「十二人の怒れる男」ドラマの深淵にうなれ

本物との遭遇

僕は基本的にド派手なスペクタクルは大好きだし,ケレン味たっぷりの演出も嫌いではない。ハリウッドのちょいとあざとい娯楽大作も喜んで見ている。今でこそいろんなタイプの作品を楽しめるようになったが,元々はいたって平凡な男の子らしい趣味だったと思う。

にもかかわらず,子供のころ見た映画の中で最も印象に残っているもののひとつが「十二人の怒れる男」であるというのは面白い。SFでもドンパチでもなく,スリラーやラヴロマンスでもない。男ばかりの,ディスカッションだけで進行する地味な話である。それでいて「えれえ面白かった!」という記憶が強烈に残っているのだ。当時の自分の子供っぽい趣味とは正反対だというのに,である。

思うに,僕はこの時初めて本物のドラマの面白さというものに遭遇したのかもしれない。

小学生だったかそれとももう中学生になっていたか,それすら記憶にないのだが,未熟な観客であった僕に大人のドラマの持つ迫力や感動を刻み込んでくれたのがこの映画なのだ。しかも,実はこの映画もまた初めて見たのは淀川さんの日曜洋画劇場でのことだった。ホントにこの番組にはお世話になっていたなあとあらためて実感する。映画体験の基礎を築いてくれた大恩ある番組だ。

当然吹き替えなのだが,主演のヘンリー・フォンダは確か小山田宗徳氏がやっていたと記憶している。あの落ち着いた低い声が今でも思い浮かぶようである。

人を信ぜよ

ご存知のとおり,これは陪審員の物語である。殺人容疑で有罪濃厚な少年をめぐって12人の陪審員たちが繰り広げるドラマチックな議論とそこから浮かび上がる様々な葛藤……。アメリカにあって日本にないテーマのひとつ,この陪審員という制度がはらむ問題とそれを選択したアメリカ社会の決意のようなものを力強く描いたのがこの映画である。

裁判制度に関する知識などろくになく,陪審員のなんたるかも知らずにいた子供でさえ引きずり込んでしまったあの静かな迫力!きっとこれこそが大人のドラマの味わいを思い知る瞬間だったのだ。

職業も経歴も違う一般市民である陪審員の登場人物たち。法律専門家ではない彼らが1人の死刑濃厚な被告人をめぐって白熱した議論を展開するわけだが,見た方ならおわかりのとおり,その過程は非常にスリリングで異様な迫力と熱気に満ちている。

僕はこのときの強烈な印象とともに陪審員というものの存在を知ったのである。

12人中ただひとり少年の有罪に疑問を持った主人公が,有罪の論拠をひとつずつ検証し打ち破りつつ,徐々に支持者を増やしてゆくさまには極上のミステリーにも通ずる興奮がある。快感と言ってもいい。一般人であるが故のエゴや偏見,所詮人ごとであるがための不誠実などに流されてしまいそうな陪審員たち。しかしぶつかり合いながらも真実には目を背けきれない,その人間の良心への力強い賛歌が本当に感動的だった。

顔がよいのだ

上にも書いたように,この映画の快感は有罪と宣言していた陪審員たちが1人ずつ主人公の論証によって自分の思い込みを覆され,無罪を表明するようになるその過程にある。その陪審員の顔ぶれがまたそれぞれクセがあって個性的なのだ。物語が白熱するのは彼らがあるときは分からず屋を,あるときは理不尽な偏見の持ち主を,そしてまたあるときは主人公の熱弁の理解者を,生き生きと演じているからに他ならない。

この顔ぶれの造形がすばらしい。脚本の,そして演出の渾身の仕事ぶりが伝わってくるようではないか。

裁判では見過ごされてしまった真実がミステリーの謎解きのようにひとつずつ発見されていく展開にはゾクゾクするが,彼らが1人ずつさまざまなリアクションで真実に目を向けていくその演技がとても印象的だ。各人がそれぞれの人生を持っていることがくっきりと浮かび上がってくるのである。

彼はなぜ頑なに有罪を主張するのか,また彼はなぜ不安そうにしているのか,そして彼はなぜ被告の少年を罵倒するのか……。

主人公の主張に味方する者,反発する者,頼りなく動揺する者等々,どの登場人物も実にリアルでアメリカ人らしいキャラクターに見える。少なくとも僕にはそう思える。狭い陪審員室とせいぜい隣の洗面所だけの舞台,セリフと演技だけが勝負の低予算映画(当時としても低予算の部類だろう)でありながら,この火花散る演技陣の戦いとドラマには4時間の巨大作にもひけをとらないエネルギーが詰まっている。

それでいて彼らは映画の中ではほとんど役名なしの3番陪審員であり,7番陪審員なのだ。彼らは市民の代表だが,個人的な偏見や感情的な束縛からは自由でなくてはならない。役名が無名のままであるというのは彼らのそういう立場を暗示しているのだろうか。だからこそ8番(主人公)とその最初の支持者である9番の老人が初めて名乗り合い,すぐにそのまま別れていくラストシーンがよけいに印象的だった。

完全なる再見を願う

これは主演のヘンリー・フォンダが生涯で唯一自らプロデュースを買って出た映画だそうである。彼がいかにこの企画に入れ込んでいたかよくわかる逸話だが,わずか30万ドルの低予算映画でありながら史上に残る傑作が誕生したのだから,映画の神さまは彼の志を高く買ってくれたのだろう。

監督は当時新鋭の(新鋭だよ!)シドニー・ルメット。僕には大ベテランのイメージしかないんだけど,この映画でフォンダ自身がルメット監督を抜擢したのだそうな。いやーいろんなところにドラマが転がっているねえ。

解説書の受け売りで恐縮だが,ルメット監督はその前のテレビ・ディレクター時代に5年間で500本も演出を手がけたそうだ。大変な数だが,この映画を見ると現場でむちゃくちゃ鍛えていたんだろうなあと実感する。緊迫感の盛り上げ方や人物の描き方がもう上手いのなんのって。

何十年も最初の印象を持ち続けられる映画というのはザラにはない。そのザラにはない希有な1本がこの映画である。このことに僕は確信を持っている。この原稿を書くために久々に古いLDを引っぱり出して再見したが,やはり傑作の印象は変わらない。ときにはハリウッドの大作・話題作に幼稚だ,あざとい,単純だと文句を言いながら,それでも「いやいや,ハリウッドの懐は深いねえ」と感嘆するのはこんな時だ。

僕は残念ながらテレビサイズにトリミングされたものしか見たことがないのだが,もうDVDやBSデジタルの時代である。本来のワイドな画面で,本当のアングルで見てみたいものだ。ドラマの中心になる陪審員室のあのテーブル,その周りに陣取った登場人物たちの対峙する姿が本当はもっと迫力を持って描かれているのだろうなあと思う。

不朽の名作なのだからその日も遠くないと願っている。