マイ・フェア・レディ 三つどもえ女の大決戦

うるわしのマイ・フェア・レディ

世にLDボックス数あれど,もっとも正統派のコレクターズアイテムとして挙げられるもののひとつに「マイ・フェア・レディ」のスペシャルコレクション版がある。映画史上に残る豪華な大作ミュージカルにふさわしく,貴重な映像特典に加え副読本までついた文句なしの1品である。オードリーのファンならずとも所有することの満足度という点で極め付きの企画ものであった。

しかし,そういった意匠だけがこのデラックスかつゴージャスなボックスものの真価ではない。そこに納められた数々の興味深い記録映像にこそサプルメント・マニアの血は騒ぐのだ。その衝動は時として見てはならない禁断の一線を越え,自らを後悔の炎で焼き焦がすこともあるのだが,その作品のすべてを所有したいというコレクターの執念は後退も停滞も許さないのである。嗚呼。

うるわしのオードリー

このボックスに収録されたメイキングなどのおまけ映像は相当なボリュームがあるが,楽屋裏ネタとして僕がもっとも興味深かったのが主役の座をめぐる3人の女性の火花である。ひとりはもちろんオードリー・ヘプバーン,そしてジュリー・アンドリュース,そしてもうひとりは影の主役マーニ・ニクソンである。

ご承知のとおり,この「マイ・フェア・レディ」は元々舞台で人気を博した作品だ。ブロードウェイではあのジュリー・アンドリュースがヒロインを演じていた。歌唱力からしても彼女が映画版でもイライザを演じるのは当然と思う人は多かったはずだ。しかし,制作側はオードリーの女優としての"華"を選んだのだろうか。このオファーは彼女にとってもかなり意外な申し出ではなかったかと思う。映画界でのキャリアのないジュリーは「映画向きではない」という微妙な評価を受けていたのである。

結果的にはオードリーの熱演が報いられて映画は大ヒットとなったが,ジュリーに対する同情の声は相当あったのではないか。なにしろオードリーの歌唱力はミュージカルスターと比較できるレベルには遠かったしね。そしてそこに登場するのが作中でオードリーの歌の部分の吹き替えを担当した歌手マーニ・ニクソンである。なんだかお昼のワイドショーみたいな興味で申し訳ないが,僕はこの三者の感情的な確執みたいなものを想像しながらメイキングを見たのだった。

うるわしのジュリー

実は「サウンド・オブ・ミュージック」も好きな僕はひそかにジュリー・アンドリュースがオードリーに対する反発(敵意といってもいい)を口にするのではないか,そうなったらふたりのファンである自分には後味悪いなあ,と思っていたのである。なにしろ歌唱力抜群の自分の当たり役を歌えない女優に持ってかれてしまったのだ。落ち込みもしよう,怒りも悔しさも想像に難くない。

そしてメイキング中にはやはりその点に触れた部分があった。ジュリーはオードリーを押しのけてその年のアカデミー賞を「メリー・ポピンズ」で獲得するが,世間はその受賞を同情票として受け取り,インタビューでもその点が尋ねられる。

Q「この受賞でオードリーに差をつけましたね。ご感想は?」
A「私は自分の演技力が評価されたと思いたいですね」

ここまで直截な(露骨な?)質問をされるというのはやはり世間がこの話題にどれほど注目していたかということだろう。同じメイキング中にある後のインタビューでジュリーはこう答えている。

A「同情で授けられたのか実力で勝ち取ったのかわかりません」
A「・・・やはり同情かしらね。」

これをさらっと言えるジュリー・アンドリュースは偉大だと思った。

そして影の主役は

対する吹き替え(その事実は口外禁止の一項が契約書にあったそうだ)のマーニ・ニクソンだが,この女性は強烈な自己主張で自分こそが主役であるというプライドを隠そうともしない。

オードリーの歌唱力を鼻で笑っているようなコメントには正直「てー,かなわんなーこのオバちゃん」と辟易する。オードリーがオスカーを取れなかった原因は「自分がわざと吹き替えの事実をバラしたせいだとみんなが言ってる」なあんておっしゃるのである。この被害者意識みたいなものがちょっと気持ち悪い。

しかし,考えてみればこの強烈な個性もまたハリウッドで自分の地位を獲得しようとする者には必要なのだろう。その歌手としての実力には文句のつけようがないし,あの名曲「踊り明かそう」は何度聞こうともやはりあの声が似合っている。ここはやはり,あっぱれなりマーニ・ニクソンと讃えるべきであろうか。

歴史にIFはないけれど

オードリーにとっても吹き替えの件を突っ込まれるのはあまり気分のいいものではなかったろうと思うが,もし彼女に今少しの歌唱力があったらどうなっていただろうか?事実,彼女はそれなりに歌って踊れる人なのだ。そういう作品もある。

このメイキングには現存する未済用シーンの中から彼女自身の声で吹き込まれたシークエンスが収録されている。ちょっと低い声だが意外と聞ける。なーんだけっこううまいじゃん,というのが正直な感想。これが「マイ・フェア・レディ」という高度な楽曲をようする作品でなければ吹き替えは不要だったはずだ。あの美しいソプラノではなくハスキーボイスで歌うイライザというのもちょっと見てみたかった気はするが。

とはいえこの作品では全曲が吹き替えではなく,彼女自身が歌っているシーンもある。その比率が極端に少なかっただけだと思って彼女の熱演を讃えるのが正しい見方であろう。

全編オードリーが歌う「マイ・フェア・レディ」はそれはそれで別のタイプの愛される作品になっていただろう,と思うのはひいきのひきたおしかもしれないが,たまに夢想してみるのも楽しい。