<as a machine 〜夏のはじめのエピローグ〜>


2002年6月30日

――自室、19:00――

眠りにおちる寸前、携帯電話の振動が私を呼び覚ました。
「もしかしたら」
わずかな期待を胸に、飛び起きる。
息を切らせて手にとった携帯は、
……家族からの着信。
希望を打ち砕かれ、でもそれで良かったような、
複雑な気持ちを奥にしまいこんで、
電話をとる。

祖父はいつも、元気か?と尋ねる。
私はいつも、「うん」と答える。
それは今日も同じこと。
ただ、この日はもう一つ話題があって、
「今夜はやっぱり、テレビ見るだろう?」
私は少し言葉に詰まり、
「見ない。ちょっと眠いから。」
そう、答えた。

ワールドカップの覇者は、寝ている間に決まっていた。
そして、
さよならを告げるラストメールも、寝ている間に届いていた。


――西池袋、16:00――

ちょうど1ヶ月前、私たちはここで初めて待ち合わせをした。
そのとき彼女は、店の一番奥隅に座って、私を待っていた。
「なんでこんな隅にいるの?」
「隅っこの方が、落ち着くから」

しかし今日、私たちが座ることになった席は、隅っこでないばかりか、
テーブルが不安定で、ガタついていた。

2日前、彼女からメールが来て、急に会えることになった。
7月7日までは会えない予定だったから、不思議に思いつつも、
何も考えず、ここまでやってきた。
会って顔を見合わせても、特に会話が弾むわけでもない。
彼女の方から口を開く回数は少ない。
私は彼女の意図を推し測ることができず、単刀直入に尋ねた。
「今日の本題はなに? 夏休みの旅行はどこ行こう系?」
「ううん、さみしい系」
そう言ってコーヒーを飲む彼女の視線は、
最初会ったときと同じように、私をじっと捉えていた。
ときおり、私の腕や髪をさわろうとしてくるのも、
最初会ったときと同じ。
“さみしい系” の話とは何だろうと、私はまだ分からずにいた。

そのわりに、「もうやめにしよう」と言われたときの驚きは
それほど大きなものではなかった。
その一言で、今までの全てが、初めてつながったからだ。
  彼女がなかなか話したがらなかったこと。
  急に会う必要が生じたこと。
  2日前のメールに、“一晩寝ないでいろいろ考えた” とあったこと。
  会うたびに繰り返された「さみしい」という言葉。
  何故か満たされない感じ。
  違和感――

「よい子さん、遊んでるんだもん、わたしで」
彼女が私を想うほどに、私は彼女のことを真剣に考えてはいなかった。
恋愛の重要度そのものに差があった。
一晩寝ないで考えつづけられるほど、恋愛というものを重視する彼女。
“やらなきゃいけないこと:その1” “その2” “その3”……
そのあとにやっと恋愛が位置付けられる程度の私。
それは恋愛でなく、付き合いといった方が正しいだろう。
決して “遊んで” いたつもりはないが、気楽な付き合いを望む自分の振る舞いは
結果として、彼女をもてあそんでしまったのかもしれない。

「わたしに興味がないから、そんななんだ」と彼女は言うが、
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
もっと真剣に恋愛に取り組める相手がいるかもしれないし、いないかもしれない。
ただ主観的には、彼女に興味がなかったからではなく、
自分の性格が、気持ちの入った恋愛に不向きだからだと思う。

カフェでも駅でも路上でも、周囲の人目を常に気にしていた自分。
高校時代から、人に笑われないために、おとなしく生きることを覚えてきた私は、
人に笑われない行動経験を積み重ねることによって、多少なりとも自信をつけ、
普通の生活を支障なくこなせるまでに成長した。
でも、自分を自立させるために必要だったその行動様式が、
恋愛のときには障害になることを思い知った。
自分にとって、人前で女の子と手をつなぐなんてあり得ない。
同様に、個人的な恋愛感情を、公衆の中で語るなんてあり得ない。
もちろん、カフェの中で腕相撲をするなんてのは……(これもいい思い出だけど)

「わたしは、あなたの人間的な部分が見たかった。見えると思ってた。
でも見えなかった――ないわけじゃないと思うけど、見せてくれなかった」
(不特定多数の中にいるとき)目立たないよう生きてきた自分にとって、
彼女が求めるような、“人間的な部分” を吐露する行為は
それ自体がストレスとなるものであり、無理を押してそこまでのサービスはできなかった。
プライベートな空間でなら、それは可能だったが
自分の口下手もあり、十分に理解してもらうことはできなかった。

彼女の「さみしい」という言葉は、そういう意味をもっていたのだ。
人間的な部分が知りたいのに、見せてくれない。
私は、彼女のそんな欲求にうすうす感づきつつも、
ある意味で自意識過剰な性格のために、それを実現してあげられない。
彼女は会うたびに期待を裏切られる。
私は会うたびに、彼女があまり楽しそうにしてくれないのを見てプレッシャーを感じる。
この構造が出来上がったとき、終わりは見えたはずだった。
しかし、私はそこまで真剣に考えていなかったゆえ、そのことを見逃していた。

