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< チェンライ出張報告(一部省略) >

1、日 程:2000年2月17日(木)〜2月18日(金)1泊2日
2、同行者:福岡県人会 青佐 康広(福岡県バンコク駐在員)
      福岡県バンコク駐在員現地職員 ピニット・チトラトーン
3、現地対応者:森山 茂樹(もりやま しげき)73歳
        Yohan Chermer (ワカタケ寮マネージャー兼メコン寮コーディネーター)32歳
4、スケジュール概要:バンカーン村の子どもための寮訪問、寄付金贈呈、メコン寮訪問
           ワカタケ寮訪問、寮及びグランド建設予定地見学、アカ族バンカーン村訪問 5、概 要
  バンカーン村の子供たちの寮支援を続ける森山さんの活動に対して、福岡県人会から20,000バーツの支援を行うため、チェンライを訪問。支援金については寮のトイレ新築資金の一部に活用される。

(1) バンカーン村寮(後日とびうめ寮と命名)
 バンカーン村の祖先は元々ミャンマーに住んでいたが、祖父の代にタイのメーサロンに移住、そこで15年ほど生活した後、ポーナムロンにさらに移住。
5年ほど生活で村自体が火事に遭い、24世帯のうち16世帯が焼け出されたため、現在のバンカーン村へ移住してきた。
バンカーン村では現在13年目を迎えており、今後さらなる移住の予定はないという。
 バンカーン村までは4年前に村人が人海戦術で整備した山道を通って車で移動する事ができる。
しかし、傾斜が厳しくまた歩道もなされていないため、ピックアップの四輪駆動でなければ通行不可能である。
雨季の時期になると村までにある5つの小川が増水しさらに赤土がぬかるむため、四輪駆動にチェーンを装着しなければ前進できないとのことである。
道幅は狭く当然離合は不可能であるが、現在は村人の誰も自家用車を所有するものはおらず、バイクがもっぱらの移動手段のほかは徒歩である。
バンカーン村は現在29世帯、200人以上の人口で、学齢期の子どもは50〜60人おり、そのうち21人が寮に住んでいる。
それ以外の子どもは他の寮やタイ人の家庭に住み込みをしており、バンカーン村ではすべての子どもが学校に行っているとのことである。
 アカ族の村は200以上あり、5万人いるといわれているが、学齢期の子どもで実際に学校に行っている子どもは半数くらいと見込まれている。
後の半数は生活費や学校までの距離のため、学校に行けないでいる。
政府は少数民族のための無料の寮を各県に1箇所ずつ、さらに民間運営による寮も15ヶ所ほどあるが、現状では絶対数が不足している。
 バンカーン村では最初、ムアン郡のタイ人村長宅の小屋を借りて寮運営を行っていたが、村長から安く土地を提供してもらい2年前に山の中腹にある現在の寮を建設した。
建設にあたっては親が村から2時間かけて資材を運んだ。
 寮は縦6m、横9mの竹作りの建物で屋根はスレート葺き、寮の横に調理場とはいえない台所があり、村の人が一人ボランティアで食事の準備を手伝っている。
寮では小学1年生から6年生まで18人と中学生3人の計21人が生活しているが、女の子は小学1年生の一人だけである。
現在の寮は1部屋で男女共同が困難なため、高学年の女の子はタイ人宅や他の寮で生活しているとのことである。
村の人たちも本来は男女それぞれの寮を希望しているが現状はまだ無理のようである。
寮内には、森山さんが2年前に寄付で取り付けた蛍光灯とスチールの机が置かれており、夜でも学習が可能となっている。
ただし、この寮にはメーターは設置されていないため、近くの個人宅から電気を分けてもらい毎月200バーツの定額を支払っているとのことであるが、この料金とあわせ寮運営のための経費に苦慮している。
また、最近タイ人が中古品を寄付してくれた小型のテレビと1ドアの冷蔵庫が並べられていた。
調理場はガスは無く調理の度に火を起こす状態である。
天井は煙で黒くすすけていた。外には1週間ほど前に斜面を削って整備された幅6m、長さ30mほどのグランドがあるが、整備費は13,000バーツ、わずか4万円弱である。
 他の寮は日本や欧米の里親制度や寄付を受けているが、この寮はまったく無く村の親たちの自主運営でこれまでやってきており、里親制度等を希望している。

