「銀河鉄道の夜」この静謐な宇宙

ひそやかに立つ

ホームシアターやAV関連の趣味をお持ちの方ならわかっていただけると思うのだが,財布をやりくりしながらソフトを買い集めている中で,バージョンが変わるたび,あるいはメディアが変わるたびに買ってしまうタイトルがある。

「2001年」はこれで5度目だとか「ブレードランナー」は3度目だよ,とか困ったようなうれしいような(ここらが病気たるゆえんだね)つぶやきを口にしたことのある人は少なくないと思う。お気に入りの作品とはこうして一生付き合うことになるのだろう。本望である,と言っておこう。

僕にとって85年の劇場用アニメーション「銀河鉄道の夜」はそんな作品のひとつだ。気が付くとLD時代に2度,そして最近出た(今は2002年春)DVDといつの間にか3度も買っているのだから自分で思っている以上に入れ込んでいるらしい。見るたびにこのひっそりとたたずんでいるような名作に静かな感動を覚えるのである。

決してメジャーな作品とは言えないと思うのだが,他の多くのタイトルを捨ててもこれは大切にしておきたい,そう思える映画のひとつなのだ。

基本的にアクション系エンタテインメントが中心の劇場用アニメ作品の中で,これほど詩的で作家性の強い,しかもクオリティの高い長編が作られたことは特筆に値するのではないだろうか。商売としてペイするか否かという点が以前にも増して求められる現在では,企画の段階でポシャってしまう可能性大の作品だと思うのだ。

ジョバンニの宇宙

それにしても,この静けさと心に深くしみ通ってくる余韻のすばらしさ!爆発音やエンジンのうなりがサラウンドで部屋の中を駆けめぐる映画に慣れていると,しんとした気品あるジョバンニの宇宙はたとえようもなく美しく,愛おしさを感じる。

あの猫のキャラクターについては好き嫌いもあるだろうが,今となってはあれ以外のデザインなどとても受け容れられない。この不思議な幻想にはあのキャラクター,あの音楽,あの声が分かち難く溶け合っているのだ。

そしてここまでトータルな世界観をデザインして見せてくれた美術の仕事ぶりも見事のひと言に尽きる。町の様子,石畳の質感,広場の意匠,建物のシルエット,車窓から見える絵本のような森,アルビレオの観測所の不気味さ,トウモロコシ畑の美しく,そして堪えがたいほどの寂しさ……。

ええな〜,としか言葉が出てこない。

この豊かな幻想にはイメージのほころびがないのだ。だから17年たった今でも全く古びていない。それどころか,これから先も決して朽ちることなくあり続けるのではないか。安易に不朽の名作と称する作品は少なくないが,この映画こそその称号を冠するにふさわしいと僕は思う。

世界の秘密

宮沢賢治の原作を読んだことのない人もいるかもしれないが,やはり一読をおすすめしておこう。この映画のスタッフがどれほど真摯に取り組んだかよくわかるはずだ。原作のディテイルやセリフがどのように尊重され,あるいはどのように扱われているかもきっとおわかりになるだろう。僕は脚本/別役実というところがこの映画の成功のポイントのひとつではないかと思っている。

ところで,映画で膨らませた部分のひとつに賛美歌と無線技師のパートがある。ここは地味だけど上手い。世界の神秘的なつながりがかいま見える仕掛けになっているからだ。

たぶんタイタニック号の犠牲者と思われるかおるたちの悲劇が,銀河の黄泉路を走る列車とどのように交わり,ジョバンニの世界とどのように触れ合ったのか,その不思議な因果の様が一瞬鮮やかに浮かび上がる。思えばジョバンニが働く活版所のシーンで印刷されていた新聞には,タイタニック号らしい船の記事が載っていた。

世界はこんな風にひそやかにつながっている。その秘密はこうした深い幻想の中にのみひととき明かされるのである。

そして北十字と南十字の二つの巨大な十字架。あのイメージも何か異様に迫ってくる存在感みたいなものがある。キリスト教の象徴的な神々しさとともに,日本人のなじんできたあの世や神への感じ方とは異質な,厳然としてそびえ立つ権威のようなものを感じる光景である。美しいが容赦ない規範のような光が示す天上への道……日本人の渡る来世はあそこにはないような気がする。

そして映画にも祝福を

以前にもちょっと触れたが,ここでのジョバンニ役の田中真弓さんはすばらしい名演だと思う。元々たいへん上手い人だけど,この映画におけるジョバンニの痛ましいほど孤独な魂をこれほど繊細に演じきった力量には深く敬服する。日本の声優さんってホントに優秀だなあと思うのはこんな時だ。

そして細野晴臣の音楽。これなくしてこの映画の成功はあり得なかっただろうというほどすばらしい。これほど作品世界と絶妙に溶け合った音楽はめったにないと思う。彼の祖父がタイタニック号の乗客だったというのは不思議な縁だが,これもまた名作が"作られる"ものではなく"生まれる"ものだということの証かもしれない。

ともあれしんみりした映画である。といって涙が滂沱と落ちるような演出ではない。静かに響いてくる感動を大切にしまっておきたい,というのが素直な感想である。

宮沢賢治ものは今までいくつも作られたが,彼の詩情と幻想はアニメーションとは特に相性がいいような気がする。中でもこの「銀河鉄道の夜」はもうどんな試みをもってしても及ばぬ高みにあるのではないだろうか。

冒頭に文部省特選なんて俗世の権威をクレジットする必要はないんだ。すでに祝福はなされているのである。これは魂と天上を描いた希有な名作なのだから。