輝国山人の韓国映画
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心の故郷

山寺で暮らす孤児の少年と,一人息子を亡くした女性の交流を描く。

トソン(ユ・ミン)は,幼い時に母に捨てられ,遠い親戚である住職(ピョン・ギジョン)の手で育てられた幼い僧侶だ。彼は,一度も会ったことがない母をいつも恋しがっている。

ある日,トソンは,自分と同じ年頃の子供を亡くし,供養のためにソウルから寺を訪ねてきた未亡人(チェ・ウニ)を見て,母のような情を感じる。

未亡人もまた,トソンを子供のように可愛がって,養子にすることを考えて住職にお願いするが,トソンの業が多く,世の中に送りだすことができないという拒絶の答を聞く。

ある日,幼いトソンを捨てて他の男と逃げたトソンの母(キム・ソニョン)が訪ねてきて,住職にトソンを返してくれと言う。しかし,住職は,この頼みを断って,トソンが未亡人の里子に入ることを許諾する。

母は,自分を明らかにしないままトソンに会った後,悲しんで立ち去る。

しかし,トソンが未亡人と一緒にソウルに発とうとする頃,羽根の団扇を母にあげるために山鳩を捕まえたという事実が明らかになって,住職は激しく怒って,トソンを世の中に送りださないことにする。

