輝国山人の韓国映画
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ナ・ウンギュ
羅雲奎
나운규
Na Un-Kyu
映画監督,俳優

1902年 10月27日(陽暦11月26日)咸鏡北道 フェリョン(会寧)で薬種商をす       るナ・ヒョングォン(羅亨権)の3男3女のうち3番目の息子として生まれた。       4年制のフェリョン(会寧)公立普通学校を卒業       3.1独立運動デモ事件に刺激され,フェリョン(会寧)地域の大人たちが主導し       た独立宣言文数千枚を教会地下室で謄写配布した疑惑を受けて,ロシアへ逃避,       寒帯白軍メンスベッキ軍に入って傭兵生活をした。       16歳の時に2歳年上のチャンニョン チョ(曹)氏チョンオク(貞玉)と結婚 1920年 カンド(間島)に戻り,ヨンジョン(龍亭)のミョンドン(明東)中学校に通っ       た。       トゥマンガン(豆満江)ヨナンの独立軍秘密組織体であるトパンブ(図判部)に       加入した。 1921年 ウォルサンからソウルへ行く列車の中で,偶然にチュンドン中学高等予備学科の       教師に会ったのが縁で,チュンドン中学校に入った。       チュンドン中学高等予備学科在学中の20歳の時,鉄道窟爆破が未遂で終わった       トパンブ(図判部)主謀事件を口実に,フェリョン(会寧)警察署から急派した       日本刑事によって検挙され,保安法および制令第7号違反罪で2年間服役した。       この時,独立闘士であるイ・チュンシクから今日まで広く呼ばれているチュンサ       (春史)という雅号を得ることになった。       フェリョン(会寧)に来た劇団イェリム(芸林)会の巡回公演に深い印象を持ち,       その引率者であるアン・ジョンファ(安鍾和)の後を追って,1924年にプサン       (釜山)で創設された最初の映画会社朝鮮キネマ株式会社の研究生として入社し       た。 1925年 朝鮮キネマの<ウニョンジョン(雲英伝)>(ユン・ペンナム監督)に出演して       映画界に入った。        セジョン(世宗)大王の4番目の息子であるアンピョン(安平)大君が寵愛する        宮女が清貧で高尚な人を慕って醸し出す愛の悲劇        女主人公を輿(こし)に乗せていくキョグン(較軍)の一人として出演 1925年 <シムチョンジョン(沈清伝)>(イ・ギョンソン監督)でシム・ボンサ役を担       って比重ある演技を披露した               ユン・ペンナムがユンベンナムプロダクションを作って制作した映画 1926年 <籠の鳥>(イ・ギュソル監督) 出演 1926年 <アリラン> 監督,脚本,主演        ソウルの本町(チュンムロ(忠武路))で淀屋(よどや)という帽子店を経営し        ていた日本人の淀虎蔵(よど・とらぞう)が設立した朝鮮キネマプロダクション        が制作した。        タンソンサ(団成社)で上映され,長蛇の列ができた。        今日まで出た映画の中で,これくらい純然な朝鮮人の生活を背景にし,また,        映画制作上,余裕を見せた映画が珍しいという評価など,好評を受けた。        しかし,映画のフィルムは残っていない。        当時の新聞の広告や記事には,日本人の津村秀一が監督と記されているが,これ        は,ナ・ウンギュ自身が脚色と監督,主演を一人で行ったことを恥ずかしく思い,        主演以外は他人の名前を借りたと本人が語っているそうだ。        (韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで          鄭琮樺(チョン・ジョンファ)[著] 明石書店 2017年)        映画の内容や背景などについては,次の書物が詳しく解説している。         ○ NHK 知る楽 テキスト 火曜日 歴史は眠らない             5月 韓流シネマ 抵抗の軌跡              語り手:李 鳳宇 映画プロデューサー               日本放送協会 675円+税 2009年         ○ 韓国映画100年史            その誕生からグローバル展開まで             鄭琮樺(チョン・ジョンファ)[著]             野崎充彦+加藤知恵[訳]              明石書店 3,200円+税 2017年 1926年 <風雲児> 監督,原作,脚本,編集,出演        ロシア傭兵として出て行って祖国に帰ってきたが,冷たい現実に直面して再び放浪        の道に出る韓国青年の話 1927年 <野ネズミ> 監督,脚本,編集,出演 1927年 <金魚> 監督,脚色,編集,出演 1927年 独立してナ・ウンギュプロダクションを設立 1927年 <サヨナラ(元気でね)> 企画,制作,監督,脚本,編集,出演 1927年 <黒と白>(キム・テギュン監督) 出演 1928年 <玉女(オンニョ)> 企画,制作,監督,原作,脚本,編集 1928年 <愛を求めて(トゥマンガン(豆満江)を渡って)> 企画,制作,監督,脚本,編集,出演        当初,<トゥマンガン(豆満江)を渡って>という題名だったが,検閲当局の指示で        <あの川を渡って>に変更させられ,3回もの題名が変わる曲折を経なければならな        かった。 