ホラー的電化製品ナンバー1

ホラーのために生まれました

テクノロジーの所産であるはずの電化製品にも意外なほどホラーと相性のいいものがある。人喰いコタツなんてのも確かあったはずだが,まあギャグすれすれのものはこの際おいといて……ホラーの重要な要素である幻影,幻覚,イリュージョン,そういった"見える"ことの恐怖に結びつく電化製品といえば,そう,テレビである。

テレビというのは実は相当なハイテクが詰まった代物なのだが,考えようによってはいろんな妄想を生み出すフシギなからくりだ。ブラウン管に映っているのは単なる走査線の残像ではないのかもしれない。そんな疑念に取り憑かれた連中が少なからずいることは幾多のホラー映画が証明している。

であればこそ「リング」も「ポルターガイスト」も「ビデオドローム」も誕生したのである。

目は心の窓,ブラウン管は……

なぜにホラー映画作家たちはテレビという匣を使いたがるのか?これはやはりブラウン管を境界としてあちらとこちら,現実と異界をつなぐ窓のイメージがあるからではないかと思う。

上に挙げた3作品もテレビの中から現実世界へ,ブラウン管という壁を越えて恐ろしい何かがやってくる。人は無意識にそれを見たいと思っているのではないか。監督たちはそこをすくい上げているのかもしれない。

例えば「ポルターガイスト」では序盤,放送終了後のスノーノイズの画面から大きな白い手がいきなり飛び出してくる。ジェットコースタームービーに属するやたらにぎやかな映画だったが,このシーンのギョッとするインパクトは半端じゃなく,映画として「つかみはバッチリ」の好例だった。監督にクレジットされてなくともさすがはスピルバーグ印である。

この映画では文字どおりテレビが重要なキャラクターであり,ラストシーンのあのテレビの扱い方(扱われ方というべきか?)などちょっと笑ってしまうほど「よくわかるよ,その気持ち」なのである。

見えてしまうんだよう

「リング」ではテレビの中からあの娘が這い出してくる。このシーン,よく考えるとかなりの人にとって身に覚えのある恐怖ではなかろうか?一瞬テレビの中と外の境があいまいになり,そこから何か恐ろしいものがやってくる。これは誰もが1度は抱いた根元的な悪夢の光景だという気がする。

むろん,早う逃げりゃいいだろ!という理屈は意味がない。悪夢の中では怖いものから目が離せないのである。見たくないのに恐ろしいものが見えてしまう逃げ場のなさ,というのがナイトメアの特徴だ。そしてやってくるものを拒めない恐ろしさもまた悪夢ならではのものなのである。

壁がなくなるとき

最近再見して「ビデオドローム」は登場するのがいささか早すぎた傑作ではないかと思った。物語としてよくわからないところがあろうがなかろうが,ビデオ(テレビ)を媒体として異界と交わる,というかまぐわうなんて話は混沌の極みにあるこの時代にこそふさわしい。

ま,そんな理屈はともかく,この「ビデオドローム」を象徴するのがあのテレビ画面から柔らかいピストルがにゅう〜っと突き出てくるシーンだ。ここでは世界を隔てる壁であったブラウン管そのものが変容してしまう。あのピストルのイメージは監督の抱く強迫観念みたいなものかもしれないが,もはや壁の向こうとこちらという境目はあいまいだ。

やはり,テレビというものがホラー映画の作り手たちを刺激するマジックアイテムのひとつであることは間違いないと思う。

彼らはブラウン管の向こうに何かを予感し,恐れつつ目が離せない。のみならずそれをこちら側に引き寄せようとする内心の衝動にも気がついている。その危ういバランスが作品に映し出されているような気がするのである。

テレビって現代の依代なのかもしれない。