青い空,白い雲


空を撮影するのは難しいのだろうか?

昔から疑問に思っていたのだが,どうして古い映像作品(カラーのね)の中では空の色が白いのだろう。ビデオソフトやテレビの再放送などで昔のフィルムを見ていると,十中八九は白い空である。どれもこれもが曇り空の日に撮影されたわけでもあるまいに。

僕は使い捨てカメラさえろくに使っていないので,撮影上のセオリーや技術的な問題については何の知識もない。だから白い空が単に古くて褪色したフィルムのせいなのか,それとも露光その他の理由でそのように撮影されてしまうのか,本職のカメラマンにでも尋ねてみないとわからない。

だが,この白い空が僕にはなんとなく寂しいのである。

空というのは人間の気分・感情に大きな影響力を持っていると思う。明るく輝くライトブルーの空も,秋の深い蒼穹も,そしてコントラストのはっきりしたもくもくの積乱雲もそれぞれ心の中になにがしかの風景を形作っている。

映画にしろテレビドラマにしろ,空というのは最もベーシックな背景に過ぎないし,何か劇的な夕陽の光景でもない限り目をひくものではない。それでも僕らの日常にとっての空と同じく,気にとめることはなくてもそこにあって心はちゃんと受け止めている,というものなのだ。

しかし古い作品の中の白い空には生命力がない。曇り空がはっきりと存在しているならともかく,白いからといってそこに映っているのは雲ではないのだ。空そのものがないと言った方がいいかもしれない。ただの平板な白い背景である。

昔の作品をコレクションするのはそれはそれで楽しいものだが,僕にはその白い空が日の射さない閉ざされた風景に見える。ノスタルジックな気持ちとは別に,それらがもう未来につながることのない袋小路の世界という気がするのである。

だから,たまに懐かしく振り返ることはあってもそこにとどまり続けることは避けている。ノスタルジーは心地よいが,空の欠落感がそこはもう終わった世界だと教えてくれるからだ。

鮮やかな青空は生き生きした現在や未来へつながっている。そんなイメージが僕には強い。何かのトラウマがあるのだろうか。