「ノートルダムの鐘」は突然変異か

他とはちょっと違うようだぞ

さて「ノートルダムの鐘」である。以前,そのタイトルについてちょっとケチをつけてしまったので今回は思いっきりヨイショする。元々作品としてはとても気に入っているのだ。もっと評価されてしかるべきではないか,と思うのだがどうだろう。

ディズニー作品は大人も子供も楽しめるファミリーピクチャーとして作られているが,この作品は相当アダルト寄りにシフトしていてハイブロウな味わいがある。口当たりのよい砂糖菓子ではなく,大人向けの高級でビターなチョコレートといった感じだ。単純ではないのである。

もちろん,ディズニー作品であるからお気楽なキャラクター(ガーゴイルたちとか)が息抜き役を務めたり,ガチガチのミュージカル仕立てであったりという部分はあるのだが,そういったところを日本のアニメと比較しても仕方がない。あちらにはあちらのショウビジネスの文法というものがあるのだから。

その上でなお,この「ノートルダムの鐘」は他とはちょっと違った地平に立っている気がするのである。

暗い,暗いぞ相当に

この物語,ご覧になった方はご存知のとおりラストはハッピーエンドである。にもかかわらず全体のトーンときたらディズニーにあるまじき暗さである。下手するとダークファンタジーにまでいってしまいそうな暗い展開が印象的だ。しかしその暗さがお子さま向けとは違う面白さを醸し出しているのも事実。

これはパステルタッチでは決して出せない味わいである。

絵的にも柔らかい日差しのような暖かさではなく,黒で引き締まった夜の厳しさのようなシャープな表現がよい。美術の仕事はまことにすばらしくて,暗いタッチではあっても美しさは格別だ。このダークな肌触りと色彩の美しさはキャラクターの内面にも反映されているようで,底の浅い作品とは一線を画している。

たとえば,冷酷なフロローの内心に巣くう邪悪さや欲望が正義の名の下に肥大化してゆくさまなど,ファミリー向けの印象が強いディズニー作品でここまで描くかという感じだ。妄執の炎に包まれてゆくフロローの姿はこの物語の暗く,彩度の高い画調にふさわしい。

彼に育てられたカジモドがその波動に染まらずにいたのは奇跡的だが,それこそノートルダムが聖域であるが故なのかもしれない。

エスメラルダの舞い

黒髪,太眉のジプシー女エスメラルダはこの作品のヒロインだが,ディズニーアニメ史上希に見る肉感的で魅力的なキャラクターである。彼女が踊っている姿は実写映画でなら無数にあるなんということもないシーンだが,アニメになると俄然精彩を放ってくる。絵を動かすという手法には実写とは違う訴求力がある証拠だ(ああ,なんて固い物言いだろうね)。

健全&安定路線のディズニーも少しずつ冒険しているわけだが,エスメラルダの描き方は一挙に劇映画のそれにまで突っ走っているようだ。この描き方,演出を決めたのが誰だか知らないが,英断だと思う。それともまぐれだろうか。

この作品の意外な深さは彼女の描き方にもあらわれていて,体制側からは卑しい身分の者とされながらラストで民衆の前に現れるその姿は救世のヒロインのようである。誰よりもそのことを感じ,蔑みつつも恐れ,そして激しく魅かれていたのが他ならぬフロローであったことは明らかだが,そのような複雑なとらえ方は他のディズニー作品にはなかなか見られないものだ。

吹き替えはデミ・ムーアだが,幸か不幸か僕は彼女の声を聞き分けられるほど彼女の映画を見ていない。おかげでその名が頭の隅にちらつくこともなく楽しむことができた。トム・ハンクスなんかただの一声でわかるんだけどね。

それにしても祭りの場で踊るその姿はよかったぞ,うんうん。

そして影の主役は

美術のすばらしさについては前にも触れたが,特にノートルダム大聖堂の壮麗な描き方は見事の一語に尽きる。巨大で,奥深く,聖域の神気さえ漂うようなこの大建築はまさに物語の影の主役と呼ぶにふさわしい。

雲間に浮かぶノートルダムの姿は象徴的な描き方だと思うが,その神々しさは実に印象的だ。

ここはカジモドにとっては暗い牢獄に等しかったかもしれないが,彼のもとに石像の友人を送り,また聖域の庇護によってフロローの悪の影響力からカジモドを守ってきたのだ。時が来るまでカジモドが折れ砕けぬように見守っていたのはノートルダムに宿る意志だったのかもしれない。

クライマックスでカジモドとエスメラルダを追いつめるフロローも最後にはこのノートルダムに拒まれて滅びる。墜落の間際に彼が見たのは魔物の口かそれとも神の怒りか。今風に言えば完全にキレてしまった男の末路だが,あそこで崩れる壁にあの恐ろしい顔をさせた演出は上手い。

因果応報というやつだが,僕はこういう容赦のない悪の破滅は好きである。罪を憎んで人を憎まずというのは高尚すぎて納得しがたいのだ。危険思想だろうか?

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時としてミュージカルであることがうざったい気分にもなるほどドラマに集中していたい「ノートルダムの鐘」。悪と非道,妄執といったダークサイドの深さと自由を希求する魂,気高さ,勇気といった精神の高みを描き出したディズニーの突然変異とも言える傑作である。90分ではもったいない。アメリカでのアニメが置かれた立場では仕方ないのだろうが,これこそ2時間の大作で見たかった。