早起きの朝に

もの皆目覚めて騒々しきこと

選挙カーが騒々しい季節がやってきました。皆さん,いかがお過ごしでしょうか。お花見も済んで新年度のあわただしさにため息ひとつ,という人もいらっしゃるでしょう。たとえスケジュールががら空きの人でも何かじっとしていられないような気分になるのがこの時期ですね。

いつも我が拙いページを訪れてくださってありがとうございます。春先は小ネタの近況報告でお茶をにごすのが恒例?となっているような気がしますが,落ち着かない年度替わりの気分が伝染するのでしょうか,どうも更新が滞りがちになります。

この春(2003年)は戦争好きの愚かな指導者の,まさに絵に描いたようなサンプルを目撃することになって日々憂鬱な方も少なくないことと思います。映画や音楽,スポーツでいつも楽しませてもらっているあの大国のこういう一面を見せつけられるのは,何やらひどく苦いものを飲み込んだ気分ですね。21世紀にもなってこれでは人類を観察している異星人たちもさぞ苦笑していることでありましょう。

一所懸命にリアリティのある人間を描こうと日々苦心している作家や映画監督たちも,現実の"あの連中"を見てしまうと「オレのこれまでの努力は何だったんだ〜」と頭を抱えているかもしれません。シナリオ教室や小説の新人賞なら予選敗退間違いなしの,B級アクション映画並のステロタイプなキャラクターこそが"リアル"だったんですねえ。参ったなあ。

あえて書物の海に沈む

落ち着かない日々ではありますが,どうやら僕のバイオリズムは冬から春にかけて読書人モードになるようで,年明け以降,そちらに興味が移っています。歳をとるごとに本に向かう集中力が落ちているのを感じるのですが,この時期だとなぜか大長編も苦になりません。

正直に告白しますと,若い頃は自分自身に対する見栄があって,小難しい本を読むのが活字人間のカッコよさみたいに感じていました。まあ振り返るとなんて幼いプライドだったことかと思いますね。中年の今ではそういったこだわりはさらさらないので,ティーンズ向けのライトノベルでも楽しく読んでいます。僕は若い頃よりずっと自由になった自分を感じているのです。

そのかわり,たまに硬派な書物に向かったりすると軽いキャラクター小説になじんだ頭には歯ごたえがありすぎて跳ね返されてしまうこともあります。

例えば柳田国男などは諸星大二郎はじめ伝奇もののネタ本として欠かせない,とっても面白いものですが,なんせ超一流の教養人の書くものですからね,角川スニーカー文庫とはやはり違うわけです。こういうものはそれなりに訓練というか鍛錬というかアタマを慣らしておかないと歯が立ちません。オレってこんなに日本語知らなかったんだ,と長年の読書好きの秘めたる自信も砂の城のごとく崩れ去るのであります。

大人の仕事ぶりに思いをはせる

本といえば,映画関連の例えば写真集などはお買いになりますか。僕の本棚にはご贔屓のヘプバーンやモンローの写真集がいくつかある程度でそれほどたくさんの関連書はありません。

その中で唯一例外的に存在感を放っているのが「MAGNUM CINEMA」というたいそう重量感のある写真集です。実際,ダンベル代わりに筋トレに使えそうな重さです。値段も相当なもので,清水の舞台とまではいきませんが,階段を7,8段いっぺんに飛び降りるくらいの,つまり下手すると足を捻挫するくらいの覚悟は必要な買い物でした。失敗しなくてよかったなあ。

これは有名なロバート・キャパ主宰の写真家集団マグナム(MAGNUM PHOTOS)による映画関連の作品を集めた写真集です。マグナム写真家たちによる映画史と銘打たれています。

よく目にする映画宣伝のためのスチルとはひと味もふた味も違う写真の数々は見る者の様々な空想,妄想,その時代への思いを刺激します。映画人たちの世界の断章がめいっぱい詰まっているのです。さすがに一流の写真家の仕事はいろいろ語ってくれるものですね。目に心地いいグラビア写真とはまた違った充実感がたっぷり,といったところです。

ところが先日久しぶりに引っぱり出してみると,本のとじ目がバラけかけてるではないですか。あまりに重いので製本の強度が足りなかったのかなあ。本の修理屋さんがひっそりと路地裏に店を構えているような,そんな世界に住めたらな,と思うのですが……。

ふと答の舞い降りること

長年の謎のひとつだった日曜洋画劇場のエンディング曲(So in Love)の演奏について,諸説入り乱れる中で僕も以前こんなことを書いています。しかし,今やネット上で検索すればおわかりのとおり,どうやらこれにもモートン・グールド説で決着がついたようです。この問題が喉に刺さった小骨のごとく気になっていた方々(僕も)にとっては「そうだったのか〜」と心が晴れたのではないでしょうか。

僕もある方からメールでご教示いただきスッキリ晴れ晴れの心境です。

そもそも今までの諸説がどれも決定的な解答として定着しなかったのは,実際にレコードなりCDなりで聞いて確かめたという証言がなかったからだと思います。このモートン・グールドのアレンジによる演奏という説にしても98年頃には神津善行アレンジ説と並んで目にしたことがあるのですが,やはり実際に聞いて納得できるだけの情報がありませんでした。

けれど先日,僕も問題の演奏を聞く機会があり「おお,確かにこれだ〜」と納得した次第です。ちょっと調べてあきらめる自分と違って"確かめずにはおかないぞ"と追いかける人の気合いに敬服します。海外の人には不思議がられるかもしれませんが,日本人にとってはこの演奏こそがこの曲のオリジナルだと言えるでしょうね。