「時をかける少女」再会の面影に捧げる歌

いつも青春は時をかける

今日は2000年12月24日。世紀末のクリスマスイブに観る映画としてふさわしいかどうかはわからないが,大林宣彦監督の「時をかける少女」について書いてみたくなった。ちょうどDVDでリリースさればかりで久しぶりにその愛しく美しい世界に再会したからである。

初対面は劇場ではなく昔出たLDだった。遅れてきた映画ファンであった僕にとって「映画館で観たかった」と思わずにはいられなかった作品のひとつだ。

明かりを落とした部屋で今とは比較にならない小さな画面に見入っていたホームシアター幼年期,それでも伝わってくるこの作品の充実感,色彩,光と影,ヒロインの息づかい,精緻な手触り……。未熟な観客であった僕にもそれらがいかに得難い映画の魔法であるかがよくわかった。

美しくも切ない,それでいて何という幸福な映画だろう。

僕の乏しいボキャブラリーではそんなワンパターンの表現しかできないのだが,この映画を大事にしたいという想いがわいてくる,そういう作品といえば伝わるだろうか。映画,小説,コミック,音楽……好きなタイトルはいろいろあるが,心の中の最上等の席をこの映画のために用意してあげたくなる。それが「時をかける少女」という映画なのだ。

愛の予感のジュブナイル

1983年作ということでもう17年も前の作品になるのだが,今あらためて観てもその心に響く繊細な余韻はいささかも減じていない。

あれからいろんな映画を観たし観客としての経験値も少しは上がったと思う。それでも久々に観たこの映画の大切さ,愛おしさは昔と変わらない。ああ,あのとき感じたことは間違いではなかったのだ,そう思えることがホントにうれしい。

それだけではない。演出や画面の奥のちょっとした細工,昔は全然気にもとめなかった(それだけの目がなかったというべきか)色使いやレイアウトや編集の「あ,そうなっていたのか」というディテイルに様々な発見がある。同じ映画なのに一から体験し直している感じだ。

冒頭のモノクロのスキー場のシーンは昔もけっこう印象的だったのだが,そこから少しずつ色が付いていくあたりの導入部は意外なほどきれいに記憶から抜け落ちていて新鮮だった。好きな映画であっても記憶(思い出?)にはけっこう無意識の取捨選択がなされているのだろうか。

でも僕はあのあまりにも鮮やかな星空がとても好きである。予感に満ちているような気がして。

愛のためいき

「愛のためいき」というのは劇中で歌われる「モモクリ3年カキ8年……」という例の不思議な余韻の曲だ。別項でもちょっと書いたが,ひそやかな想いが託された静かな,しかしまことに印象深い歌である。特に「続き」の方。

おそらくこの時代の人々と深く関わることを避けている深町=ケン・ソゴルの,それでもそっと和子に手をさしのべる優しさがほの見える気がするのだ。同時に,この世界にただ一人暮らす異邦人のたとえようもない孤独もまたのぞいている。そのぎこちない物腰には,寄り添ってくる和子の心に対して彼が感じているおそれやとまどい,そして愛情がひそんでいるのではないか。

彼にはこの少女の幼く美しい魂がどれほど愛しかったことだろう。思い出を盗んでいる負い目とそれでも借り物ではなく芽生えてくる愛しきものへの感情をどう受け止めていたのだろう。時間旅行者の禁を破って真実を告げるとき別離を胸に語る彼の言葉はあまりに切ない。

でも君には僕だとわからない……僕にも君を見つけることはできない……

再会と別離を同時に告げるこのセリフがなんとも印象的で忘れることができない。初めて観たあのときから,この映画を思い出すたびにこのセリフがこだまするのを感じるのである。

今こそふりかえる「時かけ」の日々

大林映画が好きだからといって僕はノスタルジアをこよなく愛しているわけではない。が,過ぎ去った日々を抱きしめてなおそれにおぼれない懐深さというのも大人の観客の"毅さ"であると思うのだ。

だからエピローグで描かれる数年後(7,8年後くらい?)のエピソードがとても好きだ。相当にセンチメンタルで寂しさ,懐かしさ,孤独,静けさや儚さまでが漂うなんとも言えず切ない部分だ。ふたりの再会と,一瞬互いの心をよぎって消えていったであろう何かがこの物語に美しく幕を引く。

その後のカーテンコールの幸福感は観客への贈り物であろうか。

このDVDには大林監督へのインタビューが収録されているのだが,その穏やかで深みのあるおじさま声?で語られる言葉のひとつひとつもまたファンへの贈り物だ。主演の原田知世や高柳良一,尾美としのり(この人にはホントに独特の存在感がある)そして尾道の町について語るその愛情に満ちたコメントには人ごとながらうれしくなってしまう。

僕は角川ヒロインでは断然ひろ子派なんだけど,この作品に限っては原田知世のキラメキに脱帽する。1バイトの文句もない。よくぞ彼女を選んだと思う。その後の活躍ぶりを否定するわけではないが,この映画が原田知世の永遠にして唯一の1本ではないかという気さえするくらいだ。

「時をかける少女」は疑いなく邦画の大事な大事な財産である。