「銀河鉄道999」古典的ロマンの甘美なしらべ

不滅の999

別項で「銀河鉄道999」のことを書いているうちにいろんなことを思い出してしまった。何年たっても記憶の中で懐かしい光を放ち続ける作品である。名作たるゆえんであろう。現代的な劇場用長編アニメーションのぜいたくな楽しさを教えてくれた忘れがたい映画だ。

母の仇(!)を討つために旅立った少年が数々の試練を乗り越え,美しい女や頼もしいヒーローたちの助力を得ながらついには誰にもなしえなかったことをやり遂げる,という古典的な,あまりにも古典的な物語。しかし20年を経て感じるのは"古典的"と"古い"というのは違うということだ。

時代の価値観や風俗を追った作品がたちまち陳腐化していく(作中のギャグなど化石化して当時何がおかしかったのか思い出せなかったりする)一方で,昔からあるタイプの物語であるこの作品は今も輝きを失っていない。作品の命は表面的な演出とは無縁の所に潜んでいるということか。

甘くてもいい。古典的でもいい。何年たっても大切にしておきたい何かをたっぷりと持ち合わせているこの映画は,僕にとっても大切な1本である。

胸躍る思い出

製作決定後,当時の東映アニメーションファンクラブの月報で毎月ちょっとずつ紹介される記事が楽しみだった。鉄郎とメーテルだけでなくハーロックやエメラルダスも本家本元の井上真樹夫や田島令子が演ずることを知って喜んだものだ。劇場で最初の特報を見たときはほとんど動かない絵でありながら期待に胸が膨らんだ。

公開の時は既に社会人になっていたが,休暇をとって早朝から出かけた。自分の嗜好に合ったこともあるが,テレビアニメの節約そのものの画面に慣れていた目には限りなくぜいたくなごちそうだった。すばらしかったな。

音楽もまた不滅だ

この映画では音楽の青木望氏の仕事も完璧だった。これほど物語と音楽が最高の雰囲気で溶け合った作品は滅多にないと思う。当時のアニメ界は交響組曲ばやりだったが,なんでもシンフォニーにすりゃあいいってもんじゃない。しかしこの999とテレビ版キャプテン・ハーロックのBGMはみごとな出来で,両作ともに松本零士氏の作品であったことは偶然ではないのかもしれない。

ちなみに999はテレビ版の交響組曲もすばらしく,特に伊集加代子のスキャットでおなじみの"青い地球"のパートは999世界の象徴ともいえる名曲だ。

「銀河鉄道999」の物語とロマンはこの曲に集約されていると言ってもいいだろう。ゆえに「999の音楽は青木望氏以外考えられない」と思っていたので,パート2の時に別の人が音楽担当になったことは意外でもあり,はっきり言って残念でもあった。

夢幻のクライマックス

公開時の興味のひとつは,この映画では原作やテレビに先駆けて物語の結末が描かれているということだった。惑星メーテルのシーン以降の部分だ。

特にLD(「銀河鉄道999 ギャラクシーボックス」)サイド3のチャプター18の部分は,この映画のあらゆる要素がピークに達した史上に残る数分間である。

鉄郎の奮闘,メーテルの葛藤,ハーロックとエメラルダスの超カッコイイ戦いぶり。容赦ない破壊を繰り広げながら,エメラルダスの口元に浮かんだ笑みは凄惨でさえある。さらに惑星崩壊の破局の中で真に心を通わせる鉄郎とメーテル,大破壊のシーンでありながらそこに流れているのは甘美で切ない響きを帯びた壮麗な曲だ。遠い青春の日の夢の中の冒険。そんなイメージをかき立てる名曲であり,クライマックスの派手なアクションにもまして印象的だった。

ここはカット割りなどの演出も燃えまくっており,クレアの一瞬の立ち姿に込められた彼女の悲痛な想い,999の脱出とともに列車を守っていたクイーン・エメラルダス号が上昇していくシーンの構図など,これ以上は望めないほどの劇的な力に満ちている。

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一見古いようでいて実は長い命を保つ名作の秘密は,この映画のそこかしこにあふれている。劇的で波乱に満ち,美しくて懐かしい。遠い追憶の彼方に去ったようでいても心を向ければ速やかによみがえってくる。ここでは"古典的"というのは"不朽である"ということに等しいのだ。

ラストシーンの夕陽は名作のみに許される美しさだった。