続・もっと光を!

デジタルニューマスターって?

ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」は僕の大好きな映画である。それはもう賛辞を1メガバイトくらいは書き連ねても足りないすばらしい作品だ。実に繊細な光と影と色彩によって描かれたその世界,そして主役のアナ・トレントの魅力にまいってしまった人も少なくないだろう。

だからLD時代にはLDを買ったし,このたび(今は2000年6月末)遂に発売になったDVD版も迷わず買った。同監督の「エル・スール」とセットになったボックス版は監督のロングインタビューのおまけディスク付きで価格もまず良心的。何もためらう必要はなかった。

しかしこのDVD版「ミツバチのささやき」,再生してみて驚いた。画面が暗いのである。それも異様に暗い。

普段,AV機器やソフトのクオリティにはあまりケチをつけない僕もこの暗さにはまいった。暗部のつぶれ方がひどく,直視型のディスプレイ(要するにブラウン管ね)で見てさえ何が映っているのかよくわからないシーンがある。僕は目が悪いので普通の人より光量を必要とするのだが,それにしてもこれはシャレにならんのではないか?

パッケージにはデジタルニューマスター版と書いてあるし,LDと違ってスクイーズ収録だ。多少の期待はしてもバチは当たるまい。だが,自分の視力を差し引いてもこの暗さは辛い。それどころかLD版と比較してここまで明るさが違うと別のことまで気になってしまう。

光は意外と雄弁なのだ

つまり,これじゃ監督が本当に見せたかった絵とは違うんじゃないのか?ということだ。

あんなに光や色彩がデリケートな映画でこうまで明るさが変わると,いくつかのシーンはまるっきり印象が違ってくる。天候や時刻や心象風景までが今まで見慣れていたものとは別物になってしまうのだ。これでは撮影時にさんざん計算して演出したであろうライティングなどもパアではないのか?

むろん,LD版がオリジナルにどれだけ近かったかはわからない。LD版を基準にしていいのかどうかもだ。それでもたとえばあの有名な線路のシーン,アナとイサベルの姉妹が列車を見送るシーンを比較すると太陽の位置,天候,季節感,何より画面の印象が全然違う。また家出したアナが崩れた城壁跡で発見されるシーンにしても同様だ。早朝だということはわかる。しかし明るさ,光の具合が全く違うので同じ朝といっても時刻が1時間くらい違う感じだ。

夜明け前と日の出の後くらい印象が違う。

また,ラストシーンのように,暗くとも微妙な陰翳の中で描き出されたシーンがろくに見えないというのも痛い。ここは扉の向こうの「夜」からほのかな光が差し込んでいるような絵なのだが,DVD版ではそんなニュアンスも塗りつぶされてしまっている。あまりにもったいないではないか。

適マークを考案せよ

コレクターやAVマニアならずともソフトにおいてはノーカット,ノートリミング,ついでに字幕スーパーといった仕様が求められるのはなぜか?より完全に近い形,より本来の姿に近い形で見たいという欲求があるからだ。ならばこの明るさの問題も無視することはできないのではないか。

より監督の意図した画調で見たい。

たとえばコンピュータの世界ではディスプレイ上の色と印刷時の色を合わせるカラーマッチングの技術がいろいろあって各社にとって大事なノウハウになっている。それと同じように元の素材とそこからソフト化されたものの間で明るさを(必然的に色も)整える基準みたいなものがあれば,と思う。

今,ソフトのパッケージには実に様々なマークやスペックが並んでいる。ドルビーのマーク,dtsのマーク,画面サイズのマーク,上映時間,字幕や吹き替えの表示等々……。これに加えてこのカラーマッチング,いやブライトマッチングのマークがあれば,これは監督が意図した公開当初のフィルムで描き出された画調に近いのだな,ああ〜このソフトメーカーのなんと誠意あることよ,と安心できるわけだ。まあホテルの適マークみたいなものである。

冗談はともかく,同じ場面で天気や時間帯が違って見えるというのはやはり問題だろう。映像は光の産物,ならば明るさというものにもう少し配慮がほしいと思うのは自然な欲求だ。画質を問題にするのなら解像度やノイズだけではなく,こういった面のクオリティにも気をつかってほしいものだと思う。

結局,アナが発見されたのは朝の何時ころだったんだろうなあ。