だから、彼女が早々に意を決してくれたのは幸いだった。
お互いの気持ちが深くなり、ダメージが大きくなる前に終われたのだから。

その一方で、矛盾することだが、ちょっと気が早すぎると思うのも確かだ。
人にもよると思うが、人間的な部分というのはすぐに表れてこない。
少なくとも、意識的に表現するものではない。
どうでもいいおしゃべりの中から、またとっさの事態への反応によって、
じわじわと見えてくるものだと思う。
実際、友達というものは、最初から深い付き合いをしようと思って話をするわけでなく、
いろいろと話をして、行動をともにする中で、ともに理解しあい、交友を深めてゆくものだ。
人間的な部分の理解は、その過程として発生するものであって、目的ではない。

会社の面接などで “人格” を表現するならともかくとして、
4、5回会ったくらいで人間が分かるはずがない――と私は思う。
だから、夏休みに二人で旅行でもすることで、一つのきっかけができるかな、というくらいに考えていた。
彼女は、より早い理解を求め、直接的な質問でそれを実現しようとした。
彼女は口数がそれほど多い方ではなかったが、積極的に話をするときは決まって、
「どうしてわたしと付き合おうと思うの」
「あなたはわたしに何を求めているの」といった質問を投げかけてきた。
恋愛について深く考えていない私は、それに明確な回答を与えることができなかった。
それでも彼女は、要領を得ない私の答えを理解しようとし、
――もともと意味のない回答であるにも関わらず――それに振り回された。
性格・考え方の違いが、二人の関係を直接終わりに導いた。

「機械」
彼女は私をこう呼んだ。
私はサークルに在籍中、事務的だとか、官僚的だとか、
同じような評価をされたことは何度もある。
友達からも、冷たいと言われることが一般的だ。
それは、少なくとも1年以上ともにいた人間によってなされた評価だから、
どうしても重みがある。
また、そんな話をする人とは、たいてい気心の知れた仲だから、そのことによって嫌われている節もなく、
特別否定的な評価であるとも思えない。
例えば、
“事務的だけど〜冷静な判断はできる” とか
“官僚的だけど〜仕事はできる” とか。
ニュートラルな評価として捉えれば、
冷たいというのは、自分の長所と短所を一言で表す形容である。
だから私も、自分のことを “冷たい人間” と認識しており、
そんな自分が嫌いではない。
熱い人間だけでなく、冷たい人間の役割も必ずあると思うからだ。
少なくとも、仕事とかグループ行動の場面では……

彼女に “機械” と言われたことは、
そんな自分の認識にもう一つ、他者の眼が加わったに過ぎない。
だから今さらショックも受けないが、
改めて恋愛に不向きな性格であると示された点では、多少なりとも痛い。
ただ、
性格を変える努力をしてでも、恋愛の幸せを求めるのか、
いまの自分を大切にして、ごく限られた相手と知り合えれば儲けものと考えるのか、
現在の私なら後者をとる。
「これからも無理してよい子さんの性格に合わせていくべきか、
こんな辛いことはもう終わりにするのか」考え抜いた彼女も、
いまの自分を大切にするという結論に達している。
それで良いと思う。

結局は自分がいちばん大切。
自分の決断を妨げてほしくはない。
だから、みんな自由に生きられるように。
他人から見て“他人”である=自分の考えを押し付けて、他人を困らせないように。
自分も他人も、十分な判断能力を備えた大人であるとしたら、
他人の決断や行動を妨げないこと。
それが “冷たい” 私のポリシー。
自分に合わないサークルを脱退したときの経験から、
サークルでも、友達付き合いでも、今までずっと貫いてきたつもりのこと。

一晩寝ないで考えた彼女の結論を、私はただ尊重したかった。
この小さな恋愛に、真面目に取り組んだ彼女の考えだから。
「あなたは信頼できない人だけど、口惜しいながら尊敬しているのよ御兄様」(メールの文面)
こんな私のことを尊敬してくれて、1ヶ月でも好きでいてくれた彼女の考えだから。
もう、結論は出たのだ。

私の最後の願いは、彼女の泣き顔を見ずにお別れしたいということだった。
そんな光景を周囲の目にさらしたくないという気持ちも当然あった。
お互い、飲み物は空。
このまま座っていたら、なにかが起きてしまいそうだから―
「じゃ、帰る?」
思い切り冷たい言葉とともに、席を立つ。
なかなか立ち上がらない彼女に、
「まだ居る?(私はもう帰るからね)」と畳み掛ける。
彼女は何も言わずにそれを否定し、
手にもっていたタバコの箱をバッグにしまって、ゆっくりと立ち上がった。
その仕草が不思議なほど強烈に、脳裏に焼きついている。
彼女はもう少し、タバコでも吸いながら、
もう少しじっくりと、話をしたかったのではないか。
でも私は、それ以上話をするのが恐くて、そこから逃げ出したのだ。
リンゴのかたちのあのライターも、もう二度と目にすることはないだろう。

