輝国山人の韓国映画
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ク・ボンソ
구봉서
Ku Pong-Seo

[職  業] 俳優 [本  名]  [生年月日] 1926年11月5日 出生      2016年      死去 [出 生 地] 平安道 ピョンヤン(平壌)       生後3日でソウル市ソデムン(西大門)区に移住 [身長体重]  [住  所]  [レ タ ー]  [出身学校]  [宗  教]  [趣  味]  [特  技]  [家  族] 父ク・ヨンソンと母チェ・ミョンソンの一人息子 [血 液 型]  [あ だ 名]  [座右の銘]  [経  歴]         (1931〜1938)       ・ソデムン(西大門)幼稚園在学中に京城放送局(JODK)で童話口演を始めた。       ・キョドン小学校の時まで国語朗読などラジオ放送活動をした。       ・中学校時期には、時々楽器演奏などで出演することもした。        (1941)       ・テドン商業高等学校に修学中に太陽劇団に付いて回って雑役夫の役割をした。        (1945〜1949)       ・キム・ヨンファン団長にピックアップされて、太平洋楽劇団のアコーディオン楽        士をして、代役俳優として俳優生活を開始した。       ・専属団員になって5年間活動した。        (1949〜1953)       ・宣撫工作隊に入隊       ・宣撫工作隊が陸軍軍芸隊に改編され、軍芸生活を始めた。       ・同じ年、ペクチョ(白鳥)歌劇団に移って楽劇団生活も継続した。       ・軍芸隊の入隊と除隊を3回繰り返す。       ・休戦になった1953年には、チェジュ(済州)島陸軍訓練所軍芸隊にいた。        (1954〜1957)      ・海兵隊演芸隊の創立を手伝って上士として入隊し、太平洋楽劇団を引き込んで共        に活動した。       ・1955年に満期除隊した。            (1956〜1980)       ・映画制作者キム・マンギルによってピックアップされ、<愛情波濤>で映画デビ        ューした。       ・400余本の映画に主助演で出演した。        (1958〜1961)       ・ヤン・フン、ヤン・ソクチョン、カク・キュソクなどとともに、ショー団体コメ        ディ・コリアとして活動した。        (1952〜1989)       ・KBS<痩せぽっちとのっぽ>を始め、<こんにちはク・ボンソです>、<末っ        子歌謡漫歩>、<7大コメディアンショー>、<笑わせてみてください>など、        MBC、TBC、DBS、極東放送など各放送会社で、1980年代後半まで約70        余りのラジオ放送を進行した。        (1969〜1985)      ・MBC<笑えば福が来る>、<夫婦万歳>などのコメディ番組、シットコムに出        演した。        (1992〜1994)       ・MBC<笑えば福が来る>に出演した。        (1997)       ・自叙伝「コメディ上の人生」を出版した。 [H  P]  [所属会社]  [T  V]  [WebDrama]  [ラ ジ オ]  [M-Video]  [C F]  [短編映画]  [演  劇]  [DISC]  [受  賞] 1963 第1回 青龍映画賞 特別賞(帰らざる海兵) [お ま け]  [最終更新] 2020-11-13

[出演映画]
制作年作 品 名   (監督名)
1956
1958
1958
1959
1961
1961
1961
1961
1961
1963
1963
1969
1969
1977
 
 
愛情波濤 (ムン・ファソン) [デビュー作]
五父子 (クォン・ヨンスン=權寧純)
笑うべきか泣くべきか (シン・ヒョノ=申鉉浩)
女社長  (ハン・ヒョンモ=韓N模)
燕山君(ヨンサングン) (シン・サンオク=申相玉)
豚の夢 (ハン・ヒョンモ=韓N模)
ソウルの屋根の下イ・ヒョンピョ=李亨杓)
ノダジ (チョン・チャンファ=鄭昌和)
成春香 (シン・サンオク=申相玉)
帰らざる海兵 (イ・マニ=李晩煕)
トスニ 幸福の誕生 (パク・サンホ=朴商昊)
修学旅行 (ユ・ヒョンモク=兪賢穆)
男子妓生 (シム・ウソプ=沈雨燮)
あの高いところへ向かって (イム・ウォンシク=林元植)
 
など100本余の映画に出演



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