別れの儀式

ラスト・フェイズ

以前にも何度か触れたことがあるが,古いベータのビデオをちまちまと処分している。長年録りためたものはさすがに少なくないので,一挙に廃棄というわけにはいかない。大事なものはデジタルに移行しなくちゃいけないし,その分別も手間がかかる。本棚の整理に取りかかるとつい読みふけってしまっていっこうに終わらないのと同じだ。

しかし,それもどうやら本格的に最終段階に入ったようで,今まで手つかずだったコレクションにもとうとう取捨選択の時期が訪れた。オリンピックの記録である。

僕は子供のころからオリンピックテレビ観戦オタクだったので,ビデオデッキ時代になってからは他のプログラムに優先してオリンピックの映像記録に励んできた。AV機器もその度に更新してきたような気がする。五輪を商売のチャンスと考える家電各社や放送局にとっては格好のお客さん(カモともいう)だったわけだ。

むろん,すべてを網羅するのは時間的にも財政的にも無理なのだが,それでもオリンピック期間中は生活パターンを調整してまで録画に熱中していた。言うまでもないことだが,タイマー録画などという邪道なことはしない。日常的に機械というものに慣れている人間ほど機械を信用しないものなのだ。ちょっとの楽と引き替えに大事な録画をしくじる危険は犯せない。深夜だろうが,早朝だろうが自分の手で録画ボタンを押す。それが勤務時間とカチ合うようなら……休暇を取る。

まあこれも一種の病気だね。でも趣味ってのはそういうこだわり自体が楽しいものなんだ。

オールド・メモリー

そして時は流れ,時代は21世紀。もういつから21世紀になってんだかわからないくらい普通に21世紀である。不思議なことだが,あれほど熱中したエアチェックに対するこだわりが今はない。大切にしていたオリンピックのライブラリまで整理する気になったのはそのためだ。

人生観は一生にひとつである必要はない。いや人生観などというと大げさになるので生活観とでも言おうか,それは例えば10年ごとに取り替えたっていいのだ。20世紀と共に僕から去っていった熱いエアチェック病は"旧時代の"属性だったのだろう。そんなことを(ちょっとだけ)考えながら,夏冬様々な五輪映像の整理に取りかかっている。

今のところ,2時間ほどで収まる完結性の高いものはDVDに,長尺で連続性の高いものはD−VHSにと振り分けながら作業中だが,やはり時間がかかる。ついつい見入ってあれこれ記憶を刺激されることになるので,機械的に処理するようには進まない。捨てるものを選び出すとなると尚更だ。やはりこれは本棚の整理に近いものがある。

一挙にDVDにしてしまえばよさそうなものだが,実はいまだに画質もランニング・コストもテープの方が上だったりする。名実ともにディスクが最高,と言えるようになるのは今しばらく先のことだ。

グッド・セレモニー

そんな中,やはりこれは永久保存だなと感じるのは各大会の開会式と閉会式である。セレモニーとしてもショータイムとしてもどれも見応えがあるし,開催地の個性もはっきりあらわれる。記憶に残るシーンも少なくない。

考えてみれば,どの大会の実行組織も開・閉会式には莫大な予算と時間と人材を投入するのだから,これは当然のことなのだ。数々の名勝負の記憶は確かにスポーツ史上に残るだろうが,実はこの開・閉会式の記憶もまた見る者の心に長く残るものなのだ。

今それらの映像を見ていると,あれこれ心に浮かんでくるものがある。それは様々なイメージの断片であったり,当時の熱気や感情の端々であったりするのだが,僕にとってはけっこう大きなウエイトを占めているらしい。それでいて切ない気分になるわけでもなく,むしろ心楽しい。ああ,この感じは悪くないなあと思う。

開会式で印象に残っているものはそれこそいろいろあるが,僕はミュンヘン大会の入場行進の一発目の音楽がいまだに記憶に残っている。中近東風のメロディがとても印象的で,五輪開会式というとまずこの曲が僕の第一イメージだ。東京大会やロサンゼルス大会のファンファーレも見事だが,僕にとってはミュンヘン大会のこの曲。

まだビデオデッキのない時代だったが,後にNHKがこの時のハイライトを流してくれた時に録画に成功した。そりゃあもう「やたっっっ!」と思ったねえ。

マイ・アイドル

開会式や閉会式の中継には当然実況がつく。こうして昔の映像を見ていて時にハッとするのは,彼らの口からいろいろな"名前"が聞こえてきた時である。特に名選手や人気選手の名前には言霊的効果があって,その短い響きひとつがさまざまな思い出を刺激する。

僕のようなオリンピック視聴大好き人間にとって,スポーツ選手の名前にはイメージ,記憶,思い出,時代の雰囲気といった添付書類がくっついていて,その名が響くとこちらの心の中に解凍・展開されるのである。必ずしも試合の記憶ではなく,無関係な連想が刺激されることも多いのだが,それも悪い気分ではない。

僕は体操やフィギュア・スケートが特に好きだったので,その方面の録画が特に多いのだが,時代ごとに自分にとってのヒーローやアイドルがいた。今,古い映像を整理しながらも彼や彼女の名前がふいに出てくるとどきんとしてしまう。

そこからたちまちたくさんの連想がわき起こって,そのどれもがけっこう楽しげなものであったりすると「ああ,オレって意外と豊かな思い出の持ち主だったのかな」と苦笑する。繰り返しになるが,この感じは悪くない。

そして,いつかの大会の閉会式の様子を見ながらライブラリの1本1本を処分していると,これが自分なりの,かつてオリンピックの記録に熱中した時代への別れの儀式なのかなと思った。