それから少し後,トソンは,母が寺を訪ねてきて,自分が知らずに会ったことを知って,母を探しに寺を出る。

[制 作 年] 1949年 [韓国封切] 1949年2月9日 [観覧人員]  [原 題] 心の故郷 마음의 고향 [英 語 題] A Hometown in Heart [ジャンル] ドラマ,文芸 [原 作] 劇作家ハム・セドク(咸世徳)の戯曲「童僧」(1939年) [脚  本] カク・イルビョン(郭一秉) [脚 色] ハム・セドク [監 督] ユン・ヨンギュ(尹龍奎) [第1作] [助 監 督] イム・ヨンス(林連洙) [撮  影] ハン・ヒョンモ(韓N模) [照  明] コ・ヘジン(高海振) [音 楽] パク・ヘイル(朴恵一) [出 演] ピョン・ギジョン → チュジ(住持) 山寺の住職僧侶       オ・ホニョン   → プジョン(扶殿or副殿) ヨ・ヒョニョン        ナム・スンミン  → コン・ヤンジュ(供養主)僧侶       ユ・ミン     → トソン(道成) 童僧       チェ・ウニ    → 未亡人 アン(安)氏       ソク・クムソン  → 未亡人の母       チェ・ウンボン  → ファン・ソンダル(黄先達) チンス(鎭洙)の父       チャ・グンス   → チンス(鎭洙) 村の子ども         キム・ソニョン  → トソン(道成)の母 [受 賞] 1949 第1回 ソウル市文化賞 映画部門 優秀賞 [映 画 祭] 2016.2.3〜3.6        日韓国交正常化50周年記念 韓国映画1934-1959 創造と開化  福岡市総合図書館 映像ホール シネラ で上映 [時 間] 78分 [観覧基準]  [制 作 者] イ・ガンス(李康洙) [制作会社] 東西映画企業社 [制 作 費]  [D V D] 日本発売なし [レンタル]  [H P]  [撮影場所] 慶尚北道 クムチョン(金泉) チュンアム寺  [外側場面]       ケウン(開運)寺(ソウル コリョ(高麗)大学の後) [内部場面] [M-Video]  [You Tube] https://www.youtube.com/watch?v=Jw4WFDq-uUg [Private ] K-DVD【72】Korean Film Archive Collection 日本語字幕あり KMDb [解説資料] 韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで(鄭j樺 [著] )96頁 [お ま け] NAVER 영화       KMDb(韓国映画データベース)      Wikipedia(なし)      ・韓国最初の仏教映画で,文化財庁の近代文化財に登録された作品       ・韓国映像資料院「韓国映画100選」作品(2013年)       ・特集        韓国映画の黎明 上演作品        (福岡市綜合図書館 映像ホール シネラ 2000年4月)       ・韓国映像資料院 古典の再創造 シリーズ「心の故郷」(DVD)         添付 ブックレットから 翻訳        <心の故郷>フィルム入手経緯               韓国映像資料院 保存技術センター長 チャン・グァンホン         資料院が保有している<心の故郷>フィルムの入手経路は,2種類だ。         一つは,1993年にフランスのポンピドーセンターで大々的な韓国映画回顧展を準備         した当時,現地マスコミを通じて,フランスに居住中であったこの映画の制作者イ         ・ガンスさんが,<心の故郷>フィルムを所蔵しているという情報を入手した後,         イ・ガンスさんと接触して,所蔵している16ミリプリントを資料院が条件付きで受         託することになったのだ。         イ・ガンスさんは,日本に居住した時,原本フィルムはなくし,フランスに移る時,         16ミリプリントだけを持って行かれたという。         1993年4月にイ・ガンスさんから16ミリプリントを委託され,アナログ光学復元を通         じて35ミリ デュプネガフィルムを制作し,イ・ガンスさんの要求により,制作者寄         贈用35ミリプリントとポンピドー行事用プリント(フランス語字幕)をそれぞれ1作         ずつコピーして提供した。         フィルム状態は,あまりよくはなかったが,当時までは,1950年以前の映画フィルム         をほとんど保有していなかった資料院としては,とても重要な資料であった。         後で聞いた話では,イ・ガンスさんは,資料院にフィルムを委託して3か月後に故人         になられたという。         その後,2005年に日本のフィルムアーカイブであるNFCで<心の故郷>オリジナルネガ         ティブを見つけたといううれしい報せに接した。         私たち資料院は,フィルム状態などの確認手順を踏んで,マスターポジティブフィル         ム複写作業を依頼して国内搬入することになった。         イ・ガンスさんが寄贈した16mmフィルムを拡大複写して保有していたテュプネガフィ         ルムと比較した時,ホコリによる一部白黒反転を除いては,状態が非常に良好なフィ         ルムだった。         今回発刊するDVDソースは,日本NFCから搬入したマスターフィルムから媒体変換したソ         ースを活用したものだ。        寺刹風景の中に溶け込んだ童心の思慕曲         〜最初の海外交換上映作<心の故郷>〜          キム・ジョンウォン(映画評論家,韓国映画史研究家)        ○<心の故郷>の特徴         ユン・ヨンギュ監督の<心の故郷>(1949)は,他の映画では探せないいくつかの特         徴がある。         1番目は,最初の海外交換上映作という点         2番目は,解放後,啓蒙・抗日映画が盛んに行われる中で,久しぶりに出てきた文         芸映画であり,         3番目は,初めて作られた仏教映画という事実だ。         