輝国山人の韓国映画
<Home>へ

キム・ソンス2
金性洙
김성수
Kim Seong-Su

1961年 6月19日(陰暦)ソウルで2男3女のうち末っ子に生まれた。 1981年 セジョン(世宗)大学校 英文学科 入学        ユ・ハアン・パンソクなどと演劇をする。        4年時(1986年)にシンチョン(新村)にある<ウリマダン        (私たちの広場)>の8mm映画ワークショップで短編映画を        作って映画へ方向を変える。        これ以上の作品はないと考える<誤発弾>(1960)を見て衝撃        を受け,ユ・ヒョンモク監督が在職したトングク(東国)大        学校演劇映画学科大学院に進学する。 1989年 <あなたの笑い>[短編映画:18分]        アカデミー教育の限界を痛感する。       トングク(東国)大学 大学院 演劇映画科 修了 1989年 パク・クァンス監督の演出部で修業する。(1992年末まで) 1990年 <彼らも我らのように> 助監督・脚本       (パク・クァンス監督)       <どんつく> 【ホントゥケ(綾巻)】助監督       (キム・ジュンシク監督) 1991年 <ベルリンリポート> 助監督・脚本・脚色       (パク・クァンス監督) 1992年 <君の中のブルー> 脚色       (イ・ヒョンスン監督) 1993年 短編映画<悲鳴都市>(35mm,19分) 監督・脚本        俳優ムン・ソングンなどが主軸になった独立映画創作後援基金       の事前制作支援作        閉鎖空間である都市に暮らす人々の情緒を描く。        1994 第20回 ソウル独立映画祭/審査委員特別賞        1994 神戸短編映画祭 出品        1994 クレルモン・フェラン 短編映画祭 招請 1994年 <セサン・パクロ 外の世界へ>(ヨ・ギュンドン監督)脚色 1995年 <ネオンの中へ陽が沈む>(イ・ヒョンスン監督)脚色 1995年 <ラン・アウェー> 監督・脚本        <悲鳴都市>(1995年)の長編改作 1997年 <ビート> 監督 1998年 <太陽はない> 監督・脚本        1999 第35回 百想芸術大賞 シナリオ賞 2001年 <MUSA −武士−> 監督・脚本 2003年 <英語完全征服> 監督・脚本・制作 2004年 <バック(Back)> 監督 2008年 <新婦の仮面> 監督 2013年 <FLU 運命の36時間> 監督・脚本 2016年 <アシュラ> 監督・脚本        2017 第26回 釜日映画賞/最優秀監督賞 2023年 <ソウルの春> 監督 [最終更新] 2022-12-31



【BACK】(一覧ページへ)