライマックスの部分だけ、勢いに任せて書いてみたはいいものの、
それまでの「いきさつ」を書く気力がなかったみたいです。
……この作品、僕の個人的な願望(予備校で彼女できないかな)が入ってますね。

無題・SF風小品



高校2年 のとき、教室日誌に連載しようと思って創った、不可解小説。
このような文章が自然にすらすら出てくるというところが、
男子校で進学校というような高校に通っていた僕の精神状態を表しているのでしょうか。
(公開しているのは、2000年一部修正バージョンです)

精神異常前兆小説――勉強の男



高校2年 、1997年10月に行われた文化祭企画「豆腐」の一環として取材した、
麻婆豆腐についての文章。
いま読んでみても脱帽してしまうような表現がところどころにあり、
もっと文章の鍛錬を積まなければ、と思う今日このごろ。

麻婆豆腐



高校2年 、このHPを開設する2か月前にあたる1997年11月、
私がM村に宛てて出した、人生相談的なメールを紹介します。
「今はかなり吹っ切れていますが、このころは落ち込んでいたのでしょうか。
読んだら気分が暗くなります。このHPに似合わない文章なので無視した方がいいかも。」

以上は1998年に僕が書いた文章ですが・・・・・・
2000年の今やっと、いいことを手に入れた?よい子としては、
「吹っ切れる≒あきらめる」という言葉の意味を考えてしまいます。
あきらめるということは、一般的にネガティブだとされ、良く評価する人はほとんどいない。
でも、あきらめた方が心が軽くなり、より明るく振る舞えることだってある。
もちろん、本当にあきらめ切ってしまうことができる人は少ないだろうが、
自分の中である程度(いい意味で)居直ることは、むしろポジティブなことかもしれない。
まあ、そのような気持ちになるまでには、それなりの時間が必要になるだろうが……

どちらにせよ、この文章こそがこのHP=17才の少年の「世界」の核心といえる大切な文章なんです。
その意味が分かる人にだけ読んでほしい、自分のなかのsecretです。

ある少年の鬱々な悩みのダウンロード



1998年8月15日(高校3年) 、ちょっとしたショックを受けて、思いにまかせて書き散らしたものです。
偉そうなことがやたらと書いてありますが、結局実行できなかったので笑い飛ばして下さいませ。
やはりパソコンはやめられず。 一種の精神安定剤になっていますからね。
麻薬と同様、依存性の強いものだということを実感しました。うーん。
(そう、今これを書いている2000年2月10日深夜もまた、大学のテスト週間真っ只中・・・・・・まことに業の深いものです。)

決意表明



1999年春 のできごと。入試にも無事合格し、普通ならほっと一息というところですが・・・・・・
武藤Hの前に立ちはだかった次なる壁とは!?
たわいもない話ですが、当人には一大事なのです。

悪魔の尻尾



1999年9月(大学1年) に、先輩に送った乱文。
自動車学校に行ったら、よい感じの女の子が多かったので、狂喜乱舞して書きました。
実をいうと、この文章を書いたあと「応急救護実習」で、もっといいことがあったんですけどね。
どちらにせよ免許(AT限定)も取れて、よかったよかった。

妄想日記



2000年1月 の作品。
僕の入っている事務系サークルで発表したものです。
内容はどうでもいいものですが、久しぶりに書いた文章の表現技法にご注目あれ。

褐色の血液
(検閲後タイトル:「Melty Pain」)



2000年3月10日 、「よい子 2Pの世界」ついに始まる。
武藤Hという人間がどういう人か、少しでも理解いただけているなら、
これがどんなにすごいことか、改めて説明する必要もないでしょう。
……僕の気持ち、この文章でどのくらい伝わるでしょうか?

3月10日、トゥルルルル、いいこと。



2000年4月13日(大学2年) 、一生わすれられない木曜日。
授業を1日サボって行ったあの街で、僕はいったい何をしてきたのでしょうか。

悪夢、解禁。

4月13日、いいこと、善いこと、してもいいこと



2000年9月 、ようやく悪夢も過去のことになってくれそうです。
しばらく前からずっと思ってきて、文章という形になかなかできなかったこの気持ちを、
勢いで、ささっと書いてしまいました。
読んでもらえたらうれしいです。

まだ使えるマッチ棒なのに、ね。



2001年2月16日 、よい子はちょっとお疲れぎみ。
毎日毎日、鉄板の上で焼かれるわけじゃないが、終わりのない勉強に追われる中で、
癒しを求める気持ちと、単純な性欲と、平板な日常からの脱却を欲する心が
行き着くところは風俗店。
さあ、ポジティブな気持ちで読んで下さい。

イソジンと青い空



2002年6月30日(大学4年) 、よい子は初めてフラれました。
“人間” という逃れられない枠組みの中で、これからも生きてゆくことを考えると、
自分の中のどのような考え方を大切にすべきか、またどんな幸せを求めるべきか、
大きな示唆を与えてくれたのが彼女でした。
それを受けて、実際にどうしてゆくのか、これから考えていかなくてはと思います。

as a machine 〜夏のはじめのエピローグ〜


上の文章を彼女に送ったら、なんと Word ファイルつきの返信が来ました。
自分の文章を読んでもらえるかどうかさえ不安だったのに、
彼女は最後まで誠意をもって、私に気持ちを伝えてくれました。
「あなたと一緒に居れたことを絶対に後悔しません」
メールに添えられたその一言が、いまの私には何よりうれしく感じられるのです。

2つの文章で1セット、お互いの気持ちがこもった、最高の合作ができあがりました。

あたしの気持ち



2002年12月14日(大学4年) 、あの頃のデートの思い出。
クッキーの甘い香りは、いまも忘れない。

あの冬の出来事…



2003年9月10日(社会人1年) 、ホームページ開設5周年ということで、短く所感を述べています。
この頃は仕事が厳しくなる前(研修中)の期間でしたね…

2003.9.10 ショートメッセージ



2008年2月12日(社会人4年) 、インターネット上に「武藤H」という人格が登場してから、10年が過ぎました。
この10年、いろいろなことがありました。
ひとつひとつの経験が、私という人間を成長させてくれました。
10年前の自分、私はこんなに人生を楽しんでいるから、心配しなくても大丈夫だよ。

Happy 10th birthday to me.



2009年4月(社会人6年) 、ひとつの大きな節目がありました。
私がこういうふうに、まがりなりにもある程度文章が書けるようになったのは、
子供の頃から一生懸命教えてくれた、祖父のおかげに違いありません。

このサイトではかつて中佐と呼んでいた、私のおじいちゃんへ。感謝を込めて捧げます。

ラスト・ドライブ



おまけ
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