海外交換上映と関連しては,1950年4月初めにフランスのパリにあるランシナルプ         映画会社の提案で彼らが作った<夢の中の歌>(1949)と交換上映することになり,         この年の6月1日から5日間,ソウル首都劇場(スカラ劇場の前身)で渡仏歓送特別         上映会まで開催した当時の記事等を通して確認することができる。         また,この映画は,当時,好んで扱われた<自由万歳>(チェ・インギュ監督),         <トルトリの冒険>(以上1946,イ・ギュファン監督),<尹奉吉義士>(1947,         ユン・ボンチュン監督),<余命>(1948,アン・ジンサン監督),<祖国のお母         さん>(1949,ユン・デリョン監督)など,日帝植民地の下での独立闘争や,解放         を迎えた国民たちが国の建設に乗り出したいわゆる抗日<光復映画>や国民啓蒙用         素材とは違って,人間の血縁問題,両親の悪業の報いを持って生きなければならな         い幼い運命に焦点を合わせた異色作だった。         それだけでなく,後日,<成仏寺(ソンブルサ)>(195,ユン・ボンチュン監督),         <夢>(1951,シン・サンオク監督),<エミレの鐘>(1961,ホン・ソンギ監督),         <破戒>(1974,キム・ギヨン監督),<曼陀羅>(1981,イム・グォンテク監督),         <達磨はなぜ東に行ったのか>(1989,ペ・ヨンギュン監督)などにつながった仏         教映画の母体でもあった。         ところで問題は,この映画がフランスから出庫されて,国内にはフィルムが存在し         ない状況になったというところにあった。         幸い1993年4月に,フランスに居住する制作者イ・ガンスさんが所蔵していた16mm         フィルムを映像資料院に寄贈してそれなりに命脈をつなぐことになった。         この映画が首都劇場で開封されて44年ぶりのことだ。         合わせて2005年に,日本国立フィルムセンター((NFC)で35mmオリジナルネガティ         ブフィルムが発見されて,マスタープリントを提供することによって正常なフィル         ムを保存することができるようになった。         <心の故郷>は,ハム・セドクの戯曲「童僧」を原作としたものだ。         1939年の東亜日報主催第2回全国演劇競演大会時には,主人公の名前を取った「ト         ニョム(道念)」(映画では,主人公の名前がトソン(道成)に改称された))とい         う題名で上演されたことがある。         ハム・セドクは,ユ・チジンとともに解放前後の韓国演劇界で双壁をなした劇作家         として,1948年に北に行って35歳の年齢で亡くなるまで10余年間活躍した。         思想,理念とは距離が遠い叙情的な文芸物を出した彼が,どういう理由でソウルを         離れたのかは分からない。         彼は,北朝鮮で,<春香伝(チュニャンジョン)>(1980)を出したと伝えられてい         る。         1913年キョンブク(慶北)テグ(大邱)出身であるユン・ヨンギュ監督は,東京俳         優学校を出て,朝鮮で国策映画<若き姿>(1943)を作った日本の中堅監督豊田四郎         の下で,春山潤という名前でシナリオと演出を勉強した。         この時期に制作主任を引き受けて<小島の春>など,何本かを出すこともした。          注)『京郷新聞19490106(2) 朝鮮映画の発展/「心の故郷」を見て:イ・テウ』            によると,<若い人>,<小島の春>,<奥村五百子>,<わが愛の記>等         彼は,<心の故郷>に先立ち,1948年3月,<夢が懐かしくて>(ソウル映画社制         作)という新聞記者の生活と活動を描いた映画の演出を引き受けて,撮影(キム・         ハクソン)に入ったが,(「文化の便り」『京郷新聞』 1948年3月20日)目立たな         かった。         <心の故郷>を撮影したハン・ヒョンモ監督は,生前に自分が演出した<城壁を破         って>を言及する中で,筆者に次のような話を聞かせたことがある。         <城壁を破って>は,当初ユン・ヨンギュ監督に演出を任せる予定だった。         日本の名門東宝映画社で撮影授業を受けた時期,ユン・ヨンギュは,同じ映画会社         の演出部所属で,日本映画界の大家豊田四郎の第1助監督であったのに,彼は,第         2助監督であるアン・ジンス(安鎭相)と一緒に帰国し,3人が力を集めて映画を         作ろうと念を押した。         こういう約束によって解放後,自分が<城壁を破って>の撮影を引き受けることに         なるとすぐに,その演出をユン・ヨンギュにお願いしたという。         しかし,期待とは違って,ユン監督が遠慮したせいで,止む得なく自分が演出まで         引き受けることになったということだ。                 ○10個のシークエンスで成り立った童僧の話         幼くして寺に捨てられた天涯孤児のトソン(道成)(ユ・ミン)は,住持僧侶         (ピョン・ギジョン)の世話で12歳の年齢に達する。         仏道には関心がなく,遊ぶことによそ見するのが常だが,心の片隅には,いつも母         に対する恋しさでいっぱいだ。         ある日,寺に供養に来たソウルの若い未亡人(チェ・ウニ)を見た後からは,母に         会いたい一念で,仕事が手につかない。         そのようなトソン(道成)を未亡人も子供のように可愛がる。         その未亡人には,はしかを病んで死んだトソン(道成)と同じ年頃の子供がいた。         