1928年 <男>(ホン・ゲミョン監督) 企画,制作,脚本,出演 1929年 <聾唖の三龍(サムニョン)> 企画,制作,監督,脚本,出演 1930年 1930年を基点にスランプが訪れ,助演を引き受けたり,地方公演をしたりもした。       人気に迎合した無節制な私生活で物議に上がったりもした。 1930年 <アリラン・その後の物語>(イ・グヨン=李亀永 監督) 脚本,出演 1930年 <哲人道> 企画,監督,脚本,編集,出演 1931年 <金剛恨> 監督 1931年 <夫は警備隊へ>(ト・ジョンチャン監督) 出演 1932年 <開化党異聞> 監督,脚本,編集,出演 1932年 <主なき渡し舟>(イ・ギュファン=李圭煥監督) 出演 1932年 <岩窟王> 監督,脚本,出演 1933年 <チョンノ(鍾路)>(ヤン・チョル監督) 脚本,編集,出演 1934年 <七番洞簫事件> 監督,脚本,編集,出演 1935年 <川向こうの村> 監督,脚本,編集 1935年 <影> 監督,脚本,出演 1935年 <イチジク> 監督,編集 1936年 <アリラン 第三篇> 企画,監督,脚本,出演 1937年 <五夢女(オモンニョ)> 監督,脚本 1937年 8月9日 肺結核で死去            遺骸は,テジョン(大田)国立墓地に安置されている。 [出演映画]
制作年作 品 名   (監督名)
1925
1925
1926
1926
1926
1927
1927
1927
1927
1928
1928
1929
1930
1930
1931
1932
1932
1932
1933
1934
1935
1936
ウニョンジョン(雲英伝)(ユン・ペンナム=尹白南)
シムチョンジョン(沈清伝)(イ・ギョンソン=李慶孫)
籠の鳥 (イ・ギュソル)
アリラン (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
風雲児 (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
野ネズミ (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
金魚 (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
サヨナラ(元気でね) (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
黒と白 (キム・テギュン)
愛を求めて(トゥマンガン(豆満江)を渡って) (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
男 (ホン・ゲミョン)
聾唖の三龍(サムニョン) (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
アリラン・その後の物語 (イ・グヨン=李亀永)
哲人道 (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
夫は警備隊へ (ト・ジョンチャン)
開化党イ・ムン (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
主なき渡し舟 (イ・ギュファン=李圭煥)
岩窟王 (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
チョンノ(鍾路)(ヤン・チョル)
七番洞簫事件 (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
影 (ナ・ウンギュ=羅雲奎)
アリラン 第三篇(ナ・ウンギュ=羅雲奎)

[監督作品]
制作年作 品 名 【原 題 名】
1926
1926
1927
1927
1927
1928
1928
1929
1930
1931
1932
1932
1934
1935
1935
1935
1936
1937
アリラン
風雲児
野ネズミ
金魚
元気でね
玉女(オンニョ)
愛を求めて(トゥマンガン(豆満江)を渡って)
聾唖の三龍(サムニョン)
哲人道
金剛恨
開化党イ・ムン
岩窟王
七番洞簫事件
川向こうの村

イチジク
アリラン 第三篇
五夢女(オモンニョ)

[解説資料] 韓国映画100年史 その誕生からグローバル展開まで(鄭j樺 [著] )37頁 [最終更新] 2017-02-21

 



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