(2)森山 茂樹氏
 それまでの何回かの海外旅行の内で、一番自然が多くまたどんなに貧しくても仏教の教えに従い殺生をしない国柄を気に入り、退職後の1988年、年金による滞在パーミットを取得しスリランカへ移住。
タミール族のゲリラの発生やねだりやタカリが激しく、またすりやこそ泥も多くゆっくり昼寝もできない状況であったため、3年後の91年、住みやすく自由であり、物も豊富でおいしいタイ、チェンマイへ移ってきた。
タイでは年金生活者には当時から1年間の滞在ビザが貰え、さらに海外に出国することなく延長手続が行えた。
 チェンマイでの生活を送る中で、たまたま目にしたバンコク週報の里親制度の記事を読んで自身もボランティア活動への取り組みに目覚めた。
チェンマイではゆっくりと年金生活を送っていたが、97年1月にチェンライへ移転、バンコク週報の人を通じてヨハンさんを知り、ヨハンさんが運営するメコン寮への水道の高架及びろ過設備の寄付が最初の取り組みとなった。
 ヨハンさんと行動をともにするようになってからアカ族バンカーン村を訪ねて2年前に寮の存在を知った。
ほとんどの寮が国や欧米、日本からの支援がある中、この寮だけが全く支援がなく寮に通う親たちのみで運営を行っていたため、それ以来森山さんは寮の施設改善のための寄付を行ってきた。
寮といってもその時には机も電気もない状態であり、これまでにスチール製の机、電気そして貯水槽を設置しており、また寮を訪れる度に遊具等の寄付も行ってきた。
また、昨年からは4名の子供の里親として、子供たちを学校に行かせている。
今森山さんは年金額の2ヶ月分(12〜13万バーツ)を年間の寄付基準としている。
 一昨年、森山さんはヨハンさんの姉の名義で10ライ(1,600F/ライ)の土地を取得し、そこに昨年2月自宅を新築、半年間生活したものの体調を壊したため一時日本に帰国し、現在はヨハンさんの家に世話になっている。
その広い土地に森山さんは2〜3年先には自ら寮及びグランドを整備し、50人程度の少数民族の生徒を寮生として受入れを行いたいと考えており、そのため井戸も3つ掘り、さらに電気も自ら引いている。
しかし、実際には森山さん自身、体調もあまり丈夫ではないようであるし、また寮を運営するスタッフの人材確保にも苦労するものと予想される。
寮の絶対数が不足しているため、ヨハンさんも森山さんの寮運営には積極的にサポートして行くといっているが、ヨハンさん自身多忙であるため、若い人からヨハンさんのような人材が出てくることが望ましい。
寮としての認可を受けるためには主たる運営者はタイ国籍を有する必要があるため、たとえ森山さんが設備を整えたり資金面の援助を行ったりしても直接的な経営者とはなり得ないとのことである。
やはりタイ人のスタッフ、経理及び食事面で最低2名は必要であるとの話である。

(3)ヨハンさん(Yohan Chermer)
 谷口さんの教え子。谷口さんは熊本県立農業大学校教官を退職後、1983年にタイに来て以来、各地で農場を開き農業指導や麻薬・エイズ撲滅,山岳民族の青少年への奨学金援助などの活動を長く続けている方である。
欧米が支援する寮を卒業したヨハンさんは谷口さんから農業を学んだ青年の一人であり、13年前谷口さんの支援により熊本で1年間米作、肥育牛、養鶏の技術を学んでいる。
ヨハンさんのほか、何名かも千葉、熊本の農家で農業技術を学び、彼らもまた寮の運営や農業に従事している。
ヨハンさんは現在、ワカタケ寮のマネージャーであり、またヨハンさんの兄がマネージャーを勤めるメコン寮のコーディネーターも努める。
さらに肥大化したメコン寮のため、新たな寮運営も来年から行う事を予定している。
ヨハンさんの関連する寮はいずれも谷口さんを支援する熊本のボランティア団体や熊本YMCA、熊本JAなど幅広い支援を受けて成り立っている。
また年1回熊本からは里親が会いにグループツアが組まれている。
高校生、大学生の国際協力体験、ホームステイも実施されているとのことである。
ヨハンさんの奥さんもアメリカ系の民間団体が支援するニューライフセンター(少数民族のタイ語取得のための講座と裁縫講座の開講)の運営に携わっている。

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