若い未亡人に母性愛を感じたトソン(道成)は,彼女を通じて幼い時に自分を捨て         た母の姿を描く。         その切実さが未亡人にも伝わったのか,養子にすることをお願いする。         そして,住職僧侶にもこのような自分の気持ちをいって許諾することを懇請する。         住職は,子供が体験しなければならない親の悪業の報いにどうして耐えられるかと         きっぱりと断る。         だが,粘り強い未亡人の説得に,なかば承諾するに至る。         ところが偶然にも,未亡人がトソン(道成)を連れて下山することになった日,山         寺の森の中に置いた罠が問題になって,せっかく膨らんだ両者の夢が破られてしま         う。         村の子供チンス(チャ・グンス)の告げ口で,鳥を死なせた疑惑をかぶることにな         ったのだ。         住職は,震怒の果てに約束を破棄する。         トソン(道成)は,後日を約束して戻った未亡人を忘れることができない。         だが,トソン(道成)は,一歩遅れて,本当の母(キム・ソニョン)が訪ねてきた         という事実を知って,未練なく寺を離れる。         この映画は,原作と違った2つの設定がある。         一つは,原作にない母を登場させて未亡人と対面させた点であり,もう一つは,未         亡人に贈る毛の襟巻きを作るためにウサギを殺生する代わりに,母にあげる羽毛の         団扇を作るための手段として鳥を狩猟した(シークエンス7)という事実だ。         前者が,演劇と違った変化と大衆性を意識したメロドラマ的構成ならば,後の場合         は,映像効果を狙った表現の転換といえる。         この映画は,その段落をフェードイン(F・I)で開いて,フェイドアウト(F・O)         で閉じられる10個のシークエンスで構成されている。         初めてのシークエンスは,明け方,霧の中で梵鐘を打つ主人公トソン(道成)の日         常的な生活と,村の子供たちから「坊主頭」と冷やかしを受ける場面で始まって,         霧が晴れる寺から出たトソン(道成)が,梵鐘の音を聞いて山を降りて行く俯瞰の         シークエンス(10)で終えられる。         トソン(道成)の母に向かった恋しさは,ソウル未亡人の羽毛団扇(シークエンス         2)と,真っ赤なレンゲが描かれた数珠の夢場面によって主要なモチーフ(シーク         エンス3−3)として投影される。         少年の出生秘密は,コン・ヤンジュ(供養主)僧侶(ナム・スンミン)とチンスの         父ファン・ソンダル(黄先達)(チェ・ウンボン)が交わす野外での対話(シーク         エンス3−1),そして住職の話(シークエンス5)で解かれていく。         これを通じて,住持僧侶が,幼くして父母に死に別れたトソン(道成)の母を実の         娘のように見守ってきたが,猟師と駆け落ちをして寺を出て行った過程と,その後,         3歳になったトソン(道成)を僧侶に任せて行った彼女が,5年前に息子に会いた         くて寺を訪ねてきて,会えないまま戻った事実が明らかになる。         野外撮影を中心に成り立ったハン・ヒョンモのカメラは,時点と構図で見る時,非         常に安定している。         鐘を撞くトソン(道成)の顔(朝,シークエンス2)から読経(夜)へ渡ったり,         羽毛団扇を扇ぐ未亡人の顔からトソン(道成)の寝床へ切り替えるなどのディゾル         ブ技法を活用して,日課の連続性と2人の有機的な関係を効果的に見せている。         <国家の誕生>(1915,デービッド ワーク グリフィス監督),<街の灯>(1931,         チャーリー・チャップリン監督)のような古典映画でよく使われる絞りによるアイ         リスイン,アウトなど,場面転換方式も目にとまる。         特に,トソン(道成)が,未亡人の部屋で見ることになった羽毛団扇を好奇心から         扇いでみるカット(クローズアップ)から未亡人がその羽毛団扇を扇ぐ夜の空間に         連結される編集の効果も目立った。         トソン(道成)が,母に羽毛団扇を作りたい心を刺激する意味ある設定だった。         以上の成果は,当時の映画界事情を反映するように,レンズなどまともに合わない         付属品と,壊れた<パルモ>を使って,自動(モーター)でない手動(ハンドル)         で撮影しなければならない悪条件の中で成し遂げたという点で注目するに値する。        ○この映画に対する好意的な評価         封切り当時,この映画に対する評価は,「旧殻を脱皮して朝鮮演劇と映画の新しい         握手で,この地の映画芸術性に清風を持ってきた。」 (イ・テウ,「映画時論/朝         鮮映画と文学」,『京郷新聞』1949年12月7日)で,賛辞として見ることができる         ように概して好意的だった。         → 東西映画企業社第1回作品「心の故郷」は,沈滞不振だった朝鮮映画界をまば           ゆいばかりに装飾すると同時に,解放後の朝鮮映画の最高峰の新記録を打ち立           てた秀作だ。           この「心の故郷」で朝鮮映画の発展を見た筆者は,無限に嬉しい。           (中略)全編を通じて清純な劇的構成と繊細な映画的処理によって良い感銘を           与える。           さらに,新しく出てきた無名の少年俳優を使って,自然で素朴な中に新しい感           覚を見せたことを高く評価したい。           (中略)激動する現実においては,若干時代遅れな内容ながらも,やはり人間           精神に通じるものを有している。           この映画において注目を引くのは,セット場面がごく少数で,殆どがロケで充           当された点だが,これは,貧しい朝鮮映画界の特徴を代表する事実であろう。            −イ・テウ,「朝鮮映画の発展/<心の故郷>を見て」                                『京郷新聞』,1949年1月6日−         → 映画作品の気質的水準の低下を見せている今日,イ・ガンス氏制作による映画           <心の故郷>の完成は,既成商業主義映画に対する一大警鐘だった。           従来において,高度な真実性を持ってリアリズムに成功した映画作品が,ほと           んど成功できなかったことは,第一に資本の不在と,第2に資本の圧迫を抜け           出した知的に立派な芸術的才能の所有者が,映画作家としていなかったという           ことだ。           この財的難関を組織的に突破して新人ユン・ヨンギュ監督を登用したイ・ガン           スさんの直感性をまず称したい。           (中略)映画の表現能力について,直感を持って映画は,文学ほど広くて深い           リアリティーを持つことができないと断定した人々に,新しい肯定を可能にし           た。           ユン氏の素朴で確実なデッサンを証明してくれたこの作品は,さらに明日の真           実の力作が期待され,しかも新人である彼が,従来の新人のように末梢の技巧           にだけ汲々とせず,全体の解釈の深さを持ったことは,うれしいゆえだ。              −「新映画評/「心の故郷」を見て」,『自由新聞』,1949年11月5日−         もちろんこの中は,作品自体は肯定的に評価しながらも,苦言を添えた批判的な見         解もなくはなかった。         → 住職は,冷厳ながらも内心少年を愛する人物なのに,その人間味が不足して,           突然に現れては消える少年の母は,社会的背景と悩みが不足している。           母が,少年を未亡人にお願いして寺を出て,松に寄りかかって消えるように泣           く場面は印象的だったが,この女性をもう少し強調したら,貧困を理由に自分           の息子も連れていくことができない悲哀が,もう少し表現されただろう。           法堂に鳩が発見され,住職に告げ口する時,鳩はファン・ソンダルが罠を仕掛           けて,その罪はファン・ソンダルが当然負うべきなのに,少年は,別に抗議も           せず,自分が責任を負う。           極度の歓喜から決定的な悲哀に落ちるこの場面において,少年は,必死の努力           をすべてして,弁解もし哀願もするものであり,この場面が,もう少し強調さ           れなければならないだろう。            −ユ・サフン,「映画評/「心の故郷」」                             『朝鮮中央日報』,1949年10月4日−         しかし,このような欠陥にも関わらず,この評者は,優秀な映画感覚の表現など,         この映画の長所について言及することを忘れなかった。         例えば,少年の母が泣いて寺を出て,小川に置かれた橋を渡っていく時,その後,         少年がその女性が母であることを知って,母が過ぎ去った橋と小川を泣き叫んで眺         める場面,寺の生活が誠実に表現されていることと,クローズアップの乱用なく,         感情を抑制して淡々と導いて行った点などが,彼が高く評価した部分だ。         子役から老役まで等しく布陣した出演陣も特記するに値する。         何よりも,ほどなくトップスターになったチェ・ウニの初期の姿も見ることができ         る。         2年前,シン・ギョンギュン監督の<新しい誓い>(1947,シン・ギョンギュン監         督)でデビューした後,<夜の太陽>(1948,パク・キチェ監督)に続き,この映         画の若い未亡人役が彼女の3番目の出演作だ。         住職役を担ったピョン・ギジョンは,1920年代初め,活動写真連鎖劇に出演して以         来,30年余りの演技経綸を持つようになった草創期俳優であり,未亡人の母役の         ソク・クムソンも,これに次ぐ演技経歴を積んだ演劇出身だ。         彼女は,トウォル会の舞台に立ってキム・ソジョン監督の<婚約>(1929)で銀幕         の道に入ったし,トソン(道成)の生母役を担ったキム・ソニョン(1914年生ま         れ))は,<心の故郷>を最後に,6.25動乱の後,北に行って人民俳優となる。         幼いトソン(道成)を助けるファン・ソンダル役のチェ・ウンボンは,かつて<ハ         ンガン(漢江)>(1938,パン・ハンジュン監督)をはじめとして,<国境>         (1939,チェ・インギュ監督),<志願兵>(1941,アン・ソギョン監督)等に主         演級で出演したことがある。         主人公トソン(道成)役を担ったユ・ミンは,この映画で得た人気を踏み台にして,         同じ年にイ・ギュファン監督の<帰ってきたお母さん>に孤児役で出演することに         なる。         いずれにせよ,新派性を排除して母情に対する少年の恋しさを淡々と表出した<心         の故郷>は,前に議論されたいくつかの欠陥にも関わらず,1940年代の秀作である         だけでなく,解放後,<ピアゴル>(1955),<下女>(1960),         <離れの客とお母さん>,<誤発弾>(以上 1960),<晩秋>(1966),<>         (1967),<将軍の髭>(1968)等とともに上位順位に選ぶことができる秀作であ         ることは明らかだ。         これは,この映画が近代文化財に登載された背景でもある。


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