「鳥」に映画人のパラダイスを見た

イレギュラー&マスターピース

待ち望んでいたヒッチコック監督の「鳥」のDVDがついにリリースされ(今は2002年10月)久々に見るその面白さに感激している。実に十数年ぶり,いや二十年ぶりくらいになるだろうか。テレビの洋画劇場で見ていた子供のころは特に意識もしなかったが,これはヒッチ先生の作品中でも特に異彩を放っている映画である。

基本的に現実的で論理的な決着をつけるミステリ畑の人が"超常現象"を扱った珍しい作品だからだ。

もちろん,そんな見方にこだわる必要はないわけで,きわめて先駆的な動物パニック映画の傑作として,あるいはホラー映画!としても理屈抜きに楽しめる。しかも,あのヒッチコック監督の美意識やテイストがたっぷり詰まっているので,そんじょそこらのコピー作品とはワケが違うのだ。

鳥たちが群れをなして人間を襲う。理由はわからない。小さな異変は徐々に拡大し,やがて隠しようもないデザスターとなって町を,そしておそらくは世界を呑み込んでいく……。そんな終末感ただよう黙示録的な映画を,商品としても作品としてもしっかり成功させてしまうのだからさすがは名監督である。

しかし言うは易く行うはなんとやらだ。CGのない時代にこれを映像化する困難は想像がつこうというものだが,出来映えはあのとおり。そういった事情に関してはDVDに収録されたメイキングがめちゃめちゃ面白いのでオススメしておこう。本編と併せて見ると充実度は200%増という楽しさである。

ライト&マジック

鳥たちが人々を襲うシーンは今見ても見事な出来だが,CGのない時代の非デジタルな,いわばそれまでの映画人の経験とノウハウで作り出した数々のシーンがたいへん興味深い。しかも,この映画が実はディズニーの最新技術を導入していたなんて聞くとホントに面白いね。ヒッチコック監督とディズニーの組み合わせなんてなかなか想像できないもんなあ。

それは合成に使われたナトリウムプロセスという技術なのだが,ライティングと撮影技術によるマジックのひとつである。カメラや撮影に関する知識のない僕には解説されても「ふんふんなるほど,そうだったのか」とはいかないのだが,デジタル合成登場以前のこうしたテクニックは,60年代作品のカラーの一部としてうまくなじんでいると思う。

しかし,何といってもヒッチ先生の作品である。久しぶりに見て「おおっ」とか「ああっ」とかいうシーンがあちこちにあってちょっとびっくりしてしまった。実に斬新なシーンが続出するのである。

何も考えずにテレビの前に座っていた子供のころにはさすがにこうした感動はない。

たとえば,鳥の襲撃で町がパニックになりガソリンスタンドが爆発炎上するシーン。空からの俯瞰で町の中心部が燃えている映像の,その視点(カメラ)の後ろから鳥たちが現れ町へ降下していくという場面である。鳥の視点,あるいは神の視点というわけで,今では怪獣映画やスペースオペラでもよく見る構図だが,すでに40年も前にこれだけの完成度で実現されていたのである。

ビューティー&スリル

この映画のオープニング,つまりタイトルバックの部分がどうなっていたか僕には全然記憶がなかったのだが,今回DVDで(たぶん)初めてお目にかかることができた。羽ばたく鳥のシルエットと水色のクレジットがたいへん印象的なイントロである。小さいころのテレビ洋画劇場の大恩は忘れないが,やはりいずれはこうしてちゃんと完全な形で見なきゃね。

そのタイトルクレジットでヒロイン役のティッピー・ヘドレンはなぜかTIPPI HEDRENではなく 'TIPPI' HEDRENと名前が ' でくくられて表記されているのだが,これには何かワケがあるのだろうか?映画デビュー作だから?何か慣習のようなものがあるのか?

彼女は監督の好きなブロンド美女なんだけど,内部の歯車がかみ合っていないような少しいらついた感じがたいへんよく出ている。時代のせいか演出のせいか,この映画の登場人物たちは実によくタバコを吸っているのだが,彼女はその典型で,パニックシーン以外はたいてい喫煙中だ。たぶん,それもまたこのヒロインの属性なのだろう。

それと,相手役のちょいと崩れた二枚目弁護士はともかく,その母親のキャラクターがまたいいんだ。老いの孤独や弱さや狡さやプライドや依存心といったものに苦しんでいるつきあいづらい老婦人の姿である。あの陰険な感じがやだなーと感じた観客は,もちろん監督のもくろみどおりに反応しているわけだ。

だから,彼女が鳥に殺された知人の死体を発見したときのリアクションというのはたいへん生々しくて衝撃的である。うまいわー。

ビジョン&アポカリプス

メイキングを見ると画面作りに様々な工夫がなされていることがよくわかるのだが,この映画では美術の出来も特筆ものだ。特に鳥の群にからんだ"絵"の美しさと不気味さ,そしてショッキングなことは格別である。

マットアートの出来がきわめて優れているせいもあって,今どきの先端的なアニメのように徹底して作り込んだ画面が登場する。

特に印象的だったのがラストシーンだ。子供のころからこのイメージは鮮烈に残っているのだが,今回久々に再見してもその印象は全く変わらなかった。この絵は絶品だと思う。庭を埋め尽くす鳥の群,雲間から射し込む月光,終末への予感をはらんだつかの間の静けさ,その中を沈黙のうちに脱出してゆく主人公たち……この黙示録的な美の前にはその後の展開は不要だろう。

現に,シナリオにはもう少し先まで書かれていたのだが監督は潔くここで幕を下ろした。僕はその鮮やかな決断にいたく共感する。32枚もの素材を合成したというあの絶望感漂う景色こそはこの映画の最後の絵にふさわしいからだ。

僕はヒッチコック映画の勤勉な観客ではないけど,40年を経てこの緊張感,キャラクター,スリルと恐怖,そして映像ですべてを語りきる手腕,どれをとっても色褪せないその生命力に感服する。滅多にないほど面白いメイキングともども,DVD時代のありがたさをかみしめているところだ。

作り手たちがまぎれもなく映画黄金時代のパラダイスにいたことは間違いない。