「未知への飛行」よみがえる陰の名作

盗作かそれとも……

同じ遺伝子を持ち,同じ容姿を持つ一卵性双生児。だが,その中身(性格)となるとこれが正反対ということはよくある。あなたの知り合いに双子がいればきっとそのことに納得していただけると思う。だから本当にその人をよく知るためには外見に惑わされない目が必要だ。

いきなり何の話だ?と思われたかもしれないが,これは映画を楽しむためにだって通用する鉄則なのだ。そのことを痛感する好例が映画界にはいくらでもある。中には双子のようにそっくりでありながらまったく別の印象を与える作品だってある。僕が長い間DVDのリリースを待っていた「未知への飛行」はその「双子なのに性格は正反対」の最も典型的な例ではないだろうか。

核を搭載して警戒飛行中だった爆撃機がシステムの故障から敵国(ソ連)への攻撃命令を受けたと誤解,各方面の制止の努力も空しく爆撃機は刻一刻と運命の一瞬へと向かって飛び続ける……というお話なんだけど「あれれ,その話どこかで」とピンと来た方も少なくないだろう。

そう,この映画はかのスタンリー・キューブリックの名作「博士の異常な愛情」とそっくりそのままといってもいい骨格を持っているのだ。事実,この作品はキューブリック側から盗作だと訴えられた事実がある。公開は「博士の異常な愛情」が1964年1月,この「未知への飛行」が同年10月。しかもモチーフは双子同然,おまけに予告編の作りまでがそっくり(これはDVDの特典映像で一目瞭然)ときてはまあクレームがつくのは無理もない。

いやいやこれは必見です

別々の原作をネタにしていながらここまでそっくりになってしまうというのも妙な話だが,スタッフは盗作ではなくて「リメイクだ」などとコメントしている。ま,それなりの意識はあったのだろうな。別の見方をすれば当時の米ソの核体制下では誰が書いてもおかしくない発想だったのかもしれない。

けれども双子の例えで述べたようにこの両者,中身は正反対なのだ。少なくとも僕にとっては昔テレビの深夜劇場で観た時からずっと印象に残っていた一作である。

立場上どうしても「博士の異常な愛情」の陰に隠れてしまいそうだけど,この映画は決して控えめな弟なんかじゃない。核体制のばかげた暴走や恐怖をスラップスティックに仕立て上げたキューブリック作品に対してこちらは同じ題材をどシリアスに扱った傑作に仕上がっている。

同じ題材を筒井康隆が書けば「博士の異常な愛情」になり,小松左京が書けば「未知への飛行」になる,といったら例えが乱暴かな。でも僕が今あらためて抱いた印象はそんな感じだ。

ドラマの凄みを思い知れ

この一文,初めは「『未知への飛行』ドラマの深淵にうなれ」とでもタイトルを付けようと思っていた。けれどそこで「ん?なんかこの文句にはおぼえがあるぞ」と思って自分のサイトを見直してみたら,以前このコーナーで「十二人の怒れる男」ドラマの深淵にうなれという記事を書いていたのだった。

この偶然にはちょっと笑った。なぜならこの「未知への飛行」もまた同じシドニー・ルメット監督の作品だったからだ。どちらも見終わった後にまず感じたのがよく練られたドラマの凄みだった。彼がいかにすばらしいドラマの描き手であるかという証かもしれない。

見どころは何と言ってもヘンリー・フォンダ演ずるアメリカ大統領と彼の同時通訳を務める青年バックの迫真の演技だ。実際,この二人はクレジットのトップではないのだけど,見終わった人は誰もがその熱演にうなるだろう。監督がコメンタリーで「初めからカラーで撮るつもりはなかった」と語っているように,計算され尽くしたモノクロ画面の陰影がものすごく印象的だ。

DVDの特典などで後から解題されるまでその緻密な演出にはなかなか気づかないが,観客であるこちらはひたすらキャラクターたちの一挙手一投足を息を詰めて見ているだけでいい。観客が手にするのは見終わった後のどーんと胸に響く感情そのものであり,そう感じた時点でもうこの映画は成功しているのだから。

大統領はホットラインでソ連書記長と事態の回避に向けて緊迫した交渉を続ける。通訳の青年と個室で二人だけのシーンがすばらしい。そして恐ろしい。世界平和に対して真摯であろうとすればするほど恐ろしい決断を下さねばならない運命の残酷さがなんとも苦い。

ヘンリー・フォンダの大統領はまさにアメリカの理想そのものであるだけにあの幕切れ(ご自分の目で確かめていただきたい)には誰もが「そんなばかな」と衝撃を受けるだろう。野蛮な戦争バカでしかない現実の某大統領を知る現代人にはなおさらだ。世界平和のために「あの選択」を受け入れる理想家はフィクションの中にしか存在しないだろう。それでもこの映画が投げ掛けるものは40年経った今も変わらずに生きている。

よみがえる陰の名作

今見ると極端なストーリーと言われるかもしれない。だが,かつて世界は冗談抜きにこんな状況にあったのだ。そうした時代の象徴として数々の映画に登場したNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)の地下司令部がお役御免になるというニュースが流れたのは先日のことだが,これはそんな「今」だからこそもう一度見直してみたい映画である。

冒頭の闘牛のシーンからラストのストップモーションまで,様々な象徴がちりばめられ,低予算をものともしない演出の力でショッキングな物語を描ききった陰の名作。昔の印象が変わらなかったことも含めて,この作品がようやく安価に入手できるようになった(これを書いているのは2006年9月)ことを喜びたい。

この機会に「博士の異常な愛情」とこの「未知への飛行」の両作をセットで見比べるのもたいへん面白いのではないかと思っている。キューブリック作品に惚れ込んでいる人ももし未見ならぜひお試しあれ。