<3月10日、トゥルルルル、いいこと。>

僕にとっての2000年3月10日は、
人生の転機。
決して忘れることのできない日。
そして一生忘れたくない日、になりそうだ。

僕の言う「いいこと」を少しでも理解していただくために、
インターネットを通じたかつての女性関係について、触れさせていただきたい。
僕がまだ「武藤H」であった時代……つまり、「武藤Hの1Pの世界」を開設した高校2年、
そして高校3年の間に、僕は電子メールを媒介として数人の女性と知り合いになった。
そのうちの一人とは、結構いい関係になった。
チャットやICQで「バーチャル2P」をしたりした。
寝ても覚めても、その人のことしか考えられず、
起きているあいだ中ずっと、その人の名前(ただし、ハンドルネーム)をつぶやいていたことさえあった。
しかしある日、メールに添付されてきた彼女の写真を見た途端、僕の心は一気に冷めてしまった。
それは致命的だった。
男が、恋愛対象として女性を見るときに、ルックスというものにこだわってしまうのは、
ある程度仕方のないことではあるまいか。
高望みできる立場でもないし、それほど極端な妄想を抱いているわけでもないと思うのだが、
やはり僕なりにゆずれないラインがある。
大悪友のM村は、「性格さえ良ければ顔なんてどうでもいい」と言ってはばからないが、
僕はまだそこまで人間ができていない。というより、それこそいわゆる「偽善」ではないだろうか?
あるいは何回も恋愛を重ねるうちに、性格の悪い女というものに心底懲りてしまうのであろうか。
どちらにせよ、結果として僕は、
インターネットの力を借りて好きな人をつくることはできなかった。

僕の「変態」ホームページを見て、メールをくれるような女性には期待できない、
そう悟るべきだと知りつつも、いつまでも望みを捨てきれないのが情けないところだ。
サークルでの出会いは絶望的だし、僕にとって「幸せへのきっかけ」は
通算43万ヒットを数えた「武藤Hの1Pの世界」、これを除いて他になかったのだ。

そんな最後の頼みの綱も、大学に入学し、メールを出す暇もなくなっていく中で、
見る見るうちにほどけ、ちぎれてゆく。
気づけば、残ったのは「女の子の知り合い」、わずかに一人。
彼女は僕と同い年。なんとなく、波長が合うみたいに感じた。
魅力を感じてはいたが、今までの失敗から教訓を学びかけていたので、それほど深くなることもなかった。
もともと、それほど頻繁にメールをやり取りしていたわけではなかったのだが、
思わぬことに、忙しくなった僕にとってそれはかえってプラスに働いた。
たまに、思い出したときにメールを送れば、それで十分つながりが保てたからである。
というより……
私は毎日でもメールしたかったのだが(相手が女の子だからね。)、
彼女の返事は余りにも遅くて、こちらがすっかり忘れたころにふと、届くのであった。
1週間、2週間ではない。数か月返事が来ないこともあった。
言い忘れていたが、彼女は精神の病にかかっており、
かつては大量の錠剤を一気に飲み干したり、ナイフで自らを傷つけたりして
何回も自殺未遂を繰り返したという、実をいうと「ヤバい」人でもあったのだ。
この前届いたメールによれば、東京の病院で療養中とか。
そのため、M村と電話をしていて、彼女のことが話にのぼるたびに、
「とうとう死んでしまったのではないか」「やっぱりな」などと
冗談半分ながらも、結構真剣に心配していたのであった。

そんな彼女がメールをくれた。3月7日のことである。
いわく、退院したとのこと。(病院にいる間はパソコン禁止だったらしい)
なんと、生きていたか。よかったよかったと思いつつ、僕はすぐにメールを返した。
……そのとき、僕は自分の携帯番号を書き加えておいた。
「もしかしたら電話くるかも」それくらいの期待はさすがにあった。
でも、その期待に現実感は全くなく、とりあえず書いておこう程度の気持ちしかなかった。

そして3月10日、僕はサークルの仕事で東大本郷キャンパスへ向かった。
合格者に書類を渡すだけ、それほど大変な仕事ではないのだが、やっぱり疲れた。
でも合格者の笑顔を見ると、こちらまで幸せな気分になったりする。
「よくがんばりました。おめでとう」って心から思える。
中には合格したのに、憮然とした表情のまま全然うれしくなさそうな人もいて、
そういう人の心境を図りかねたりもしたが。
**
そういえば、
「この列に並べるだけでも幸せだ」と思いながら開門を待った入学試験の日の朝は、
もう1年以上も昔のことになるのか……
大学で過ごした1年、僕はいったい何を得たのだろうか?
**

