懐メロの甘い罠

今だけ後ろ向き

きっかけは何だったろう?つい先日のことなのにもうしかとは思い出せないのだが,とにかくその日,僕は数枚のCDを買うために街へと急いだ。欲しいとなったら今すぐ欲しいというタチなので,自然と足早になったことだけは覚えている。

洋楽の懐メロを急に聴きたくなったのである。

長い間,僕にとって懐メロという言葉が呼び起こすのは直立不動で戦中戦後の唱歌を歌うおじさまやおばさま歌手たちの姿であった。もしくは夏の盛りにNHKで放送する「思い出のメロディー」といった番組の記憶である。しかし,時は流れて僕もまた立派な?中年世代となり,自分の懐メロをイメージできる年になった。

僕にとっての懐メロ,特に洋楽はちょうど万博の前後ころのものである。最近各社からその手のコンピレーションやオムニバス・アルバムが出ているので手を出してみた方もおありだろう。そして僕は見事にハマってしまった。

ちょっと懐かしむ程度ならともかく,ノスタルジーにひたりすぎるのは後ろ向きでみっともない……と,いつもそう口にしているだけに「危ないぞ」と思ってはいたのだが,予感的中であった。うわあ〜これは懐かしすぎる!

男の世界だよ

当時は海外の大物映画スターが続々日本のテレビCMに登場してちょっとしたブームになっていたが,その火付け役となったのがチャールズ・ブロンソンが「ウーン,マンダム」とやった例のアレである。そのバックに流れていたのが大ヒット曲になってしまったジェリー・ウォーレスの「男の世界」だ。これを今回,実に数十年ぶりに聴いた。

いやあ,これはいけない。甘美すぎる。後ろ向きもへったくれもないよ。

とっくに風化したと思っていた当時の記憶が怒濤のようにフルカラーで来襲するのでまいった。抽出の奥に乾燥剤とともにしまいこんで厳封していたはずのものが,だ。懐メロの威力,いや,これこそ音楽の力ってもんだろうか。

今でも時たまラジオから流れてくるリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」なんて,もはや名前も思い出せない友達の家で聴かせてもらった時の,彼がその手にレコードを持つ姿までがよみがえってきた。うーん,よく言われることだが人間てのはもしかしたら見聞きしたものすべてを覚えているのかもしれないね。普段は思い出せないだけで。

ヘドバとダビデの「ナオミの夢」なんかもそういえば流行ったよなあ。僕はこの曲が第一回の東京国際歌謡音楽祭でグランプリになったシーンをちゃんとテレビで見ていた。あのやけに日本人ウケするメロディーを聴いているとそんな情景まで舞い戻ってくるから不思議だ。日本語版もヘブライ語版もともに気持ちいいことこの上ない。

幼い時代

とにかく,ウエットな部分の一切が乾燥しきってまるでフリーズドライの食材みたいになっていた遠い日々が,いきなり生々しく浮かび上がってきたのだ。持て余すよ,これは。懐かしすぎるのも時には考えものだ。

当時はラジオの深夜放送が最初の大ブームになりつつあった頃で,ある時,僕の住む地方の街にまでオールナイトニッポンのキャラバン隊がやってくることになって大騒ぎ。学校ではその話題で持ちきりだし,先生たちはそんなところに行ってはならんと怖い顔をする。

ま,昔の話だからね〜,先生に逆らうには今とは比較にならない重大決心が必要な日常だったのだ。

でも出かけたよ。ものすごい数の人の中をおしあいへしあいしながら憧れのパーソナリティのおっちゃんと握手してステッカーをもらって,ただそれだけなんだけど純朴な中学生たちには興奮すべきイベントだった。多くの人と一体感のようなものを共有した初めての経験だったかもしれない。

でもって,監視というか補導というか指導というか,とにかく学校側からも大挙して先生方が動員されており,一大決心の下に会場に集まった陸上部のホープや優等生のインテリ美少女や坊主頭の柔道少年(ワタシのことだ)たちは皆そろってありがたーいお説教をくらったのであった。

今思えばなんと幼くも微笑ましい時代であったことか。懐かしくても今さら思い出してひたっていたいとはこれっぽっちも思っていなかったのだが……不覚だったなあ。

人よ,山口百恵を聴け

洋楽懐メロにハマる少し前,山口百恵のベストアルバムを買った。彼女の引退コンサートのLDは持っていたのだが,実はLPもCDも買ったことがなかったのだ。好きな曲がいくつかあったので機会があれば,と思っていたのだが,そんな風に思っているうちに10年,20年と経ってしまうものなんだ。それもあっと言う間に。

それはともかく山口百恵である。いやもう感動してしまったよ,僕は。

彼女の現役時代には決して熱心なファンというわけではなかったのに,今こうしてヒット曲の数々を聴いているとそのすばらしさに総毛立つような思いである。特に「プレイバックPART2」や「絶体絶命」あたり以降の,後期の代表曲にはゾクゾクするような気分が自分の中で渦巻くのを感じる。楽曲といい艶のある声質といいまさに時代を駆け抜ける大スターの光輝が吹きこぼれている。なんという存在感であろうか。

かつて,山口百恵は菩薩であると言った人がいたが,正直,当時の僕は笑っていた。いくら好きでもそりゃまた大げさすぎるでしょうが,と。

嗚呼,しかし笑われるべきは僕の方であった。今ならそう発言した人の気持ちがよくわかる。歌謡曲で昭和という時代の後期を照らし出すことができた希有の存在。歌や映画,その他数々の媒体で山口百恵という色を持った空気のようなものが,この国のあの時代を薄く広く覆っていたのだということが今ならよくわかる。

そんな妄想?をむくむくとわき上がらせる力が彼女の歌にはある。人よ,今こそ山口百恵を聴け。