「耳をすませば」から響いてくるもの

リピーターになる

傑作・名作とひと口に言ってもその感動の質はさまざまであり,何度でも見たい作品もあれば,大好きだけどもう見たくない(見るのが何だかつらい)という作品もある。これは映画に限らず,小説やコミックでも同じだ。

折にふれ繰りかえし見るソフト……言ってみればこちらがリピーターになってしまうタイプの映画。どんな作品がそうかと言われれば人それぞれだろうが,僕にとってはスタジオジブリの「耳をすませば」はそうしたリピーターになってしまった作品のひとつである。

大人になって読む児童文学と子供の頃に読むそれとでは伝わってくるものが全然違うはずで,僕のような中年男にこの作品の客として語る資格があるのかどうかはわからない。本来もっと若い人々を対象にしているのは明らかだが,なんと言われようともこの作品世界は心地よく,魅かれるのである。

心に響いてくるのは

今現在,中学生や高校生をとりまく現実はハルマゲドン的にシビアであり,そんな日常に閉じこめられた彼らにはこの作品世界の上品さ,清々しさは絵空事として否定されるかもしれない。事実,手厳しい評もあるだろう。

しかし映画にしろ小説その他の創造物にしろ,そんな理由で存在価値を計るのはナンセンスというものだ。人が幸せになる物語,というのはどんな時代でも変わらずに求められ続けてきたではないか。

この中学生カップルのささやかな恋物語が単に気持ちよいだけではなく「うん,よかった」とひとつ前向きな気分にしてくれるのは,これがそういった「望まれて生まれてきた」作品だからだ。雫と聖司のドラマは人類の行く末や世界の命運に関わるような大それたものではない。けれど,彼らの小さな幸福や努力や決心といったものからは柔らかくこだまする祝福の響きが伝わってくる。

だからこそ雫や聖司の世界を揺るぎなく支えるために膨大なエネルギーが注ぎ込まれている。作画も音声も演出も何もかも,あらん限りの力をこのふたりのために捧げることを喜んでいるような仕事ぶりである。

耳をすませば

ところでこの映画,たまに(深夜など)ヘッドホンで視聴するとそれまで気がつかなかった何気ないセリフや効果音に気がついて感心することがある。ヘッドホンにはそういった功徳があるのだ。

たとえば映画冒頭,雫の両親の「ワープロ空いた?」「今プリントアウト中だよ」というやりとりがあるのだが,よく聞くとバックで確かにプリンタが動いている音が聞こえる。はっはあ,なるほどねー。

で,この直後画面中の母は奥(ワープロのある所)へ引っ込むのだが,そこで「あー,タバコ臭い」とつぶやいているのが聞こえる。これなどほとんど背景音と同じ扱いなのでなかなか気がつかない。観客の意識は画面手前のドラマの方にあるからだ。

物語後半,雫が秘密の創作に没頭して両親から叱られるシーンで母親が夫のタバコを注意するくだりがある。ああ,この奥さんはタバコ嫌いなんだなとわかるんだが,すでにこうして冒頭でそのことがちゃんと明かされていたわけだ。細かいという以上に緻密な人物設計と演出がなされていたことに気がつくひとコマである。全編耳をすませる価値があるのだ。

おお,この坂道は

この映画ではキャラクターだけでなく登場する街並みにも心動かされてしまう。雫がムーンを追いかけて細くて暗い坂道を登っていくシーンがあるが,僕も子供の頃あれとそっくりな道を経験している。

しかもそれが幼いころの遠い原風景みたいになっていたから,作中であれほどまでに鮮やかにあの気分を再現されるとお手上げだ。まいったなー。

そのほかにも雫の通学路(特に通りに登る階段の所)とか,川べりの道と重たそうな雨雲とか坂の上のちょっと瀟洒な住宅街とか……あまりにも思い当たる節の多い映像であり,個人的にはここまで引き込まれてしまった大きな理由のひとつになっている。あの地球屋の裏側の構造なんかうらやましい限りだ。

西老人の想い出に涙する

以前にもちらっと書いたが,物語後半,暖炉のそばでまどろむ西老人のシーンがある。静かに開いたドアから美しい女性が入ってくる。老人のかつての恋人であり,夢うつつの中でさしのべられた彼女の手をとる老人。そこで暖炉の火がはぜて目が覚めると全く同じ形でドアが開いて雫が入ってくる……。

僕はもうこのシーンが大好きで,これが監督の近藤さんと脚本/絵コンテの宮崎さんのどちらのテイストにせよ,なんて上手いんだ〜と感動してしまった。

バロンとそれにまつわる悲しい想い出はたぶん半世紀も前のことだろう。雫はまだ未熟な少女だが,現れるべくして彼の前に立ったという気がする。ことさら神秘的に描かれているわけではないし,実際は雫を優しく受け止め,力づけるのが彼の役どころだ。それでいてこの夜を境に西老人の遠い痛みが癒されたような気がするのである。雫は聖司だけでなく,西老人にとっても運命的なヒロインだったのだ。

最後にムーン。半分化け猫と言われながら雫(の心)が沈んでいる時には傍らで見守り,聖司や西老人が現れると「後はまかせたよ」てな感じで雫を彼らにゆだねて離れていく。うーむ,ただもんじゃないね,お前さん。

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ネガティブなものが描かれていないから現実的でないなどとたわけたことを言ってはいけない。人の心を力づけ,一歩を踏み出す気分を与えてくれる幸せな映画はまたとない財産なのだ。そう思う。