ともあれ帰宅。ぐったり。
適当に着替えてベッドに倒れこめば、無条件に眠りが待っている。
すやすや。

……午後10時ごろ。
なんとなく目がさめた。所用を思い出し、携帯で友達の家に電話をかけた。
通話終了後、「デンゴンアリ」の表示。
寝ている間は電源を切っておいたから、そのうちに誰かからかかってきたのだろう。
勘の良い方ならもう、それが誰からの電話かお分かりかと思うが、
僕はこのとき何も予想できていなかった。家族か、それともサークルの友達か。
「ただいま 1 件の伝言を お預かりしています」
ピー。
そのあとに入っていた声に、僕はただただ仰天した。
大げさではない、それが史上初のことだったから。
女の子の声。 なんということだ! いったい誰??
「こんな夜中に電話してごめんなさい。
 12時まで起きてます。電話ください」
名前をはっきり聞き取ることはできなかったが、
いくら鈍感な僕でも、さすがにもう見当はついていた。
念のためもう一度再生しなおす。ちょっと信じられないが、やはり間違いない。
ちなみに彼女の名前、ラティという。

わぁー。
何だかよく分からないうれしさがあふれ出してくる。
まさかラティから電話がかかってくるとは……
僕はベッドの上を、喜びにのたうちまわった。
3分後。ようやく我に返った僕は、非常に悩ましい問題に直面していた。
 〜電話すべきか、否か。〜
はっきり言ってめちゃくちゃ電話したい。話がしたい。
でも……うまく話せなかったらどうしよう、話題が尽きたらどうしよう、
どもったらどうしよう、話が合わなかったらどうしよう。
とにかく自信がない。今まで女の子と電話したことなんてないから。
(参考までに:よい子、もうすぐ20歳)
ここで「電話したい」という気持ちを「新・よい子の心」とするならば、
「恐い、やめよう」というのは「旧・武藤Hの心」ということになるだろう。
新旧の精神対決は、まさに壮絶を極めた。
恐い、恐い、恐い、恐い。
でも、そんな気持ちに負けちゃダメだ。それじゃいつまでたっても……
実に20分後、よい子の心は最後のボタンを押した。
ピ。
わずかに指がふるえているのが分かる。やっぱり恐い。
トゥルルルル。トゥルルルル。
あぁもう切っちゃおうか。うー、がまんできないよぉ。
トゥルルルル。
出るなら早く出てくださいぃ。切っちゃうぞ...
トゥルルルル。カチャ。
!?
「ただいま 留…」
ピ。
僕は即座に電話を切った。
まだ心臓の動きが速い。顔がなぜか熱い。
でも……出なくてよかった。出ていたらやっぱりうまく話せなかっただろうし…
「武藤H」が安堵のため息をついた、その時、また。
トゥルルルル。
ひゃぁっ!
ぞくっと背筋に走るものがあった。反射的に携帯を投げ出す。恐い。
ディスプレイには、さっき登録されたばかりの「ラティ」の文字。
闇の中で明滅する携帯電話。焦りだけをかき立てる着信音。
手の届く位置にありながら、ほんの少し遠い場所にある、大切なステップ。
あーー、もうどうにでもなれ!
ピ。
「もしもし、よい子ですが」

やればできる。何がそんなに恐いの?
33分間の電話は、僕に自信を与えてくれた。
そして、なんとなく忙しいだけで、希望さえ見えない最近の僕に、
心の支えを与えてくれた女の子。

「よい子は、私と会う気、ない?」

27日、僕とラティは会うことになった。
あ、また言い忘れていたが…
ラティには彼氏(2年半のつきあい)がいるので、「2P」は期待していない。
でもちょっと、ほんのちょっとだけHなことは、ね。
彼女もOKって言ってくれたし。
それはともかく…
これってデートって、言うのかなぁ。

人間、「いいこと」があると、こんなにも心に余裕ができるんだね。
初めて知った。
「1Pの世界」を抜け出し、「2Pの世界」へ。
2Pって、その行為だけを言うんじゃなくて…
「ひとりじゃないこと」を「2Pの世界」ということにしたい。
3月10日、重かった発信ボタン。
あのボタンを押した僕は、もう高校時代の武藤Hではない。
大学で、サークルで、東京で過ごした1年が、僕を「よい子」に変えてくれた。
今はじめて、サークルでがんばってきた意味がカタチになってここに見えた。

ありがとう。うれしい。
よい子はいま、なんかとても、しあわせです。


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