エクセルシオールから改札口までの、300mの道のりは
長くもあり、短くもあった。
怒るでもなく、泣きたくなるわけでもなく、
本当に静かな気持ちで、いや機械として、私は歩き始めた。
歩調を合わせず、先に行ってしまおうかとさえ一瞬思ったが、
交差点で止まると、ほんの少し遅れて、彼女がやってきた。
左隣、いつもと同じ距離感で。

明示的にフラれるのが初めての私は、
こういうとき何を言っていいのか分からず、ほとんど何も言わなかった。
これが彼女と言葉を交わす、一生で最後のチャンスであるにも関わらず、
もう会うことはないから、何を話しても無駄だ、とでもいうように。
彼女はわずかに遠い左隣で、じっと目をそらすことなく、私の顔を見つめている。
そういえば、「よい子さんの細い目が好き」っていつか言ってたっけ。
私はその視線をうれしく感じるとともに、目を合わせる度胸もなく、
ただ目の前の雑居ビル群を睨んでいた。
何よりも、最後を感じさせる情景だった。

「よい子さんには、電話で予約ができて、電話でキャンセルできる、
お店の女の子しか合わないよ」
彼女のそんな言葉を、そのまま素直に受け止められるような、
静かな気持ちはずっと変わらなかった。
歩くほどに、改札口が近づいてくる。
かけがえのない時間の終わりに内心では焦りながらも、
口に出せる言葉は見つからなかった。
“今日、別れ話を切り出したら、もしかしたら引き止めてくれるかもと期待して、私を試そうとしていたのか、
それとも最初から結論は決まっていたのか”
確かめたいとも思ったが、それを口にする勇気はなかった。
もし前者なら、私はあまりにも馬鹿な行動をとったと、分かってしまうからだ。

私は、いっそ先に行ってしまおうかなんて考えていたのに、
重苦しい空気、会話さえほとんどなかったのに、
彼女は結局、最後までついてきてくれた。
ここが私たちの終点。
私は、足を止めることなく、
小さく笑って、
「おつかれ」
とだけ言って、別れを告げた。
彼女は少し当惑したような表情を見せたが、すぐに
「おつかれ」と、微笑みを返してくれた。
いつもと全く、同じように。

その笑顔は、もしかしたら、
こんな場面でも気の利いた言葉が出ない私に対する、失笑だったかもしれない。
何か言ってくれるという思いが裏切られ、反射的に出た愛想笑いだったかもしれない。
でも、どちらにしても、
一生で最後に見る彼女が、笑顔の彼女だったということは
自分にとって何よりのプレゼントだった。
言葉にできないほど悲しかっただろうに、泣くこともなく、
非人間的な私の返答に、怒りをあらわにすることもなく、
最後まで、彼女は自分に合わせてくれた。
最後の最後まで、自分の隣を歩いてきてくれた。
たった一ヶ月とはいえ、自分を楽しませてくれて、
多忙な時期、心の支えになってくれた彼女に対して、
何故「ありがとう」の一言も言えなかったのか。
帰りの電車の中で、私は強く強く悔やんだ。
感謝の気持ちが自分にはなかったのだろうか。
そんなはずはないと信じたいが……
心から、自分を恥ずかしく思うとともに、
人間としての未熟さを痛感させられた。
「ありがとう」が最後まで言えなかった自分。
この後悔、恥ずかしさを一生忘れないようにしたいと思う。



2002年7月1日

届いていた、ラストメールの一部。

件名:お世話になりました m(__)m

『楽しいのか分からない』と思わせてしまって御免なさい。
一緒に居るとき、楽しくて何より落ち着けました。

>この場を借りてレス

この文面を見て、あなたの気持ちを推し量ってあげられなかった無力感、
コミュニケーションが上手くいかなかった無念さ、
最後まで「ありがとう」が言えなかった後悔が、
昨日よりも強烈に襲ってきました。

あなたは昨日言いました、
「楽しいことだけ考えていればいい関係でいることも、可能だったんだけど」
それができず、結果的に付き合いがゼロになってしまったのは
とても悲しいことです。

私はいま、涙を流しながらキーボードを打っています。
自分には似合わない姿で、格好悪いと思います。
こんな姿は、あなたにも、誰にも見せられないけど、
いま泣いているということだけは、お伝えしたくて。

私は、あなたのこと「どうでもいい」なんて一度も思ったことはありません。
ただ嘘をつかず、自分に正直に接してきただけです。
その結果、今日のような状態になったのだとすれば、
それは最初から、仕方のないことだったのでしょうが、
もうメールも書けないという現実を受け入れるのは、やっぱり辛いです。
自分の行動の結果だから、耐えなければいけないのでしょうが……

この一ヶ月、あなたのおかげで、
楽しさ、うれしさ、期待感、満足感、危機感、安心感、そして切なさ、後悔、
いろいろな感情が味わえました。
今後、仮にも人間として生きる上で、かけがえのない財産になると思います。

もちろん明日からは、また“精密な機械” としてしっかり動作するつもりです。
今後の幸せと成功をつかむためにもね。

それじゃ、この辺で本当にお別れですね。
もう文字でしか伝えられないけど、
ありがとう。
よい子



「あたしの気持ち」へ   「よい子になるために」へ戻る