バージョンアップ!

そは道楽の定めなり

熱心なコレクターとまではいかなくてもAVライフに付き物なのがソフトの買い換え,買い直しだ。ビデオからLD,そしてDVDと新しいメディアが台頭してくるたびにお気に入りのタイトルを買い換えている人は少なくないと思う。ソフトのプラットホームは10年に1度くらいは変わるからこれはもう運命と思って受け入れるしかない。

アナログLPからCDに変わったときは一生に一度の大転換と思ったものだが,その認識が甘かったことは今や常識だ。ましてや時代は21世紀,技術革新の著しいこの時代,あの世へ旅立つまでにあと何回「2001年宇宙の旅」を買い換えることになるか見当もつかない。

それだけではない。現在主流のDVDにしても同じタイトルが新たな内容でリリースされ,DVDからDVDへの買い換え,というケースが出てきている。メーカーの商魂とユーザーの欲求のせめぎ合いのなせる業である。米国版まで買っている人には事態は更に深刻だろう。ああ,お小遣いがいくらあっても足りないよお。

道楽というのは常に営々たる努力とひとときの満足,そしてそれらを一挙にただの無駄遣いに変えてしまう不条理な運命との闘いなのだ。

真の姿は望み難し

そう,もはや決定版というのは期限付きの決定版のことであり,お気に入りのタイトルにしても「これを買っとけばよし」と安心していられるのはほんのしばらくの間に過ぎない。ありがたいことに,それともハタ迷惑なことに?新しいマスターだの未公開映像だのが出てきて必ず新バージョンを買うかどうかで悩まされることになる。

そもそも映画に唯一無二の決定バージョンを望むことが難しくなっているのだ。劇場公開版にディレクターズ・カット版,更には公開する国や地域によっても結末が違っていたりする。昔の作品にも米国版と英国版でラストシーンが違うものなどがあった。

友人と同じ映画の話をしているはずなのにどうも話が合わないなと思ったら,一度疑ってみた方がいい。タイトルは同じでも違うバージョンの話をしているかもしれない。いや決してオーバーではない。たとえば「レオン」の最初の公開版しか見たことのない人と完全版しか見たことのない人がこの映画について話をしたら,と考えてみよう。ずいぶんアレレなことになると思うぞ。

そんな事態が増えてくるといずれ映画のエンドクレジットにはバージョン番号が付くようになるかもしれない。

では映画ソフトはどうなるかというと,これは文字どおり「ソフトウェア」としてリリースされるようになる。一度メインとなるソフト本体を買っておくと後はバージョンアップのたびに新版に書き換えることができるわけだ。

世に変転せざるものなし

で,ユーザー登録をしておくとワーナーとか20世紀フォックスからバージョンアップのお知らせが届いたりする。ユーザーもお知らせの内容と財布の中身を見較べて「なんだ,コメンタリーと予告編が2コ増えただけじゃん,今回はバージョンアップは見送ろう」という決断ができるのである。

それから映画雑誌にも「この文章は『ローマの休日』ver1.02についてのレビューです」とか「今月号では『エクソシスト』ver1.21からver1.22への変更点を徹底分析」といった記事が載るようになる。キネマ旬報もスクリーンもパソコン雑誌の隣で売られるようになるが,時代についていけない一部の映画芸術派の雑誌は売れない文芸誌と同じ道をたどるだろう。

また,以前にもちょっと書いたが,字幕スーパーや日本語吹き替えのキャストについてこだわりのある人も多いと思う。そこで映画ソフトもパソコン型バージョンアップが可能になると

ついに登場,向井真理子全吹き替え。既発売のすべてのマリリン・モンロー作品に対応しています。日本人にとってはこれこそモンローの声!

だとか

4大作家競演!あなたの「羊たちの沈黙」に新たに村上春樹,筒井康隆,吉本ばなな,井上ひさし各氏による日本語字幕が加わります

といった機能追加が華々しくアピールされるのだ。まあ,たまにインストールに失敗してクラリスとレクター博士のセリフが入れ替わったりするのだが,そういうときはカスタマーサポートに電話する。なかなかつながらないけどね。

……5年後,10年後,ブロードバンドでの映画配信が日常化すれば意外とこんなこともあり得るかも,などと妄想する夏の夜である。