輝国山人の韓国映画
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パク・ナモク
朴南玉
박남옥
Pak Nam-Ok

1923年 2月24日 慶尚北道 ハヤンで出生       娘6人,息子4人の10兄弟姉妹中3番目の娘として生まれた。       父は,テグ(大邱)キョンブク(慶北)地域の生糸組合理事長で,       家は裕福な方だった       幼いころから映画が途方もなく好きで,映画俳優キム・シンジェの       熱烈なファンだったそうだ。 1939年 キョンブク(慶北)女子高等学校在学中,砲丸投げ選手で活動  〜41年 3年間で第2,3,4回 全国体育典で韓国新記録を樹立       短距離と走り高跳びでも全国大会で入賞した経歴があったそうだ。       キョンブク(慶北)女子高を卒業した後,日本留学を夢見たが,       校長先生と家の反対に会い,イファ(梨花)女専家庭科に進学       イファ(梨花)女専では,学校の勉強以外に文学科美術,映画に       心酔していたそうだ。 1944年 結婚を強要する家の雰囲気に対抗してイファ(梨花)女専を中退し,       テグ(大邱)毎日新聞社に記者として入社 1945年 友だちの夫だったユン・ヨンギュ監督の紹介で,上京して朝鮮映画       社撮影所のスタッフとして入社       編集とスクリプターの仕事で映画界に入門 1947年 シン・ギョンギュン監督の映画<新たな誓い>のスクリプターを担       当する。 1950年 朝鮮戦争が勃発後,プサン(釜山)の国防部撮影隊に入隊       従軍映画を制作 1953年 従軍映画を作って出会った劇作家イ・ボラと結婚       プサン(釜山)に定着 1954年 6月 娘を出産 1954年 姉妹映画社を設立,<未亡人を演出 1956年 劇作家イ・ボラと離婚 1956年 月刊映画雑誌<シネマファン>を創刊 1957年 2番目の姉の夫が社長である東亜出版社で管理課長として在職  〜78年 1980年 娘の留学と一緒に渡米 [最終更新] 2016-02-01

 



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