Original Novel for your Valentine
褐色の血液

【Chapter 1】
エマ子16才、恋する乙女。
憧れの先輩、専務(シェンムー)は17才(顔だけ還暦)、笑顔が素敵なみんなのアイドルだ。地味で目立たないエマ子には雲の上の存在。
専務(シェンムー)が一歩あるくたびに、女の子の波がざわざわと動く。
これほどまでにモテていながら、本当の恋をまだ知らない専務(シェンムー)。
そして物陰からただただ、彼の姿を遠く眺めるエマ子。

ある冬の夕方。
いつものように、女の子の黄色い声に囲まれながら、お迎えの車に向かう専務(シェンムー)は、
女と女の間からふと、ひとり淋しく家路につくエマ子の姿を目にした。
夕陽に染まる彼女の横顔に、専務(シェンムー)の心は貫かれた。
恋の始まり……

【Chapter 2】
待ちに待ったデートの日が訪れた。
エマ子はいま一つ垢抜けないながらも、精一杯のおしゃれをして、巣鴨はとげぬき地蔵で専務(シェンムー)を待つ。
そして、専務(シェンムー)はやってきた……!
初めてのデート、素敵な笑顔に心がきゅんとする。
(巣鴨でデートなんて、顔だけでなく趣味もやっぱり老けてるのね)
エマ子はそう思いながらも、飾らない専務(シェンムー)のことをますます好きになってゆくのであった。
手と手をつなぎ、巣鴨から上野へ。途中、谷中霊園で専務(シェンムー)が突然大声をあげた。
「うーー、お化けが出るぞーー」
「きゃあ、専務(シェンムー)ったら(はーと)」
わざとらしく専務(シェンムー)に抱きつくエマ子。顔をあげると、専務(シェンムー)の真剣なまなざしがそこにあった。
「エマ子ちゃん……ずっと、エマ子のことが好きだったんだ。」
突然の思いがけない言葉に、身体中の力がすっかり抜けてしまうエマ子。
冬の木漏れ日に祝福され、歩いてゆく2人は今まさに、本当の恋を見つけたのだった。

【Chapter 3】
2月に入る前からエマ子は、お菓子の本を何冊も買い込み、特別な日に向けて準備をはじめた。
「初心者にもできる! バレンタインチョコの作り方〜彼氏にとどけ、この想い」
台所に開かれた本を何度も何度も読み返しながら、エマ子は慣れない手つきでチョコを作りつづける。
飼い猫のレイハもその様子を、もの珍しそうに眺めてはときどき暇そうにあくびをするのであった。
何回もの失敗、そして数回のやけど。
でも大好きなあの人にこの想いを伝えたくて。エマ子はすべてを忘れて一生懸命チョコを作る。
初めてなんとか形になったのは、ハート型のチョコだった。でもダメ。
「こんなのじゃ私の想いは伝わらない」
二つ目、三つ目……エマ子は物言わず、自らのチョコを洗練させてゆく。
ついに2月13日未明、
エマ子は小箱に、出来上がったチョコレートを静かにおさめた。
そのあとすぐ、耐えがたい眠気に襲われ、エマ子はベッドに倒れこんだ。
ラッピングを施した小箱を抱いたまま……
そう、小箱いっぱいに込められた想いが、逃げてしまいそうだったから。

【Chapter 4】
そして運命の日。
エマ子は小箱を胸に抱き、銀座の街にひとり立つ。
「専務(シェンムー)……」募る想いが、エマ子の瞳を思わず濡らした。
銀座のネオンがにじんで見える。
専務(シェンムー)にこの気持ち、ちゃんと伝えることができるだろうか?
約束の時間。専務(シェンムー)はまだ来ない。
「専務(シェンムー)……」
1時間が過ぎたとき初めて、肌を刺すような寒さを感じた。
2時間が過ぎたとき、耐えきれなくて涙があふれた。
それでも……信じたい。あの微笑みは、私のために向けられたものだと。そして時計の針が12時を回ったとき、エマ子は自分の目を疑った。
「専務(シェンムー)……!」
たまらなくなって駆け出すエマ子。しかし、
……えっ、……いや、そんなことって……
その男は専務(シェンムー)ではなかった。崩れ落ちるエマ子。
「専務(シェンムー)……」銀座のネオンに照らされるエマ子の横を、一組、また一組とカップルが通りすぎてゆく。
くすくすという笑い声が、エマ子の心を粉々に砕いてゆく。
信じたかった。あの微笑みは、私の……
悲しみに駆られてエマ子は走る。何も分からないまま、もと来た道を、知らない道を、ただ……逃げ出すために。

【Chapter 5】
気がつけば、自分の部屋にエマ子は一人立ち尽くしていた。
両手に未だ、何かがいっぱい詰まっていた小箱を堅く握りしめて。
少しだけほどけたリボンが、冷たい月の光をはね返して、強がりのようにひとりきらきらと輝いていた。
そのとき。
「にゃあ。」
レイハの鳴き声に、今まで大切に守ってきた何かが、音もなく消え去るのをエマ子は感じた。
「レイハ、そう、私のこと分かってくれるのは、あなただけだよね……」
焦点の固定した眼で、エマ子は台所へと向かう。
   業火にあぶられるチョコレート。
禍禍しく融け落ちるその塊は、エマ子の心を痛める血。
その褐色の血液が、彼女の小指に絡みつく。
熱さなどという感覚はすでに、体内に残されているはずもなかった。
レイハの目前に、チョコレートコーティングされた小指を差し出すエマ子。
「ねぇ、なめて。レイハは私のこと、なぐさめてくれるよね。」
レイハはしばらくエマ子を見つめ、それから主人の指をなめ始めた。
真夜中の部屋に、液体の音だけが静かに響く。
「そう、ありがとう……  いっ、痛いッ!!」
気づいたときにはすでに流れ落ちていた痛みの滴。
欠けた自分の指を見て、エマ子は自分でも信じられないほど、冷静につぶやく。
「私の痛みなんて……大したことない……
 あの人の心の痛みに比べたら……」
彼女は最後まで、信じることを諦めきれなかった。
気が遠くなるような感覚のなか、言葉にならない想いがあたりに響く。
(ありがとう、専務(シェンムー))

            完

Special Thanks to ****専務理事:**さん




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