洋画劇場をふりかえる

卒業しても思い出す

映画好きになるきっかけはいろいろある。それこそ人の数だけ「私はコレで映画ファンになりました」って理由や思い出があるだろう。なにしろビデオ,LD/DVDにBS,CSおまけにCATV。身の回りには映画があふれている。

しかし,いくらでも選択肢のある今の若い人たちはともかく,僕のようなロートルはテレビの洋画劇場というのも大きなルーツになっている。

テレビ,それも地上波の洋画劇場(もちろん邦画も含めて)というのはいっぱしの口をきくようになった映画ファンからはとかくバカにされがちだ。CMでぶつぶつ中断されるし,カットは多いし,吹き替えだし,テレビサイズにトリミングしてあるし……レンタルビデオの方がずっとマシと切り捨てられるかもしれない。

確かにそれもごもっともではあるんだが,にもかかわらず,お茶の間のテレビで見た名画の数々は後々まで忘れがたい記憶になっていることが多い。結局思い出はそれら昔のブラウン管映画体験にまでさかのぼってしまうのである。

おのれはどこから来たかを知る

今や好きな映画はいろんなメディアで自分のものにできる。おまけにインターネット時代で,僕のような市井の一凡人が頼まれもしないのにああだこうだと映画についてうるさく語るようになった。

それでも,だ。やっぱり「ああ,そういえばこの映画初めて見たのは淀川さんの日曜洋画劇場だったなあ」と悟ることは多い。思えば子供のころからしっかりお世話になっていたのである。

正直なところ,このページで取り上げている作品のうちでもあの日曜洋画劇場のテーマ曲とだぶってしまうものがけっこうある。エンディングに流れていたのはコール・ポーターの"So in Love"という曲だけど,子供のころから聞いていたせいであの番組で流れていたアレンジ以外で聞くと「あ,オリジナルじゃない」などとたわけたことを言ってしまうのである。

ロビーもHALもよちよち歩きの3体も

子供のころそのセンス・オブ・ワンダーにゾクゾクした「禁断の惑星」は特に印象深い。SFってすんごく面白いんだ,と教えてくれたのは日曜洋画劇場だったのだ。その後,ラブ・ストーリーなんかにゃ見向きもしなかった(男の子だったからね〜)けど,SF映画の回にはわくわくしてテレビの前に居座っていたな。

後に,かの「2001年宇宙の旅」が初めてテレビでオンエアされたときの興奮もまだ覚えている。今のユーザーには信じられないほど高価だったビデオテープを奮発し,万難排して録画に臨んだ。ああ,ありがたやありがたや〜と番組に感謝したこと言うまでもない。

幻の名作といわれた「サイレント・ランニング」も初めて見たのはやはり淀川さんの解説だった。話自体はすでに知っていたのだけど,実際に見るとあの3体のロボットのけなげさに泣けてきたものだ。考証がおかしいなんて言うやつは隕石に当たって死ぬがよい。

ここは素直に感謝

こうしてあらためて思い返してみるとずいぶんいろんな風景がテレビの洋画番組の記憶とともにある。ついにテレビに登場した「昼下がりの情事」の予告のワンシーン(この作品はその後永らくテレビでは見られなかった)。いまだにLDが出ない「唇からナイフ」のお色気。荻昌弘さんの月曜ロードショーが新たに始まる前に盛んに流れていた番組予告の曲(確か「ハタリ」の中の曲じゃなかったかな)等々……。

みな細切れの断片みたいな記憶なんだけど,いまだに失われていない。映画体験の遠い原風景といったところか。テレビの深夜放送が一般的ではなかった時代,洋画劇場が終わると一日の終わり,あるいは一週間の終わりという感じが強かったことも印象に残っている。

現在では爆発的にテレビのチャンネルが増え,もはやキー局の看板番組としての洋画劇場の存在価値はほとんどない。それでも今こうしてここに映画好きの中年がひとりいるのは名作,傑作,珍作,話題作,ついでに駄作にカルトに迷作の数々を肩肘張らずに体験させてくれた洋画劇場のおかげだ。

淀川さんや荻さんには「お世話になりました」と頭を下げるしかないなあ。