輝国山人の韓国映画
<Home>へ

パク・ハク
朴學
박학
Pak Hak

[職  業] 俳優 [本  名] パク・ハング 박한구 朴漢九 [生年月日] 1914年 [出 生 地] ピョンヤン(平壌) [身長体重]  [住  所]  [レ タ ー]  [出身学校] キョンシン([ニンベン+敬]新)学校       日本大学 演劇科 [宗  教]  [趣  味]  [特  技]  [家  族]  [血 液 型]  [あ だ 名]  [座右の銘]  [経  歴] 1934 日本留学中に在日朝鮮人演劇運動に加担し,東京朝鮮語劇団          の後身である在日本高麗劇団の演技班団員として活動した。          日本滞留期間中に東宝や松竹などの映画会社と関係し,映画          俳優として訓練を受けた。       1935 キム・パウとキム・ドゥヨンを中心に組織された在日本朝鮮          芸術座の座員に加入した。       1936 朝鮮芸術座の一部が帰国し,朝鮮演劇協会の創立会員として          活動した。       1938 劇団浪漫座の同人として活動し,俳優として注目をあび始め          た。       1939 東亜日報が主催した第1回演劇競演大会にチン・ウチョン          (秦雨村)の翻案で公演した<墓地>(シェークスピア原作          の<ハムレット>の墓地場面)でハムレット役を担って入賞          した。       1939 極光映画制作所所属で出演した映画<漁火>で,「映画にお          いて多くのパーソナリティーを生かすことができる演技者」          という好評を受けた。       1940 チェ・ナムジュ(崔南周)の朝鮮映画株式会社(朝映)が,          「銃後民衆の精神生活」のために組織した同人制劇団朝鮮舞          台の団員として活動した。       1943 劇作家キム・テジン(金兌鎮)が主導した劇団太陽の団員と          して活動した。       1946 劇団芸術劇場の同人として活動すると同時に,朝鮮演劇同盟          で幹部職を引き受けて活発な活動を広げた。       1948 イ・ギュファン監督の<海燕>に出演した。          公演中に右翼青年団のテロにあったり,演劇同盟活動で検挙          されるなど,弾圧が激しくなると,北に行ったと伝えられて          いる。 [H  P]  [所属会社]  [T  V]  [ラ ジ オ]  [M-Video]  [C F]  [短編映画]  [演  劇] 1938 墓地       1943 その前夜       1946 夜の居酒屋       1946 <ノンゲ(論介)       1948 孤独な人々 [DISC]  [受  賞]  [お ま け]  [最終更新] 2016-03-01

[出演映画]
制作年作 品 名   (監督名)
1939
1948
漁火 (アン・チョリョン
海燕(別名:鴎(カモメ)) (イ・ギュファン



【BACK】 (一覧ページへ)